晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

元伊勢内宮(2) 9/21

2011-09-21 | 上林界隈(AKB)

2011.9.21(水)雨、台風15号

 神殿手前の右の山手にへそ塚と和泉式部の歌塚というのがある。へそ塚というのが如何なるものか案内もないので解らない。和泉式部歌塚というのは石垣に囲まれた小さな宝篋印塔のことを言うのだろうが、誰かの供養塔であった宝篋印塔を丹後に住まいしていた和泉式部にかけて歌塚としたものかもしれない。娘の小式部内侍が、「大江山いくのの道の遠ければ~」と詠んだことに因んだものかもしれない。Img_3767 Img_3768
 
和泉式部歌塚とへそ塚。



 参道の脇に御門神社(みかどじんじゃ)というのがあり、石室ともとれる横穴がある。穴の中にはかわらけの欠片があり、かわらけ割り神事が行われているという。厄除けの神さまといわれているが、この横穴はなんらかの遺跡という感じがする。Img_3770 Img_3771
御門神社と横穴、その内部。



 その隣に「カネのなる石」という1m程の平たい石がある。長椅子のように下に台石があり、置いてあるこぶし大の石で叩くとカンカンと乾いた音がする。Img_3769




  三流の観光地にあるようななんとも俗っぽい呼び方だが、実はこの類の石は自転車旅行中にも佐賀県、島根県で見かけた。石を鳴らすことが呪術的宗教的な意味を持っていたのかもしれないが、見たものは神社や古墳といった場所ではなく、なんでもない場所であった。佐賀県杵島郡江北町の国道34号線沿いの丘にあり、扁平ではなくかなりどっしりしている。音は驚くほど澄んだ音でカーンカーンと感激ものであった。今ひとつは松江市の松江大橋南詰めには「大庭の音のする石」というのがある。これは細長くて大きなものだが、人身御供の悲しい伝説なども伝わっている。Img_3916Img_4629 

カンカン石と大庭の音のする石。



 なぜ大庭なのか不明なのだが、大橋から南に5,6Km国道432号線沿いに大庭町という町がある。この石そのものが、あるいは人身御供の源助が大庭に関係するのか調べても解らないのだが、大庭は古墳が多くあり、その石室の一部の石なのではないかと想像する。Img_4634
 
大庭鶏塚、周辺にも大規模な古墳が多く存在する。


 話がそれてしまったが音のする石はいずれも讃岐岩、いわゆるサヌカイトと言われるものであり、石器の原材料となった石である。
 元伊勢内宮の「カネのなる石」がサヌカイトであるか否かは判断できないのだが、音はなかなか美しい音がする。もしこの扁平な石が他所から持ち込まれたものでなければ、古墳の石室などに使われていた可能性はあるのでは無かろうか。つづく

今日のじょん:雨で運動不足になっているせいかレインコート着ているにもかかわらず、散歩に行こうと言う。(言葉で言うのではなくアイコンタクトするのだ)増水が気になっていたのでカメラを持って上林川念道橋下に行く。Img_3810_2 Img_3805Img_3803
 

 

 夏前の増水時ほどではない。河川敷には降りられない。

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元伊勢内宮(1) 9/21

2011-09-21 | 上林界隈(AKB)

2011.9.21(火)雨(台風15号)

 大江町の元伊勢観光センター(KTR内宮駅前)で「秋の花々と鉱石展」をやっているので見学に行く。大江山旧河守鉱山(こうもりこうざん)の鉱石は以前鬼の博物館の展示でも見たのだが、鉱石そのものにあまり興味が無くてよく見ていなかった。今回は図鑑も持ってしっかり見てこようと出かける。台風の大雨で大雲橋からの由良川の風景も凄みがある。大雲橋を渡って左折国道175号線を福知山方面に少し行ったところ左側に過去の洪水の水位を示す表示がある。Img_3794

ここまで水が来るのだから怖ろしい。バスが孤立して記憶に新しい23号台風が上から二番目。


写真に撮ったら何が書いてあるか読めなくなったので調べて記入しておこう。
 下から、昭和40年 24号台風 11m
      昭和47年 20号台風 11m40
      平成16年 23号台風 12m98 昭和34年伊勢湾台風 12m90
      昭和28年 13号台風 14m40
と書かれているそうだ。m表示は由良川水面からの高さだろうか。
 最上段の13号台風とは上林で28水と言われている台風である。上林の被害も甚大であったが、下流の綾部、福知山、大江といった地域も相当の被害があったようだ。とにかく昭和に入ってからの水害では丹波、丹後にとって最大のものだろう。
 金屋といういかにもというトンネルを越え宮川を遡る。何度この道を通ったことだろう、しかし鉱山という意識を持って来たのは3回目である。それ以前は自転車のトレーニングコースとして来ていただけである。この谷に入っただけで、ヘルメットを被った鉱夫やたたらを吹く鉄穴師、修験者や山師の姿が浮かんできてワクワクするのである。
 元伊勢観光センターは内宮駅の下にある小さな案内所である。食事もとりたかったのだが土曜日曜のみの食堂営業ということだった。大江山周辺でとれる鉱石を展示していたが、専門家が居るわけでなく、説明用のパンフレットが置いてあるのが精一杯かとも思われる。Img_3748 Img_3754 Img_3753
 




 これだけで帰るのはもったいないので内宮と天の岩戸神社を訪ねることとする。
元伊勢内宮皇大神社は広大な境内に立派な神殿、数多くの末社、伊勢神宮と同様の施設などを備えた神社である。由緒によると今から2072年前倭の笠縫邑から当地に移り、四年後に倭に還り、諸々を経て54年後に現在の伊勢神宮の地に落ち着かれたというようなことが書いてある。
Img_3760Img_3761
本殿とさざれ石



 これが元伊勢という謂われだが先日紹介した「謎の丹波路」春木一夫氏は(2011.9.20 雨読参照)様々な説を紹介しながらも、伊勢詣でが出来ない遠隔の地に参詣しやすいようにできたものではないかと言っている。元伊勢に内宮があり、五十鈴川や天の岩戸、真名井の池などが出来ているのは、記紀による知識からで、あまりにも整いすぎている点で、イミテーションの匂いが強過ぎるとまで書いている。Img_2103 神社側や地元にとってみればとんでもない説となるのだろうが、冷静に歴史を観るならば、その方が理にかなっているのかもしれない。

伊勢二見浦のさざれ石、どちらがイミテーションか。

 

 しかしながら、どちらにしても内宮外宮とも元々の祭祀はあったと思うし、外宮など周辺に弥生後期からの土器等が発見されているそうだし、神社のある船岡山自体が古墳ではないかという説もあるそうだ。
 そういう意味で内宮も主神殿はともかく、周辺の山に何か遺跡らしいものがあるやもと思い歩いてみる。つづく

今日のじょん:じょんがお座敷犬になってから掃除の回数が増えている。ところが彼は掃除機が大嫌い、段々追いつめられて尻尾下げて情けない顔をしている。「きれいにしたってんのやないかい」Img_3741

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