晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(20) 鬼伝説 12/17

2010-12-17 | 歴史・民俗

2010.12.17(金)快晴

 (2)有安の弓の名人
 奥上林村誌の大蜘蛛伝説をもう一度紹介してみよう。
 

 
時代は詳かではないが睦寄の里に、悪な武家くづれが徘徊、暴力勝手の振舞に人々は殊の外に難渋し不安の毎日を送った。其の頃有安に藤元善右衛門と云ふ弓の名人あり、人びとの苦しみを絶たんとして一日山上より矢を放って悪人の胸板を貫き名声は頓に上がった。(射殺現場の有安の畑の一隅には石塚が現存する)
 この頃大唐内の大くも谷に大蜘蛛一族が棲み、暴ぎゃくをほしいままににした。安住の危機に直面した住民はひそかに善右衛門に救いを請うた。義侠の雄善右衛門は求めに応じて大くも一族と対決し、終に其の神技によって悪霊を退治した。住民は後難を慮り一社を建立してねんごろに其の霊を弔ふ。大くも神社(現在の聖大明神)が即ちこれである。

 
そのまま読んでみると、丹波志にある文とは幾分相違があるようだ。前半部分は丹波志にはまるでないし、「時代は詳かではない」と言いつつも「武家くづれ」などと書かれ中世以降の事のように書かれている。睦寄で暴れていた「武家くづれ」が有安で殺されているというのも少し変に感じる。この石塚というのは有安にある「や神さま」のことだろう。奥上林地域振興協議会の発行されている「おくかんばやしイラストマップ」には「や神さまと弓の名人の墓」として次のように紹介してある。

 狼藉を働き、百メートル離れた山上から「や(脇腹)」に矢を射られたろくぶ(君尾山の僧兵のワルとみられる)は「『や』の悪い人を救う」と言って息絶えた。村人は墓標を建て「や」が痛むと祈った。有安の中心地にあり「や神」さんと呼んでいる。弓の名人は藤元善右衛門。村を見おろす山上に墓がある。

 「や」というのが脇腹というのは初めて知った。方言辞典でも国語辞典でも漢和辞典にも載っていない。この話がどのような文書にあるのか不明なんだが、墓があったりして、実在の人物のようである。もちろん藤元家というのも現在まで脈々と続いている。や神さまも何度か訪ねていったが、道を走ってるだけでは解らなかった。今度は人に尋ねて探してみよう。
 何となく丹波志にある大蜘蛛伝説と藤元氏の山上から悪者を射たという話は別物で過去からある大蜘蛛伝説に藤元氏の高名が重なって同一の伝説となったような感じがする。しかしながら、大唐内と有安の間に深い関係があることには間違いない。つづく(大唐内のこと(19)は2010.12.15)

【作業日誌 12/17】
ガーデンシェッド左側パネル作製

今日のじょん:上林に初雪が降った。といってもうっすら白くなった程度で、8時になると跡形もなくなった。じょんも喜んで駆け回るというほどではなさそうだ。
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コメント
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