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彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

仏坂古戦場とふろんぼ様

2016年05月04日 | 史跡
井伊直虎が、今川氏真によって井伊谷の地頭職を奪われたのち、井伊谷は小野但馬の支配下になりますが、その小野但馬が徳川家康によって処刑され井伊谷三人衆(近藤康用・菅沼忠久・鈴木重時の3人)が治めていました。
しかし、元亀3年(1569)に武田信玄が上洛する兵を挙げると、別働隊の山県昌景が井伊谷に向かって侵攻を始めたのです。
井伊直虎は、近隣の寺社に仏像などを土の中に埋めて隠すように指示します。仏坂の十一面観音もこれにより難を逃れました。

元亀3年10月22日、仏坂で山県昌景と井伊谷三人衆・井伊(井平)直成らの戦いが行われます。
浜松市北区引佐町伊平の十一面観音様の近くに古戦場があります。
ちなみに、井平氏は井伊直平や井伊直宗に娘を嫁がせている井伊家一族の一つです。



「乱鶯やいくさ場越ゆる仏みち 一知」との句碑がありますが、一知って誰?

激戦の末に、山県軍が圧勝し、井伊直成や鈴木重俊(鈴木重時の一族)らが討死しました。
仏坂古戦場跡にはこの戦いで亡くなった将兵を葬った墓が残されていて、古い墓という言葉がへんかして「ふろんぼ」という呼び名で伝わっています。

古戦場からは、見つけやすくなっています。

案内板

ふろんぼ様





・所在地 静岡県浜松市北区引佐町伊平

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