平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2003年8月10日 人間は、いつことばを与えられたのか?

2006年11月12日 17時56分05秒 | Weblog
人間は、いつことばを与えられたのか?

 まず、人類は、いつ頃人間の形態をとるようになったのか。3億年前、あるいは600万年前など諸説があるが、正確にはまだとらえられていない。では、言葉を使うようになったのはいつ頃だろうか。これも、もちろん正確にはわからない。最近、エチオピアで、16万年前の人(ひと)の化石が発見され、言語の誕生が、断続音発生からの「笑い」に端を発するという説が出ている。
 私の想像だが、人に自分の存在を知らせようとする時は、手を叩くとか、物(棒)で何かを打って気付かせようとするであろう。その音を聞いて振り返り、お互いが顔を合わせると、自然に笑みが浮かぶではないか。それが言語の始まりで、次第に自分の意志を伝えるものとなり、ついに会話へと発展したのではないかと考えられる。
 この、笑みに端を発する過程は大変興味深いと思う。私たちは、言葉の成立に立ち帰って、音をきいた時、音を出してくれた人に理屈無しに笑みを返し、会話を始めた原始人にもどって、お互いの交わりを深めていくという、人間に与えられた本来の形を、もう一度とりもどすことが必要であろう。
 ことばは肉となり、イエス・キリストに宿り、私たち人間に生命(いのち)を与え、喜びと平安を授かったのである。私たちは、神から与えられたことば(キリスト)を、何よりも一番大切にしなければならない。


松村 協力牧師

最新の画像もっと見る