晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

ガーデンシェッド(5) 12/7

2010-12-07 | DIY

2010.12.7(火)雨

 土台が出来てから一月近く、この間なぜか作業が進まなかった。パネルを作るに当たって、梁をどうするか、屋根の角度はどうするか等と悩んでいる間に時間が過ぎてしまったということだろうか。天気の都合もあるが、これだけの物を作るのは店の手空き時間に出来るというものではない。定休日にやることとなるが、買い物や畑仕事など優先的な仕事が多いことと、日中が最も短い時期であることも作用している。
 言い訳がましいことはこのくらいにして、11月11日以降できたのは、床張りと後背部のパネル作製のみである。なんとか年内の完成目指してピッチを上げたい。この間の作業を案内しよう。日付は写真の日付で実際のものとは異なる。

(1)床板をカットする。11月16日Img_1741
DIY参考書のとおりOSB合板を使ったが、これって土足で歩いたら剥がれてきそうな感じ。そうでなくとも水こぼしたりしそうな感じだし。K子ちゃんが出入りの大工さんに聞いたところによると下からの湿気で床がやられるので、表面がコーティングされた耐水性のコンパネを使うとか、、、。うーむ、湿気はやばい、特に上林の湿気は、かびばやしというほどだからバカにしてはいけない。しかもだ我が家のガーデンシェッドは北側で、ほとんど陽の当たらない場所なのだ。OSB合板なんてあっという間に湿気にやられそうだ。そうなっても張り替えは効かない、やむなく下側には防腐剤を塗る。上面はパネルカット工場から出たボードを置いてもいいかな。
カットには以前につくった治具が役に立つ。

(2)床板を張って、中蓋の枠を付ける。12月5日
床下に下水の蓋があるので、開けられるように中蓋を作る。枠を塩ビのアングルで作ったが、簡単に割れてしまうのでよろしくない。金属にすべきだった。
床板は周囲についてはパネル組み立ての際に多量のコーススレッドを打ち込むので、極少量の位置決め程度のコーススレッドを打つ。背面のパネルは本日完成、あまりの重さに驚く。大きな小屋を作る際は一人で作業する場合、かなり考えて作らないと組み立てられないぞ。Img_1879 Img_1880




(3)屋根の角度を出す。12月6日Img_1888
屋根は梁によって隙間が出来ないようにしたいため、かなり工夫が必要。勾配は実測で測るしかない。斜めカット用の治具を作る。


(4)窓作製。12月7日Img_1897
残り三面のパネル作製の予定だったが、雨のため窓作製に変更、窓は二箇所とドアに一箇所の予定。1×4材にトリマーで溝を切り、市販のアクリル板をはめ込むのだがどうもこういう細かい仕事は苦手。じっかんさんの苦労がよくわかる。一日かかって窓ひとつだけ、これに枠を造り、網を付けるのだがもう1日かかりそう。こんなこっちゃ年内は難しそう。あせるぜK子ちゃん。

今日のじょん:今日は雨で出来なかったのだが、連日ぽんぽこジャンプの特訓が行われている。昨日の写真だが故障中のカメラの割に上手く撮れたのでご披露する。Img_1883

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じょんのび通信・植木市 12/6

2010-12-07 | 日記・エッセイ・コラム

2010.12.6(月)快晴

  じょんのび植木市やってるよ。なんてったって無料だから、なんでんかんでん持って行ってよ。Img_1844
 てなわけで舞鶴の山田さんが手塩にかけて育てた花木を頒布しておりやす。
アヤメ、紫式部、キンシバイ、金のなる木、ソテツ、オモトなど色々あるよ。早い者勝ちだけど、アヤメや紫式部などは追加ありということだ。
12月の9
~11日はお休みなので8日、12日以降に来店して頂戴。どーしてもって方は電話いただければ取っておく方法もあり。
Img_1887
こんな感じで大評判。



【作業日誌 12/6】
ガーデンシェッド、パネル作製

今日のじょん:いよいよじょんカレンダー最終月となるが雪が降るわけで無し、12月らしい物が無い。クリスマスらしいのを撮ろうと思うが、とにかくカメラというカメラが故障中なのでいい写真が撮れない。結構悩むのよね。

Img_1893
暗いんだよねこれ。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大唐内のこと(17) 鬼伝説 12/5 

2010-12-07 | 歴史・民俗

2010.12.5(日)快晴

「大江山鬼神幻景」(日本の鬼の交流博物館発行)の中に麻呂子親王に討たれた三鬼について考察している。
 鬼の総大将は「英胡」であり、”胡”とは匈奴や鮮卑(せんぴ)など中国北部の非漢民族をさし、広くは外来の敵をさす。このことは麻呂子親王が北狄(ほくてき)大将軍と呼ばれたこと(斎明神縁起)や、征新羅大将軍に任命された(大日本史)ことと対応しているとされる。なお、北狄とは中華思想に基づいて周辺の国々を軽視して、東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)などと呼んだひとつで、粛愼などのツングース系の民族だと言われている。征新羅大将軍に任命されたことなどは、麻呂子親王伝説の裏に、古代大陸との対立抗争が潜んでいるのかもと書かれている。また、ツングース系の民族が製鉄の民族であることにも言及している。
 聖徳太子が大陸に対しかなり強気であったというようなことは読んだことがあるが、麻呂子親王伝説が完成されるについて、中国の説話や思想が流入していることは明らかで、おそらく中華思想にもとづく命名なのではないだろうかと私は思う。大江山が都の北方に位置するのでそう呼んだのかもしれない。Img_2905
 
大江山の鬼の正体は何か?


 次に迦楼夜叉(軽足とも表記)については、夜叉というのがインドの鬼神ヤクシャの漢訳で、日本では仏教の守護神と言われている。麻呂子親王の時代は仏教が伝来して間もなくで、仏教と関わりのある名が出てくるのはただ者ではないという風に書かれている。これとて、その時代に迦楼夜叉の名が付いたのならそのとおりだが、説話というのがかなり時代が下がってから成立しているので、夜叉の名が出てきても不思議ではないと私は考える。「大江山鬼神幻景」では夜叉についてのみ記されているが、むしろ注目すべきは迦楼、軽の部分ではなかろうか。カル、カリというのは金属の銅を表すことである。このことの詳細は後に書くこととしているが、迦楼(かる)の原義が銅である可能性は無きにしもあらずと私は考えている。
Img_2893
大江山、河守鉱山(こうもりこうざん)産出の銅鉱

 
 最後に土熊、土車だが、これは土蜘蛛(つちぐも)つまりまつろわぬ者の賤称であることは誰もが気づくことだろう。
 これらの説をつなげると、麻呂子親王伝説はヤマト政権から派遣された麻呂子親王が都の北方に勢力を持ち、銅などの金属の技術を持つ政権に服従しない先住の豪族を討伐したということとなろう。つづくImg_1894
(大唐内のこと(16)は2010.12.3)

鬼力話伝に(日本の鬼の交流博物館発行)には麻呂子親王伝説の詳しい内容が記されている。 

【作業日誌 12/5】
ガーデンシェッド、パネル作製

今日のじょん:朝の散歩時は丁度折山から朝日が昇るときである。いいカメラと良い腕があったら素晴らしい写真が撮れるんだが、ナアじょんよ。Img_1874 Img_1876

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする