彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

時の記念日

2008年06月10日 | 何の日?
671年4月25日(グレゴリオ暦6月10日)、天智天皇が漏刻(水時計)と鐘鼓による時報を開始します。

こう書くと、天智天皇の前には時計が無かったように見えますが、実は日時計のような物はもっと昔からあり、時間という観念は存在していました。
この頃の時計は今ほど正確か?と言われると分や秒単位では難しいですが、1日を12に割ってお線香などが燃え尽きる時間を一定にして時間を知ったのです。


ですが、よく誤解されるのが、昔の時刻の数え方は時代劇なのでよく登場する“日の出と日没を基準にしている不均等な物”で、夏と冬で時間が変わる…
という考え方です。

実は、そういう時刻の数え方は戦国時代という日本が大混乱した時期に、統一した時間を知る方法が確立できなかった為に仕方なく使っていた方法で、天智天皇の時代は今の私たちが使っているような均等に割り振った時間を正確に告げていたのです。
つまり日本の時間は、正確→不正確→正確へと移動していったと言う不思議な国なのでした。

こんな状況でも日本人は工夫を凝らす人種だと解るのが時計の考え方です。
私たちが知る時計は、1日を12時間で均等に割って1周させるものなのですが、江戸時代の技術者たちは季節によって文字版を変える事で、季節によって変わる時間もからくり時計にも対応させていたのです。

ちなみに、天智天皇は畿外であった大津に都を置いたり、水城を設置したり、最初の戸籍である庚午年籍を作ったりと、多くの実績を残していて漏刻もそんな中の重要な功績となっています。
でも、その全ては663年に白村江の戦いで敗北した為に唐・新羅が日本へ襲来するのを恐れての政策だったのです。
大化の改新などで英雄としての扱いを受けている天智天皇ですが、実は暴君だったのではないかという説もあるくらいなんですよ。


この話は彦根とは直接関係ありませんが、昔の記録には、今とは違った時間感覚が登場しますので、それを知りながら資料を読むのも面白いんですよ。

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