夢は消えたのだろうか
コンピューターの発展は、ある領域では、私たちの生活に豊かさをもたらしてくれている。しかし、神様の介入があるということを忘れさせる。
「夢」というのは、飛んだり、越えたりする力だ。データーを打ち込んで、これから先、起こるであろういろいろなことを予想することは、現実的な世界を描くことだ。
「夢」というのは、私たちの信仰には、欠かすことのできないものだ。つまり、神様の力の介入を期待するのである。教会の年度の計画も、今、自分たちにはこれこれの力しかないから、これくらいのことをしようではなく、神様の力を信じて、これこれのことにチャレンジしよう、という立て方をする。明らかに、信仰のなせる業なのである。
だから、連盟の推進する「地域協働『夢』プロジェクト」という言葉自体は、実に、信仰的な言葉であると思っていた。先日、連盟事務所に行ったら、「夢」プロジェクトの「夢」が消えて、ただの「地域協働プロジェクト」になるのだという。なんとなく、連盟全体の動向を象徴しているかのようで、複雑な思いであった。
「夢」を語れなくなった連盟、(「歌」を忘れたカナリア)とまでは言わないが、寂しい。ただ、「夢」プロジェクと銘打った連盟の意図は、諸教会が夢を描く機会となり、宣教活動が活性化されることだった。
この出来事は、「夢」持てぬ時代の悲しみと言うべきか。それとも、与えられる「夢」の拒否であり、諸教会の自立の表れ、バプテストまだまだ健在というべきか。
平良師
コンピューターの発展は、ある領域では、私たちの生活に豊かさをもたらしてくれている。しかし、神様の介入があるということを忘れさせる。
「夢」というのは、飛んだり、越えたりする力だ。データーを打ち込んで、これから先、起こるであろういろいろなことを予想することは、現実的な世界を描くことだ。
「夢」というのは、私たちの信仰には、欠かすことのできないものだ。つまり、神様の力の介入を期待するのである。教会の年度の計画も、今、自分たちにはこれこれの力しかないから、これくらいのことをしようではなく、神様の力を信じて、これこれのことにチャレンジしよう、という立て方をする。明らかに、信仰のなせる業なのである。
だから、連盟の推進する「地域協働『夢』プロジェクト」という言葉自体は、実に、信仰的な言葉であると思っていた。先日、連盟事務所に行ったら、「夢」プロジェクトの「夢」が消えて、ただの「地域協働プロジェクト」になるのだという。なんとなく、連盟全体の動向を象徴しているかのようで、複雑な思いであった。
「夢」を語れなくなった連盟、(「歌」を忘れたカナリア)とまでは言わないが、寂しい。ただ、「夢」プロジェクと銘打った連盟の意図は、諸教会が夢を描く機会となり、宣教活動が活性化されることだった。
この出来事は、「夢」持てぬ時代の悲しみと言うべきか。それとも、与えられる「夢」の拒否であり、諸教会の自立の表れ、バプテストまだまだ健在というべきか。
平良師