
地元の彦根市民にとっては当たり前の光景過ぎて、その珍しさが伝わっておらず、観光客の方にとっても知らないうちに通り過ぎてしまうという、彦根城に来てもある意味では勿体無いまま終ってしまうのがこの石垣です。
「城」という漢字は“土で成る”と書きますが、土を掘って土塁を作れば城として機能したのでした。
その掘ったところが“堀”となり、盛った土が“土塁”となるのでとても機能的だったのです。
江戸時代の書物に書かれた話では、東国は“土塁”西国は“石垣”が主流であった事が記されています。
つまり、西国に分類される彦根城では石垣が主流のエリアになる訳です。
土塁と石垣では土塁の方が防御力に劣りそうに見えますが、高さを稼げる分、石垣に勝るとも劣らない防御体制が保てます。
しかし、彦根城の表門橋から大手門橋までに見える内堀の石垣は、石垣の上に土塁を積み、その上にまた石垣を積むという三段構造になっています。
土塁の上の石垣を“鉢巻(はちまき)石垣”
土塁の下の石垣を“腰巻(こしまき)石垣”
と呼びますが、この様に土塁と石垣を併用する事で、石垣だけの時よりも高さを稼ぐ事ができて、より防御力に優れた城となるのです。
でも、土塁・石垣併用の城は、江戸城の鉢巻石垣(土塁の上のみに石垣がある)など数例しかない珍しい造りで、彦根城のような鉢巻腰巻石垣は殆んど例を見ないとも言われているんですよ。
彦根城に来ると、表門橋から見える本丸御殿を再現した彦根城博物館と山の上に見える天守閣に目を奪われがちですが、ちょっと目をお堀の方に向けて、鉢巻腰巻石垣を見て下さいね。
「城」という漢字は“土で成る”と書きますが、土を掘って土塁を作れば城として機能したのでした。
その掘ったところが“堀”となり、盛った土が“土塁”となるのでとても機能的だったのです。
江戸時代の書物に書かれた話では、東国は“土塁”西国は“石垣”が主流であった事が記されています。
つまり、西国に分類される彦根城では石垣が主流のエリアになる訳です。
土塁と石垣では土塁の方が防御力に劣りそうに見えますが、高さを稼げる分、石垣に勝るとも劣らない防御体制が保てます。
しかし、彦根城の表門橋から大手門橋までに見える内堀の石垣は、石垣の上に土塁を積み、その上にまた石垣を積むという三段構造になっています。
土塁の上の石垣を“鉢巻(はちまき)石垣”
土塁の下の石垣を“腰巻(こしまき)石垣”
と呼びますが、この様に土塁と石垣を併用する事で、石垣だけの時よりも高さを稼ぐ事ができて、より防御力に優れた城となるのです。
でも、土塁・石垣併用の城は、江戸城の鉢巻石垣(土塁の上のみに石垣がある)など数例しかない珍しい造りで、彦根城のような鉢巻腰巻石垣は殆んど例を見ないとも言われているんですよ。
彦根城に来ると、表門橋から見える本丸御殿を再現した彦根城博物館と山の上に見える天守閣に目を奪われがちですが、ちょっと目をお堀の方に向けて、鉢巻腰巻石垣を見て下さいね。
せっかく来られた方に損をしないで見てもらいたい…
彦根市民の小さな願いの一つです。
ちなみに、鉢巻石垣が用いられる理由の一つに、土塁は塁線ギリギリに建物を建てる事が出来ませんが、石垣ではそれが出来るので、腰巻石垣よりは使われる頻度が高いんですよ。
彦根城の場合は琵琶湖岸で柔らかい地盤を補強するという意味もあったそうです。