晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

DIY用具を使いこなす 12/16

2010-12-16 | DIY

  2010.12.16(木) 曇

 じょんのび村三年目にして、ようやく細かい仕事をするDIYを手がけ始めた。細かい仕事ったってドアや窓を作るだけで、それも住宅ではなく小屋の窓などだから、木工を本格的にやる人にとっては荒い仕事なのかもしれない。いままでおおざっぱな木小屋などばかり作ってきたから、少々いがんでようが、斜めになってようがお構いなしだ。すきま風が入って困るなんてことは無いわけだ。今回もガーデンシェッドだからすきま風なんか問題ないのだけれど、将来の住居用小屋の予行演習と位置づけているので、気を使っている。とうの昔に買い込んで、刃や部品に錆が浮くようになってきた電動工具の数々、電動ではなくてもほとんど使うことの無かった用具の数々がゾンビのように蘇って活躍しようとしている。また新たにこれは要るなあなんて助平根性出して買ってしまった道具などもあるある。ちょっと紹介してみよう。
 (1)トリマー
これほど魅力的な道具は無いのだけれど、ほとんどの人は使ってないだろう。えっこんなことも出来るのなんて思ったりするが、使用に際して学習することが必要なので誰も使わない、というのが実状だろう。
 野外テーブルの天板の側板に溝を切った際に使ったが、果たしてその使い方は間違っていた。今回もガーデンシェッドの腰板の溝切りと通風口の窓枠溝切りに使ったが、ストレートガイドの使い方が間違っており、きれいに溝を切ることが出来なかった。本を読んですぐに実行しないと忘れてしまうし、実行してもしばらくすると忘れてしまう。Img_1919
 (2)ジグソー
これも使い方によってかなり活躍すると思うのだが、鋸と糸鋸の中間でいかにも中途半端である。曲線は糸鋸にまかす方が良さそうだし、直線は鋸、丸ノコが優る。今回建物が建った後の細かい作業などに活躍するんじゃないかと期待している。
 (3)電動カンナ
今回オークションで購入した。昔ながらのカンナはあるのだが、刃が研げる訳でなし、無理矢理削ってもガタガタになるばかりで困っていた。82mmと小型だが4,000円はお買い得だろう。幸い刃も機械部分も良好だった。これもどれだけ使いこなすかだ。Img_1935
 (4)糸鋸
手動でコッピングソーというのを使っているが、これは駄目。とにかく真っ直ぐに切れない。円形に切ってもアメーバーの様になる。ジグソーでは細かい曲面は切れないし、やむなくお借りしてきた。ところがこれも結構難しくて、目下練習中。
 とまあこの辺りの道具は使いこなすか、使わずにゴミになるかのきわどい道具である。うまく使いこなせれば素晴らしいものができるし、そのためには熟練も必要となる。お宅のアトリエに眠ってるんでねえかい。

【作業日誌 12/16】
ガーデンシェッド右側のパネル作製

今日のじょん:いよいよじょんカレンダーの作製に尻火が点いてきた。先日のクリスマス写真は暗くて不採用、山田さんが
リースを作ってくれたので、唐辛子や綿、人形をプラスして写真撮ってみた。ほしい方はA4サイズ、1,000円でOK,予約して頂戴。Img_1926嫌がるじょんに無理矢理サンタ帽を、、、、。  

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大唐内のこと(19) 鬼伝説 12/15

2010-12-15 | 歴史・民俗

2010.12.15(水)曇

 いよいよ話題が大唐内に戻ってくるが、大唐内の大蜘蛛伝説(2010.11.1参照)だが、奥上林村誌にはその出所は書いてない。あくまで伝説として伝えられたようだ。丹波志何鹿郡部に次のような記述がある。
 
当社ノ謂往古奥ノ山ニ人ヲ取大蜘住ケル由 草ヶ部村ニ高野聖リ住シ当山ニ来リ祈リ退治ス 今其谷ノ名大蜘谷ト云 其聖リヲ祭ト云
 Img_1727

聖大明神


 これは聖大明神の説明書きだが、おそらく文書に残るのはこれが唯一なのだろう。
この大蜘蛛伝説がスケールの違いは別として、青葉山、大江山に伝わる鬼伝説と軌を一にしているものと私は考えるのである。もちろんそのことが証明されることはあり得ないし、いわゆる周辺の状況証拠を収集するということになるのだが、説話とか伝説というものが単につくり話を後世に伝えるというだけのものではなく、そこには起因となる事実とそのことを残してゆく必要性があるのではなかろうか。説話は今日までの間にそれを伝える人びとの都合というものが出てきて、様々に変化する。勧進の道具となったり、没落氏族を復興させる道具となったりするたびに話の内容が変化してゆくのは酒呑童子の伝説などに見られる。だからといって説話、伝説が荒唐無稽な物語とするのでなく、その中の史実、人びとの歴史を探究するのが研究者の使命であろう。
(1)大蜘蛛とはなにか。
 まさか巨大な蜘蛛が人を取って食ったわけではない、鬼伝説でも鬼が居たわけでなくそれは明らかに人間個人、又は部族、氏族のことだろう。
鬼とされる悪人が人を強奪する、取って食う等というのはこの類の伝説に付きもので、それをヒーローが出てきて成敗し、めでたしめでたしとなるのも同じである。しかしそのことを古代の戦としてみると、鬼は単に先住民であり、ヒーローは国家政権から派遣された将軍といったところか。それは成敗というよりは侵略、征服であって、ストーリーが悪い鬼を退治するとなるのは、勝てば官軍式の物語の成立とみるべきだろう。私は大蜘蛛とは麻呂子親王伝説にいう土熊、土車いわゆる土蜘蛛だろうと解釈している。
 綾部市西坂町から大江山に向かう途中、由良川を越える橋を大雲橋という。なんでも由良川はかつて大雲川であったという。ちょっと気になることではある。つづく
(大唐内のこと(18)は2010.12.12)

今日のじょん:今晩の御飯は稲庭うどん鍋だった。じょんにもお相伴させたら大喜び。麺類って好きみたいだ。それにしても私など稲庭うどんを初めて食べたのは55才の時なのにじょんって幸せだなあ。Img_1881

おっと失礼。 

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アラ還 12/14

2010-12-14 | 日記・エッセイ・コラム

2010.12.14(火)曇

 1951年卯年生まれの人は来年還暦を迎える。他人事じゃなくて自分のことなんだけど、別にどうって事無いといえばどうって事無いのだけど、なにか生活というか生き方を変えてみようという気はする。
 まずやってみることは、いままでずるずると加入していたカードや使いもしないポイントカードなどを全て解除、退会、整理すること。というわけで、ゴルフ会員、ゆうちょクラブ、トライアスロン協会を退会した。その他にも怖ろしいほど不要なカードや会員証がある。店舗のポイントカード、会員カードでも使用しないものが沢山あり、ましてや会費や登録費を引き落とされているものはなおさらである。こういうものの整理は経済的な効果もあるが、新しい生活を始めるのだという心理的な効果も大きい。
 還暦は老後の第一歩である。時間的には制約されても定期的な収入があり消費に対して無頓着でも良かった現役時代と、時間的には余裕があるが収入は不確定、あるいは少額となる老後はまるで正反対の状況となる。このことをしっかり認識しないと老後は破綻することとなる。つまり今までは消費することにより時間を短縮していたが、これからは時間をたっぷり使って消費を押さえるという構図になる。
 今日、スタッドレスタイヤに交換した。多分現役時代ならスタンドで替えて貰ったり、脚踏み式のジャッキを買ったりしているんだろうが、今は備品のジャッキで時間と労力を掛けて交換している。その代わりお金は一切使っていない。スロウライフとはこういうものなんだろう。

【作業日誌 12/14】
スタッドレスタイヤ交換
ガーデンシェッド、通気口窓枠作り
Img_1924この窓枠 だけで丸二日はかかっている。虫除けの金網とアクリル板の窓が付いている。まだこれにラッチ、取っ手、ストッパーを付け、塗装するのであと一日はかかりそう。フー。

今日のじょん:わりかし平気でしていた留守番の様子が変わってきた。留守番をするんだけど、置いてあるおやつも口にしないし、水も飲まない。帰ってきても食事もとらない。抗議のハンガーストライキみたいなもんだ。調子が悪いのかなあと思いきや、なだめすかして食べさせたらしっかり食べる。丁度子供のやりにくい頃みたいで、人間らしい犬だなあ。ワン。Img_1900

これはこれで結構むずかしいのよね。

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年賀状止め 12/13

2010-12-14 | 日記・エッセイ・コラム

2010.12.13(月)雨

 今年はなぜか喪中のはがきが多く届き、そういう年齢になってるのか、夏が余りにも暑くて亡くなられる方が多かったのかと考えているところだ。いつもこの時期になると年賀状の作成と住所録の整備に苦労をしている。子供の時は十数枚だった年賀状が昨年辺りは200枚近くなり経費もかかることながら、とにかく憂鬱な年末を過ごしてきた。中には例年届いているけれど、一体誰なんだという御仁も居て、相手方も例年届いてるので出しているという構図になっているのだろう。
 というわけで、来年の年賀状から出さないことに決めた。このブログを見ていただいている方にはもちろん元旦の挨拶をするつもりだが、それくらいでいいんじゃないの。もともと逓信省が金儲けのアイデアで始めた年賀状、こんな憂鬱な思いをしないでも済むんなら、無理に出すこともないでしょう。
 出してるのに届かないなんて思わないで欲しい、何事かあったのかなんて心配しないで欲しい、できれば元旦の朝にこのブログを開いていただければそれでいいのだ。

今日のじょん:またしても吐いてしまった。散歩時には例の草を食べている。胃腸が弱いというか神経質というかどうも犬らしくない犬なんだな。Img_1907

ボールはヒマラヤ杉の向こうにある、右手には苦手の一輪車がある。さて、どうやってボールを取るのかな。

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大唐内のこと(18) 鬼伝説 12/12

2010-12-13 | 歴史・民俗

2010.12.12(日)曇

 さて最後に大江山に伝わる鬼伝説の有名スターはやはり酒呑童子である。この話は余りにも有名なのでいまさら説明も要らないが、丹後、大江の歴史を探るについてはあまり重要視すべきものではないと考える。つまりあまりにも説話として完成されていることと、そういう意味で全国版というか普遍的な物語だということだ。大江山における鬼退治、いわゆる源頼光(みなもとのよりみつ)や渡辺綱(わたなべのつな)ら四天王による酒呑童子征伐は玖珂耳之御笠伝説、麻呂子親王伝説の時代よりずっと下がり、平安時代中期のこととされている。玖珂耳や麻呂子伝説が丹後のローカル色豊で、ヤマト政権が地方の金属にからむまつろわぬ豪族を制圧したという予想が素直に成り立つのに対し、酒呑童子伝説はメジャーな伝説で各地にその足跡を残し、様々な説話や史実が渾然一体となしており、その原像が何かといういうのは把握しがたい。しかし、酒呑童子の足跡が弥彦(新潟県)、伊吹、比叡山(滋賀県)などにあり、その多くが古代金属の重要な産地であることを考えるとやはり前者二つの鬼伝説と同様の事由が伝説の起こりとなっているのではないか。Img_0366
 
弥彦神社、酒呑童子はこの南、数キロのところの分水町砂子塚で生まれたと伝えられる。

 大枝山から大江山に酒呑童子伝説が移ってきた背景には麻呂子親王伝説が既に存在していたからだろうという芦田完先生の主張は当を得ていると思う。また、金属には関係ないだろうと思っていた大枝山までが、実は隠れた鉱山が存在するという一文を見つけて(澤潔・西丹波秘境の旅)より心強く感じたのである。ではなぜ大唐内と丹後の鬼伝説が関係があるのかと思われるだろうが、私は大唐内の大蜘蛛伝説がこれら鬼伝説と同一の基軸を持つものだろうと推察するからである。つづく
(大唐内のこと(17)は2010.12.5)

今日のじょん:久々にメーがきた。この太りようにじょんもびっくり。Img_1922

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痰のつまりし 12/11

2010-12-12 | 日記・エッセイ・コラム

2010.12.11(土)曇

 テレビドラマはあまり見ることはないのだが、「坂の上の雲」が始まるというので楽しみにしている。自転車旅行で松山を訪れたのは2007年4月27日で一泊だけして大洲に向かった。GWの都会松山は好きになれなかった。というより長旅を続けていて、都会に嫌悪感さえ憶えるようになっていたからだ。地方の小さな町や田舎の村々では訪れても自分の主体性が感じられるのだけれど、都会だとなにかお客さまみたいでよそよそしく落ち着かない感じがする。だから松山より大洲や宇和島がいいわけだ。
 ところが松山を訪れた時は特別な日であった。私が松山を後にした28日に坂の上の雲ミュージアムがオープンしたのだ。記念だし行ってみようかと思ったが、行列と人混みできっと嫌な思いをするだろうと、正岡子規記念館を訪れたのである。予想通りがらがらで、落ち着いてゆっくりと巡ることができた。
 「糸瓜咲き 痰のつまりし 佛かな」有名な辞世の句となった糸瓜三句の直筆のものが展示してあり、いたく感激した。Img_4839 Img_4842
 
直筆の糸瓜三句と記念館前の石碑。



「坂の上の雲」は実は読んだことが無く、今後も読みそうにないのだが、妙なことが記憶に残っているので書いてみた。それは高校生の時なんだが、好きな先生でもなくむしろ嫌いなタイプの先生で、確か世界史の先生だったと思うが単調でおもしろくも何ともない授業の途中に「坂の上の雲」の話が出たのである。「先の大戦は日本の侵略戦争だが、日清日露の戦争は様子が違う。大国から日本を守る戦争であり、日本人はもっと自信をもたなければいかん。「坂の上の雲」はそういうことが書かれているから読んでみなさい。」というようなことを言われたと思う。その先生について憶えていることはそれだけなんだが、妙に記憶に残っているのである。

【作業日誌 12/11】
ガーデンシェッド側のパネル作製

今日のじょん:恐怖の朝が来た。ゆうべのままぐったりしていたらどうしようと、こっそり起きてみる。サークルから出てきて尻尾振ってる。とりあえずいつもどおりだが、何となく弱々しい。おしっこうんPをさせるが、おしっこのみ、何も食ってないからまあいいか。散歩に出るといくみちゃんが居るせいか、いつもの元気が出ている。昨日食べていた草も食べない。ぽんぽこぽん、けーとくちんをして朝ご飯をやるといつものように食べる。あーよかった、大丈夫みたいだ。Img_1914Img_1915


散歩とけーとくちん。
 

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ガーデンシェッド(6) 12/10

2010-12-11 | DIY

2010.12.10(金) 晴

 この二日間で棟上げをしようと頑張るが、結果は少しも進まずがっかりする。明日は雨天が予想されているし今日きゃない。ハウツー本では工期数日と書いてあるが、とてもそんなもんじゃない。その理由は充分に解っている。これは今後反省すべき点もあるので書き留めておこう。
(1)今回の小屋づくりのひとつの目的は、今まで揃えたがまるで使ってない電動工具などを充分に使いこなせるよう利用することである。その最たるものはトリマーである。これは憶えのある人も多いと思うが、その理由は日本古来の道具ではなくて、いかにもアメリカ的な道具だからだ。2×4工法もそうだが、やたら釘を打ちまくって(ここではコーススレッドというのかな)無理矢理組み立てるというやりかたや、トリマー、ルーターのように電気の力で無理矢理削って自らが求める形にするのは日本人としては抵抗があるようだ。しかし使いようによっては、素人の我々には絶対になし得ない加工が簡単にできるという素晴らしいメリットがある。取説やハウツー本をめくりながらの作業なので時間がかかるのはやむを得ない。ドアや窓枠の作製も楽しみである。
 同時に古来の道具、特に墨付けや罫書きなどを初めて使った。いやあ先人の知恵というのは素晴らしい。単純な構造で正確な仕事が出来る。

(2)今回初めて使用する材料が多く、買い付けや使用法に手間取っている。
ルーフィング、アスファルトシングル、シングルセメント、シングル釘、水切り金具、OSB合板、アクリル板、相ざね杉板など。例えばアスファルトシングルなどどのくらい必要なのか解らず、とりあえず張ってみなければ解らない。OSB合板も各社値段も違うが見栄えも違い、外壁に使うべき見栄えのよいものを床に張ってしまった。
杉板も下地の合板無しでいきなり外壁に使おうと思っていたら、やたら薄くて、いわゆる化粧板だった。こんなんなら分厚い杉板買ってかんな掛けすりゃあよかった、などと失敗も多くある。なるべく手元にあるものを使って節約と考えているが、とっくに予算をオーバーしてしまった。Img_1918

ここまですんのに何日かかってんねん。

(3)サイズが特殊なため無駄が多く、手間取っている。
空き地を有効に利用することと、屋根の最高部の高さが制限されるため非常に中途半端なサイズとなっている。縦1150mm、横1600mm、高さ最長2050mm、最短1700mmというのは、2×4材を使うにも、合板を使うにも中途半端で、カットの手間、不要な柱、端材の多さなど時間的にも経済的にも無駄が多い。やむを得ないとはいえ、こういうのが効率的に行える設計が必要だと痛感する。

(4)母屋の窓があるため屋根の高さに制限があるうえに、屋根に頭を打たないようするために垂木を構造材に組み込んでしまうこととした。これが造りを複雑化し、強度的にも問題があり大変手間取ることとなった。これは実験的にやったことだが、今後は合理的でないのでしないこととする。
 文にすると何のことか解らないと思うけど、よーするに思慮が浅くて不必要な手間を掛けているということだ。まあ、素人の第一歩ということで大目に見ていただきたい。

【作業日誌 12/10】
ガーデンシェッド、横パネル作り

今日のじょん:夕方までいくみちゃんが来て大はしゃぎだったが、お風呂から帰ってきたら、様子が一変、元気が無くて食事もしない。この春の絶食事件があるので、一同しょぼんとしてしまう。風雨の日に留守番さしたのが悪かったのか、雨が続いてレインコート着せたのが悪かったのか、とにかく神経質なじょんなので参ってしまう。Img_1909_2

朝はぽんぽこジャンプなんぞしてはしゃいでいたのだが、、、。

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雨読 酒呑童子の誕生(2) 12/9

2010-12-11 | 歴史・民俗

2010.12.9(木)雨

 ここで思い起こすのが、「蛇」(吉野裕子著)と「知られざる古代 謎の北緯三四度三二分をゆく」(水谷慶一著)といういずれも雨読で紹介した2冊の書なんだが、どちらも民俗、歴史に関する書で金属とは切っても切れない地域、項目を主題としながらも金属についてはまるで無視している2冊なのである。後者については真弓常忠氏が「古代の鉄と神々」の中で徹底的に批判されているので、これも雨読の中で紹介している。これらの本に出合って、アンチ金属という立場を取ることによって研究者、或いはライターとしての特異性とか独立性を強調しているのかなあという穿った見方をしてしまうのだ。この2冊が無視という立場を取っているに比して、高橋氏は鉱山師や鍛冶職が酒呑童子説話の発生論として問題にならないとして否定している。あとがきの中で、「ここまで本書を読んでこられた読者には、その理由も明らかなはずである。」と述べられている。私には少しも明らかでないのだ。Img_1917

アンチ金属三部作。


 大江山には現に鉱山があるではないかという声に対して、日本冶金のニッケル鉱山のことを書いておられるが、これはニッケル鉱山が近世のもので、説話の原題となるべき古代の鉱山とは無縁であるとおっしゃりたいのだろうか。大江山の鉱山は与謝野町側のニッケル鉱山と福知山市側の銅、鉄の河守鉱山があり、タタラ跡なども多く見られるそうだ。ニッケル鉱山の存在を持って、大江山の鉱業が近世のものと思わせるのは詭弁としか思えない。
Img_2913
このズリの下にも過去の金属の遺跡が埋もれているとか聞く。
河守鉱山跡。


 本書と相反するのが、「鍛冶屋の母」(谷川健一著)(雨読2010.11.9)である。
鬼=鉱山師、鍛冶師というのはもっとも理解しやすい構図であると思う。酒呑童子伝説の形跡のあるところが弥彦(新潟県)や伊吹(滋賀県)など古代の重要な銅や鉄の生産地であることは見逃せない事実であるし、大江山もけっして近世にはじまった鉱山ではないだろう。そして私も予想していたことだが、山城国境の大江山(大枝)にも鉱山の形跡があるそうだ。(西丹波秘境の旅・澤潔著)終

今日のじょん:今日は久々にお留守番をした。天気が荒れそうで心配なので、ペットゲートを開けておいたが、果たして大荒れで雨風、雷まであったそうだ。心細かったと思うが、いくみちゃんが来たので、すっとんだみたいだ。

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雨読 酒呑童子の誕生(1) 12/8

2010-12-10 | 歴史・民俗

2010.12.8(水)曇

 「酒呑童子の誕生」(高橋昌明著)中公新書、1992年発行、売価680円、購入価100円。
 丁度丹波丹後の鬼伝説について記事を書いているところなのでタイムリーな読書であった。私は鬼伝説=鉱山派なので本書にいう鬼=痘瘡神というのに大変興味を持った。私が鬼伝説=鉱山というのにはいくつかの理由があってのことだが、ここで述べるのは趣旨ではないのでいづれ項を改めて書くことにする。かなり一般的と言われる鬼伝説=鉱山説に抗して痘瘡神とは、いやはやいろんな考え方があるものだと思って手に取った次第である。著者の高橋氏は発行当時、滋賀大学教授で中世史を専攻されている。ことが起こったのは古代でも、説話として完成するのは中世になるケースが多く、中世に詳しい著者が具体的な例をもって説話の成り立ちについて説明されている。なるほど説話というものがこのようにして出来上がっていくものかと手に取るように理解できるのだ。
 酒呑童子の元々の発生は丹後の大江山でなく、山城、丹波国境のいわゆる大枝山であることもうなづける。その場合、酒呑童子は痘瘡神、つまり都に災いをなす疫病の鬼あるいは都の外界となる地域の鬼という考えは納得がゆく。
 しかしそれが丹後の大江山に移った場合、酒呑童子像というものは変わらざるを得ない。高橋氏は否定しているが、麻呂子親王伝説が丹後に存在して居てこそ、酒呑童子は丹後の大江山に移ってきたという芦田完先生の説を私は信頼する。
高橋氏は麻呂子親王伝説が勧進活動によって成長、流布された、あるいは麻呂子親王伝説と酒呑童子伝説はその成立が同時期だという理由で芦田先生以来の説を否定している。高橋氏の言われることはもっともだと理解できるのだが、そのことが芦田説を否定することには結びつかないように思う。Img_1894
 
左は金属肯定派、右は金属否定派。


 「酒呑童子の誕生」というのは、酒呑童子がどこで生まれてどうなったかということではなくて、酒呑童子伝説がどのようにして出来上がってきたかを述べられている訳である。日本と中国のあらゆる説話、史実、寺院や士族の都合が渾然一体となって完成された伝説である。その子細をつまびらかに収集、検討されているという点では類を見ない秀逸な書である。しかしながら怨霊、盗賊、水神などあらゆる正体を検証されながら、鉱山師、鉱山労働者という視点を頑迷に否定されるのは如何なるものだろうか。つづく


今日のじょん:しかしまあ、一日よく寝るなあと思わせる。朝は早くから起きて散歩や食事をするんだけど、その後は夕方の散歩までほとんど寝ているのだから、、、。なにか気配があったらすぐに起きるのだから、実は寝ている訳じゃ無いのだろうか。Img_1886
 
おっさんじょん。

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ガーデンシェッド(5) 12/7

2010-12-07 | DIY

2010.12.7(火)雨

 土台が出来てから一月近く、この間なぜか作業が進まなかった。パネルを作るに当たって、梁をどうするか、屋根の角度はどうするか等と悩んでいる間に時間が過ぎてしまったということだろうか。天気の都合もあるが、これだけの物を作るのは店の手空き時間に出来るというものではない。定休日にやることとなるが、買い物や畑仕事など優先的な仕事が多いことと、日中が最も短い時期であることも作用している。
 言い訳がましいことはこのくらいにして、11月11日以降できたのは、床張りと後背部のパネル作製のみである。なんとか年内の完成目指してピッチを上げたい。この間の作業を案内しよう。日付は写真の日付で実際のものとは異なる。

(1)床板をカットする。11月16日Img_1741
DIY参考書のとおりOSB合板を使ったが、これって土足で歩いたら剥がれてきそうな感じ。そうでなくとも水こぼしたりしそうな感じだし。K子ちゃんが出入りの大工さんに聞いたところによると下からの湿気で床がやられるので、表面がコーティングされた耐水性のコンパネを使うとか、、、。うーむ、湿気はやばい、特に上林の湿気は、かびばやしというほどだからバカにしてはいけない。しかもだ我が家のガーデンシェッドは北側で、ほとんど陽の当たらない場所なのだ。OSB合板なんてあっという間に湿気にやられそうだ。そうなっても張り替えは効かない、やむなく下側には防腐剤を塗る。上面はパネルカット工場から出たボードを置いてもいいかな。
カットには以前につくった治具が役に立つ。

(2)床板を張って、中蓋の枠を付ける。12月5日
床下に下水の蓋があるので、開けられるように中蓋を作る。枠を塩ビのアングルで作ったが、簡単に割れてしまうのでよろしくない。金属にすべきだった。
床板は周囲についてはパネル組み立ての際に多量のコーススレッドを打ち込むので、極少量の位置決め程度のコーススレッドを打つ。背面のパネルは本日完成、あまりの重さに驚く。大きな小屋を作る際は一人で作業する場合、かなり考えて作らないと組み立てられないぞ。Img_1879 Img_1880




(3)屋根の角度を出す。12月6日Img_1888
屋根は梁によって隙間が出来ないようにしたいため、かなり工夫が必要。勾配は実測で測るしかない。斜めカット用の治具を作る。


(4)窓作製。12月7日Img_1897
残り三面のパネル作製の予定だったが、雨のため窓作製に変更、窓は二箇所とドアに一箇所の予定。1×4材にトリマーで溝を切り、市販のアクリル板をはめ込むのだがどうもこういう細かい仕事は苦手。じっかんさんの苦労がよくわかる。一日かかって窓ひとつだけ、これに枠を造り、網を付けるのだがもう1日かかりそう。こんなこっちゃ年内は難しそう。あせるぜK子ちゃん。

今日のじょん:今日は雨で出来なかったのだが、連日ぽんぽこジャンプの特訓が行われている。昨日の写真だが故障中のカメラの割に上手く撮れたのでご披露する。Img_1883

 

 

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じょんのび通信・植木市 12/6

2010-12-07 | 日記・エッセイ・コラム

2010.12.6(月)快晴

  じょんのび植木市やってるよ。なんてったって無料だから、なんでんかんでん持って行ってよ。Img_1844
 てなわけで舞鶴の山田さんが手塩にかけて育てた花木を頒布しておりやす。
アヤメ、紫式部、キンシバイ、金のなる木、ソテツ、オモトなど色々あるよ。早い者勝ちだけど、アヤメや紫式部などは追加ありということだ。
12月の9
~11日はお休みなので8日、12日以降に来店して頂戴。どーしてもって方は電話いただければ取っておく方法もあり。
Img_1887
こんな感じで大評判。



【作業日誌 12/6】
ガーデンシェッド、パネル作製

今日のじょん:いよいよじょんカレンダー最終月となるが雪が降るわけで無し、12月らしい物が無い。クリスマスらしいのを撮ろうと思うが、とにかくカメラというカメラが故障中なのでいい写真が撮れない。結構悩むのよね。

Img_1893
暗いんだよねこれ。 

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大唐内のこと(17) 鬼伝説 12/5 

2010-12-07 | 歴史・民俗

2010.12.5(日)快晴

「大江山鬼神幻景」(日本の鬼の交流博物館発行)の中に麻呂子親王に討たれた三鬼について考察している。
 鬼の総大将は「英胡」であり、”胡”とは匈奴や鮮卑(せんぴ)など中国北部の非漢民族をさし、広くは外来の敵をさす。このことは麻呂子親王が北狄(ほくてき)大将軍と呼ばれたこと(斎明神縁起)や、征新羅大将軍に任命された(大日本史)ことと対応しているとされる。なお、北狄とは中華思想に基づいて周辺の国々を軽視して、東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)などと呼んだひとつで、粛愼などのツングース系の民族だと言われている。征新羅大将軍に任命されたことなどは、麻呂子親王伝説の裏に、古代大陸との対立抗争が潜んでいるのかもと書かれている。また、ツングース系の民族が製鉄の民族であることにも言及している。
 聖徳太子が大陸に対しかなり強気であったというようなことは読んだことがあるが、麻呂子親王伝説が完成されるについて、中国の説話や思想が流入していることは明らかで、おそらく中華思想にもとづく命名なのではないだろうかと私は思う。大江山が都の北方に位置するのでそう呼んだのかもしれない。Img_2905
 
大江山の鬼の正体は何か?


 次に迦楼夜叉(軽足とも表記)については、夜叉というのがインドの鬼神ヤクシャの漢訳で、日本では仏教の守護神と言われている。麻呂子親王の時代は仏教が伝来して間もなくで、仏教と関わりのある名が出てくるのはただ者ではないという風に書かれている。これとて、その時代に迦楼夜叉の名が付いたのならそのとおりだが、説話というのがかなり時代が下がってから成立しているので、夜叉の名が出てきても不思議ではないと私は考える。「大江山鬼神幻景」では夜叉についてのみ記されているが、むしろ注目すべきは迦楼、軽の部分ではなかろうか。カル、カリというのは金属の銅を表すことである。このことの詳細は後に書くこととしているが、迦楼(かる)の原義が銅である可能性は無きにしもあらずと私は考えている。
Img_2893
大江山、河守鉱山(こうもりこうざん)産出の銅鉱

 
 最後に土熊、土車だが、これは土蜘蛛(つちぐも)つまりまつろわぬ者の賤称であることは誰もが気づくことだろう。
 これらの説をつなげると、麻呂子親王伝説はヤマト政権から派遣された麻呂子親王が都の北方に勢力を持ち、銅などの金属の技術を持つ政権に服従しない先住の豪族を討伐したということとなろう。つづくImg_1894
(大唐内のこと(16)は2010.12.3)

鬼力話伝に(日本の鬼の交流博物館発行)には麻呂子親王伝説の詳しい内容が記されている。 

【作業日誌 12/5】
ガーデンシェッド、パネル作製

今日のじょん:朝の散歩時は丁度折山から朝日が昇るときである。いいカメラと良い腕があったら素晴らしい写真が撮れるんだが、ナアじょんよ。Img_1874 Img_1876

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柚子を植える 12/4

2010-12-05 | 日記・エッセイ・コラム

2010.12.4(土)快晴

 昼間は妙に暖かい。小春日和というやつか。この間にガーデンシェッドの作製を急いでいるが、遅々として進まない。K子ちゃん2日もあればと息巻いていたが、後背部のパネル作るだけでもう3日もかかってるんだぜ。大体ミーハー向けの施工マニュアル本の施工日数はインチキである。アマチュアが物を作ると言うことがどういうことか解って書いてるのかといぶかしく思う。
 さて、話変わっていつも言っている田舎の贅沢の話である。都会で消費生活をしていると絶対に買ってまで食べない食べ物が食べられたりすることがとても贅沢である。昨日もキクイモなるものをいただいて食したが、その前にはヤーコンという物をいただいた。シシ肉だって滅多に食べないものを毎冬食している。ぎんなんも毎夕ビールのあてに食ってるし、今日は上林特産の栃餅を頂いた。
 今一番贅沢だと思うのは柚子風呂で、11月1日から毎夜柚子風呂をしている。Img_1870 都会にいるときは、12月の末に愛宕山に登り、もう仕舞いかけの柚子を一かご200円で買ってきて入るだけだった。今年は豊作でふんだんに手にはいるのだが、我が家に植えた一年柚子も実が付き始めて、年を越しても入れそうだ。Img_1648Img_1873_3
 
鈴なりの本柚子と三年ぶりになった一年柚子。


ところが一年柚子は実が小さいだけに臨場感に乏しく、やはり大実の柚子がいい。いまのところお隣の森井さんに頂いているのだが、やはり我が家に欲しいものだ。苗木を見ていたんだが、1,000円~1,400円ぐらいが相場のようでちと抵抗がある。先日やや難あり商品を700円で売っていたので早速買ってきて、本日植え付けた。自分とこの柚子で柚子風呂をするというのはまた一段と贅沢な気がするのだが。Img_1872

立派な柚子に育ってくれい。


 【作業日誌 12/4】
大実柚子植え付け
ガーデンシェッドパネル作製

今日のじょん:小春日和はこっちが涼しいのよね。Img_1868

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大唐内のこと(16) 鬼伝説 12/3

2010-12-04 | 歴史・民俗

2010.12.3(金)雨、曇

 麻呂子親王とは如何なる人物か。麻呂子親王は実在の人物である。用明天皇と葛城直磐村の女、広子との間の子で聖徳太子の異母弟にあたる。聖徳太子の政治の実動面を果たしたと見られている。麻呂子親王伝説は日本の鬼の交流博物館の発行する、「大江山鬼神幻景」という冊子に詳しい。大江山に遠征して「英胡」(えいこ)「迦楼夜叉」(かるやしゃ)「土熊」(つちくま)という三鬼を退治したというものである。
清園寺縁起絵や仏生寺縁起などに伝説が残っているのだが、その特徴は丹後を中心に各地に地名の由来などとともに伝説が残っていることと、七仏薬師信仰と深く関わっていることである。Img_1871
 日本の鬼の交流博物館には酒呑童子や麻呂子親王伝説に関する冊子が用意されている。


 綾部市における麻呂子親王伝説は志賀の七不思議と言われる志賀郷の伝承に残されている。西方の宝満寺に七不思議の由来を記した古文書があり、そこに麻呂子親王の鬼賊退治のことが記されているそうだ。また麻呂子親王が志賀郷の五社を厚く信仰されたということで、藤、茗荷、萩、柿、竹をお手植えになったということだ。Img_2045
 茗荷神事の行われる茗荷田(阿須々伎神社)



 さて、この麻呂子親王伝説は何を表しているのかと考えると、やはり玖珂耳之御笠同様大和朝廷が丹波地方のまつろわぬ豪族を征討したというのが妥当な考えだろう。
 麻呂子親王が退治した鬼の名称はなかなか興味深い。各文書によって少しずつ違うので紹介しよう。

清園寺略縁起 奠胡(てんこ)、迦楼夜叉(かるやしゃ)、槌熊(つちくま)
清園寺古縁起 天鼓(てんこ)、軽夜丹(かろやに)、土熊(つちくま)
          五月姫(さつきひめ)
仏性寺縁起  英胡(えいこ)、迦樓夜叉(かるやしゃ)、土熊(つちくま)
宝満寺古文書 焔光(えんこう)、駆足、地車
斎明神縁起   鰾古、軽足、土車
※かなのうってないのは書かれていないため、悪しからず。

これらを見ると少しずつ違うのだが、五月姫を除いて概ね同じ名のものを表現しているようである。「大江山鬼神幻景」に三鬼の名称の意味について考察されている箇所があるので次回に紹介しよう。つづく (大唐内のこと(15)は2010.12.1)

今日のじょん:夕べは強風が吹き荒れた。じょんの一番苦手な風である。風の音や物が当たって鳴る音、木々が揺れたりする景色を極端に怖がる。サークルは窓の近くで怖がるのでそういう夜はペットゲートを開けてやり、居間の真ん中で眠っている。Img_1461

この辺がベストポジション(2010.10.3)

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山ガール・畑ガール 12/2

2010-12-02 | 日記・エッセイ・コラム

2010.12.2(木)晴のち曇

 弥仙山登山の記事で山ガールのことを紹介したが、昨晩のクローズアップ現代で畑ガール、番組の中ではこのような表現は使っていなかったが、のことを紹介していた。若い女性層が近郊に貸農園を借りて、野菜作りを楽しむというものである。もちろん女性だけでなく、都会に住む若い人たちが土に親しみ、自らの手で野菜などを栽培することに生きがいを感じ、近郊の貸し農園で週末を楽しんでいるということだ。その根底には食への安全、物を育てることへの楽しみなどがあるようだが、若者向けの雑誌などの媒体も大きく影響しているようだ。商業ベースで、カラフルな畑ファッションや、おしゃれな農具、農機などもどんどん売りだされていて滑稽な感じもする。
 数年前、ロシアのダーチャの記事を雑誌で読んだことがある。ダーチャとは菜園付簡易住宅というような意味で、週末をそこで過ごして野菜作りを楽しむといったようなものだ。大人気で、週末ともなると都会から地方へ交通渋滞が起きるほどだという記事だった。Img_1772
 じょんのびファームもダーチャに毛が生えたようなものだ。

 一番踊っているのは、近郊の農地をもてあましている農家で、耕作放棄地となっていた農地が坪数千円の貸し地となるのだから大変だ。こんなおしゃれな服装で鍬を振っているギャルの様子を見て、農家の方はどう思うのだろうか。きっと、一過性の流行に踊らされてバカバカしいという風に思われるだろう。しかし、そういった週末農業を楽しむ人の数が、実際の農業人口と同じぐらいあるとしたら、これはバカに出来ない数字である。彼らの作り出す農作物は統計上の自給率としては表面に出てこないのだろうけど、ひょっとしたら0.数%ぐらいはあったりして。
 私も最初はバカにしていたけれど、これってなかなか意味があるなあと感じ始めた。インタビューの中である女性が、食べ物の生産地や農薬のことを気にするようになったこと、不揃いの野菜や虫食いの野菜を見直すようになったことなどを答えていた。NHKの解説者が、行き詰まった日本の農業の救世主となるかなどと持ち上げていたが、まさかそこまでは言えないとしても、ひとつの文化として定着してもいいのかなあと思う今日この頃である。

【作業日誌 12/2】
キクイモ植え付け
ガーデンシェッド、後背部パネル作製

今日のじょん:猟期が始まったというのにイノシシ君はお構いなしである。大体猟期が始まると姿を消すのが従来の形なんだけど、今秋は異常である。じょんと朝の散歩はイノシシ掘削跡の確認である。実は新たな土器の発見がないかなあと思ってる次第だ。長岡京や向日市では住宅建築工事の都度遺跡の調査があるが、上林ではイノシシの暴れた都度調査が出来る。Img_1863 Img_1864
 
毎日掘りまくられて、道も壊れそうだ。

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