彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

飯島三郎右衛門の墓

2020年06月19日 | 史跡
井伊直孝軍の先陣として若江の戦いに参戦し、討死した山口重信の戦果として、飯島三郎右衛門を槍で討ったことが挙げられます。

その飯島三郎右衛門が討死したとされている地に墓が建立されています。


飯島家は、飯島太郎左衛門という人物が織田信長に仕えていました。
天正5年(1577)、信長と石山本願寺との戦いの局地戦として高井田の戦いと塩川の戦いが起こります。高井田では小寺高仲という青年が本願寺方の武将として信長軍と戦いますが、この高仲を討ったのが太郎左衛門でした。
その功績から、太郎左衛門には高井田村が与えられて庄屋となったのです。

東大阪市では、太郎左衛門が木村重成に従って戦ったとの話も残っていますが、高仲を討ってから40年近く後の話なので、若江の戦いで戦ったのは三郎右衛門は太郎左衛門の子もしくは孫でもおかしくはないと考えられます。

高井田と若江は近い場所にあり、三郎右衛門は重成の道案内を買って出ました。
弓と槍に秀でていて、積極的に戦い、山口重信の槍に突かれたのです。その地は沼地だったそうなので三郎右衛門は沼に足を取られた末に討たれたのかもしれません。

後に、三郎右衛門の息子により討たれた地に墓が建立されました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 若江城跡 | トップ | 彦根藩大坂蔵屋敷跡 »
最新の画像もっと見る