晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日吉町地名散歩(2) 9/15

2011-09-16 | 歴史・民俗

2011.9.15(木)快晴

 胡麻川、田原川、木住川、中世木川などが殿田で集まって大堰川に合流する。胡麻川、田原川は従前から訪れることがあったが、木住川は今回が初めてである。
銀、銅、硫化鉄などの鉱脈からなる舞鶴鉱山の奥、岸谷から上林の遊里に越える峠が鬼住峠(きずみとうげ)で、遊里側では木住峠(きずみとうげ)という。遊里、清水、睦志(虫)一帯の畑口川流域は金工の地、特に産鉄の地であろうと予想しているのだが、特に清水は何鹿郡の鋳物師、井関氏の居住したところである。日吉の木住川(こずみがわ)、地域は木住(こうずみ)と何か関連性がないかと訪れたわけである。Img_3694
 
大堰川本流は日吉ダムとなり、その北側に中世木川、木住川、田原川と流れている。


 木住川はスプリングスひよしから府道19号線笛吹神社周辺の陰気な風景からは想像できないほど明るい谷である。山が低いのか谷が高いのか、上林を小型にした風景である。蛇行した川に沿って稲穂が実り、裕福な感じを受けるのはなぜなんだろう。道端の古い地蔵さんも大切にされていて気持の良い谷筋である。期待した金工地名は無く、あえていえば笛吹と犬飼ぐらいか。また木住峠のある岸谷、遊里辺りとの共通の地名も見つからない。また岸谷にも遊里にも鬼伝説らしきものは確認できない。
 若尾五雄氏著「鬼伝説の研究」でその冒頭に出てくるのは鳥取県日野郡日南町の東西の楽々福神社(ささふくじんじゃ)である。ササは砂鉄を意味し、福は吹くで鉄吹き神社ということである。この地は鬼伝説もあり、金工地名も満載で、タタラ跡などの遺跡も数多い。地図を見ると南東に鬼林山という山があり、鬼伝説の舞台なのだろうか。
いろいろ想像しながら地図を繰っていると、日南町楽々福神社から東北に30Km余り、大山の麓、西伯郡伯耆町に同じ楽々福神社が存在する。しかも同じように周囲には金工を表す地名が目白押しで、楽々福神社の北2Km辺りに鬼住山(きずみやま)326mが存在し、この地に鬼が住んでいて孝霊天皇に滅ぼされたという鬼伝説がある。このあたり金屋谷などあって福知山市の大江山と同じ状況だなあと思っていたら、そこにも大江があって驚いている。
 話が横道にそれたが、その鬼住山の西麓に貴住(きずみ)と言うところがある。
つまり鬼伝説が元で鬼住山という名前が付けられたのなら、貴住も鬼住で良いのではないだろうか。鬼とは無関係に”きずみ”という地名が存在するのではないかと考えられる。舞鶴岸谷では鬼住(きずみ)、上林遊里では木住(きずみ)、伯耆町では鬼住、もしくは貴住(きずみ)という、いずれの地も金工の地である。”きずみ”という地名が鬼とは関係なく、なんらかの意味を持って存在するのではないかという気がするのだが、果たしてそれがなんなのか未だ解らない。
”こうずみ””こずみ”と発音する日吉町の木住がこれらと同類の地名であるのか、これもまた丹波霧のように杳として分からない。つづく

  今日のじょん:それでもなんとか励ましてやれば、ちょー難関コースのボールも取りにゆく。ところが手を出してボールを引き寄せ、咥えてくるまで大変、何度も何度も励ましの言葉を掛けることが必要だが、こちとらの根気が続かない。Img_3670_2






  

 

コメント
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