晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(76) 丸山とイモリ村 9/3

2011-09-03 | 歴史・民俗

2011.9.3(土)雨、台風12号

 丹波負笈録の丸山に関する文を考察してみよう。
 サントラ岩は柱状節理の岩塊が俵のように積み重なっているものであるが、その奇妙な名前は桟俵(さんだわら・米俵などの蓋の部分)から来ていて、三俵山、サントウ山など同様の呼び方と思われる。ただ桟俵が何時の世に出来たものか分からないのだが、少なくとも稲作が定着してからのものだろうから、さほど古い山名ではないかと思う。同様に三国岳も丹後が丹波から分離した和銅6年(713年)以降の命名だろう。どちらもそれ以前の呼び名があってしかるべきと思う。
 なお、サントラ岩は若狭側の斜面にあって丹波側からは見られない。相当大きな岩壁となっていて若狭の海からも充分望むことができるだろう。ただし、岩壁周辺の植生が過去にはどうだったかという問題は残るだろう。Img_2846_2 Img_2851 Img_2847
 
 


  サントラ岩は数カ所ある。(2011.5.3撮影)

  この岩を見ることによって小浜の市が繁盛したというのは一体どういうことか。サントラ岩が積み重ねた米俵のように見え、縁起が良いと言うことだろうか。しかし小浜市から丸山のサントラ岩が見えるのだろうか。昔の人は視力が良いとか言う以前に、物理的に視覚に入るかどうかと言う問題である。それよりも次に述べる山当ての山として若狭湾に於ける漁に大きく貢献していて、小浜の魚市場が繁盛したということではなかろうか。そう考えるとサントラ岩を見ているのは海上の漁師だから納得がいく。

 海上目当ての山とは、海上の船から陸地の山や岬など二点間を見通し、船の位置や進路などを測る山当てという方法に使う山などのことである。二点間の見通しを二箇所設けることによって、自船の位置は現在と変わらぬ正確さで測れたようである。航海にも使われるが漁場の判定に使われ、山当てが出来ないと漁は出来ないとさえ言われている。
 山当ての山は遠いものと近いものが必要で、若狭湾の場合丸山は遠くの山となるのだろう。目視するため特徴的な形のものが山当て山とされるようで、より正確を期すため山上の岩峰や樹木が目印に使われたそうだ。
 青葉山や三国岳の様に高く聳えている山は当然使われたのだが、稜線上の小突起である丸山が使われたのは、やはりサンドラ岩の存在があるからではないだろうか。周りの山の色と異なった色の岩壁は目立ったと思われるし、東向きに存在するために夕方の見にくい時間帯にも西日を反射して良い目印になったのではと想像する。つづく
(大唐内のこと(75)は2011.9.2)

【作業日誌 9/3】
庭木台風対策

今日のじょん:台風の風で夜は大変、怖くて寝られないのだ。昼間は家族が一緒なのでまだ大丈夫だが、夜は雨風の音がするたびに飛び起きている。いつもしている食洗機や風呂場などの音にもいちいち反応し、ワンワンワンとやられるので堪らない。もう寝よ。Img_3626  

コワイヨ~っと困ったちゃん顔。 
 

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大唐内のこと(75) 丸山とイモリ村 9/2

2011-09-03 | 歴史・民俗

2011.9.2(金)雨

 いよいよ本題の丸山とイモリ村に入るわけだが、ここで云う丸山という山は一般には馴染みがない。私自身も三国岳は知っていたが丸山というのは知らなかった。もちろん地図上にも表記が無く、上林の住人でも知る人は少ないと思う。三国岳(616m)の南東、稜線上の小ピーク(545m)が丸山である。この単なる小突起が文献にたびたび登場し、重要視されているのは一体何なんだろう。私は小唐内から見たあの山容から何か宗教的なものがあるのではないかと想像したが、そういうものは何も見つけられなかった。まず文献の中から丸山の意義というものを探ってみたい。Img_2734

お伽噺に出てきそうな丸山の山容(小唐内から2011.4)


 丹波負笈録市茅野村の項に次の記述がある。
 
「市茅野大唐内二谷の奥サントラ山若州と両境 サントラ山ハ俵積し如
丸石ありて一俵宛の如 是ヲサントラ岩と云 俗ニ小浜の市ハ是を見る故繁昌すと云 丹波の方に二ツの鬼の穴と云あり 岩を積重たる岩穴入口四尺許 二里許奥に入て戸口あり 是より奥へ行人なし 今ハ口を破て入口なしといふ 三俵山ハ海上目当の山なり イモリガ嶽と云 
丹波ノ方麓大唐内村奥ニ鬼の洗濯場と云ナベガ滝五尺許落 滝壺丸の鍋の一間半四方 深四尺余 磨て清浄なりと云」


  サントラ山、三俵山、イモリガ嶽すべて545mのピークを指すのだろうが、ここでは丸山の名は出てこない。大唐内、小唐内の方々は普通に丸山と呼んでいて、サントラ山だのイモリガ嶽というのは「上林七里野」が出て初めて知ったと言うくらいだ。なお、市茅野では一人の方だけに訪ねたのだが、丸山というのもご存じなかった。市茅野からは丸山は見えないし、大唐内からだって見えそうにないのだ。これはいつか確認してみたい。
 大飯郡誌青鄕村概説に
  「山岳は北境に青葉山聳え、西境に吉坂峠に通じ、西南境には三國嶽(約五〇〇米)生守山又は丸山(約五五〇米)猪鼻峠(約三八〇米)並び起り、具坂を通じ、東境には寶尾通じ牧山大谷山互れり。」とある。丸山の名がやっと出てきたのだが、三国岳の標高と言い、若狭側から果たして丸い山に見えるのだろうかという疑問が沸いてくる。イモリガ嶽を生守山と表記している。

 実は今日小浜の市立図書館にこれ等の資料を調べるため出かけた。帰りに関屋の谷から若丹国境稜線がどのように見えるか試したかったのだが、生憎の台風12号の荒天で行くことが出来なかった。代わりに佐分利川沿いの村々でカメラを向けたが、果たして国境稜線が見えているのか判断もつかなかった。それにしても負笈録に云うように小浜の市からサンドラ岩が見えるものなのだろうか。
つづく(大唐内のこと(74)は2011.8.29)Img_3617

県道1号線が北陸道をくぐる辺り、遠くに霞むのが国境稜線かなあ?


【作業日誌 9/2】
台風対策

今日のじょん:雨も嫌いだけどもっと嫌いなのは風、何も揺れなくても風の音だけでビビリまくっている。雷の轟音には平気で寝ているのに不思議だなあ。と言うわけで音を出すようなものをしっかり片付けているのだが、今夜は寝られないみたい。

 
 

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