的をはずさないですむ生き方
ポイントがズレていると、どのように努力しても無駄であることが多い。時間の割には成果が得られない。罪には、的外れという意味があるが、ちょっと似ているところがある。釣りで、ポイントだというと、そこは魚がいる場所を指す。狙った魚はそこにいないのに、いくら釣り糸を垂れても釣れるわけがない。何時間費やそうとも、無駄である。
今は、恐ろしい時代で、多くの釣り船が魚群探知機を備えている。だから、その日獲物がなかったということが少なくなった。かつては、船頭さんの経験で、この季節はここらで鯛が釣れるとかといったことを頼りに、船釣りが行われていた。だから、釣果にあたりはずれもあったのである。
もちろん、いたからといって必ず釣れるとは限らない。魚自体に捕食意欲がなければダメである。だから、捕食活動に活発な時間帯を狙うことなども大切となる。朝夕とか、大潮とかである。けれども、やはりそこに魚がいることが前提だ。イエス様は、漁師たちが夜通し漁をしたが、何も獲れずに落胆して帰ってきたとき、もう一度漁に出ることを勧め、言われた所に網を降ろしてみると、果たして大漁であった。
ここでのポイントは何か。それは、イエス様が魚のいるところを知っていたということよりも、イエス様の御言葉に従ったということである。罪を犯さないで生きていける人間は誰もいないが、イエス様の御言葉に従って生きていくなら、少しでも的をはずさないですむ。
平良 師