彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『関ヶ原合戦祭2011』

2011年10月16日 | イベント
関ヶ原合戦祭2011を少し覗いてきました。
10月15日16日と行われたのですが、16日だけ覗いてみました。

管理人が行った時には、ちょうど関ヶ原トークバトルが始まろうとしている時でした。

さくらゆきの小栗さくらさんと坂本雅央さんの司会のもとで、観客から参加者を募ってテーマについて語るという企画です。

今年のテーマは「関ヶ原で一番輝いていた武将」

候補は
東軍:井伊直政・黒田長政・福島正則
西軍:宇喜多秀家・大谷吉継・島左近

これは、井伊直政を語らねばなりません。

というわけで、井伊直政押しで参加しました。
参加者は、東軍はおっさんばかり(笑)西軍は若い女性ばかりでした…
この時点で負けたな東軍(苦笑)


管理人は、井伊直政押しとして、関ヶ原が井伊で始まり井伊で終わったということを戦いだけではなく、石田三成を七将が襲った時に、三成が逃げ込んだのは家康の屋敷ではなく伏見の三成自身の屋敷で、そこを囲んだ七将と交渉して兵を引かせたのが直政であったこと。本来関ヶ原の徳川家康隊の軍艦は直政のみが担当で、直政が江戸で病に倒れたから急きょ本多忠勝が呼ばれたこと。関ヶ原の後に真田昌幸・信繫(幸村)が切腹だった筈が直政の口添えで助命されたことを話しました。

最終的に、輝いた武将は大谷吉継との総意になりましたが、なかなかおもしろかったです。
というか、関ヶ原の笹尾山のイベントで吉継に勝てる人気者はいないよね(笑)
参加賞として、イベントの大きなポスターと、平日しか手に入らないという6人の武将の千社札を貰いました。
子の千社札の中にも井伊直政は入っていますので、やはり直政の関ヶ原での活躍は公認されているんですね。


その後、甲冑隊を見学





相変わらず、関ヶ原の甲冑隊は人数も武将も多くてクオリティが高いです。
コメント
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