2011.9.3(土)雨、台風12号
丹波負笈録の丸山に関する文を考察してみよう。
サントラ岩は柱状節理の岩塊が俵のように積み重なっているものであるが、その奇妙な名前は桟俵(さんだわら・米俵などの蓋の部分)から来ていて、三俵山、サントウ山など同様の呼び方と思われる。ただ桟俵が何時の世に出来たものか分からないのだが、少なくとも稲作が定着してからのものだろうから、さほど古い山名ではないかと思う。同様に三国岳も丹後が丹波から分離した和銅6年(713年)以降の命名だろう。どちらもそれ以前の呼び名があってしかるべきと思う。
なお、サントラ岩は若狭側の斜面にあって丹波側からは見られない。相当大きな岩壁となっていて若狭の海からも充分望むことができるだろう。ただし、岩壁周辺の植生が過去にはどうだったかという問題は残るだろう。
サントラ岩は数カ所ある。(2011.5.3撮影)
この岩を見ることによって小浜の市が繁盛したというのは一体どういうことか。サントラ岩が積み重ねた米俵のように見え、縁起が良いと言うことだろうか。しかし小浜市から丸山のサントラ岩が見えるのだろうか。昔の人は視力が良いとか言う以前に、物理的に視覚に入るかどうかと言う問題である。それよりも次に述べる山当ての山として若狭湾に於ける漁に大きく貢献していて、小浜の魚市場が繁盛したということではなかろうか。そう考えるとサントラ岩を見ているのは海上の漁師だから納得がいく。
海上目当ての山とは、海上の船から陸地の山や岬など二点間を見通し、船の位置や進路などを測る山当てという方法に使う山などのことである。二点間の見通しを二箇所設けることによって、自船の位置は現在と変わらぬ正確さで測れたようである。航海にも使われるが漁場の判定に使われ、山当てが出来ないと漁は出来ないとさえ言われている。
山当ての山は遠いものと近いものが必要で、若狭湾の場合丸山は遠くの山となるのだろう。目視するため特徴的な形のものが山当て山とされるようで、より正確を期すため山上の岩峰や樹木が目印に使われたそうだ。
青葉山や三国岳の様に高く聳えている山は当然使われたのだが、稜線上の小突起である丸山が使われたのは、やはりサンドラ岩の存在があるからではないだろうか。周りの山の色と異なった色の岩壁は目立ったと思われるし、東向きに存在するために夕方の見にくい時間帯にも西日を反射して良い目印になったのではと想像する。つづく
(大唐内のこと(75)は2011.9.2)
【作業日誌 9/3】
庭木台風対策
今日のじょん:台風の風で夜は大変、怖くて寝られないのだ。昼間は家族が一緒なのでまだ大丈夫だが、夜は雨風の音がするたびに飛び起きている。いつもしている食洗機や風呂場などの音にもいちいち反応し、ワンワンワンとやられるので堪らない。もう寝よ。
コワイヨ~っと困ったちゃん顔。
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