晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(77) 丸山とイモリ村 9/4

2011-09-04 | 歴史・民俗

2011.9.4(日)雨

 変だぞ、丹波負笈録。
小浜市街の南西10Km余り、小浜西インターの南に飯盛山(584.5m)がある。名のとおり仏供椀に飯を盛った形の山だそうで、27号線から写真を撮れるかなと思いつつ走行していたが、通行量が多くて確認する余裕がなかった。丹波負笈録にある丸山の考察に関する記事を書き上げた後、イモリヶ嶽、飯森山となにか関連があるかもしれないと飯森山に関する情報をインターネットで調べてみる。
 飯盛山(いいもりやま)のある地区は飯盛(はんせい)と呼び、そこにある寺院は飯盛寺(はんじょうじ)と呼ぶそうだ。
  そして驚くことに、「小浜の市はその山を見ることによって繁盛する」という言い伝えと飯森山は多田ヶ岳、青葉山とともに若狭湾の重要な山当ての山だということだ。
これは丹波負笈録のサントラ山に関する記述(2011.9.2参照)と同じ内容ではないか。
 しかも、小浜の市繁盛説は、飯森山にある飯盛寺が”はんじょうじ”と呼ばれていること、小浜の町から飯森山が望めること(飯森山山頂からの写真に小浜市の一部が写っている)から意味が通じる。サントラ岩あるいはサントラ山ではやはりそれを見て繁盛するという意味が不可解である。そして現実に小浜からサントラ山が見えるとは考えられない。Img_2836
 
丸山山頂から若狭を望む。右手が小浜方向だがとても見える状況ではない。


 山当ての山という件についても、飯森山はだれもが知るところの山当て山で、若狭湾では重要な位置を占めている、サントラ山はそれが山当て山であるという証拠は負笈録の文章以外何一つ見つからなかった。考察の中では書かなかったが、サントラ山は海から見ると最も谷奥にある突起で、候補としては薄いものといえる。
 私の考察(2011.9.3参照)はあくまで負笈録の記述を信じて、前述の二点の考察について、サントラ岩を表に出して無理矢理こじつけたものといえよう。
従って、負笈録の内容に疑念を感じる今その考察の説を撤回したい。
丹波負笈録の「俗ニ小浜の市ハ是を見る故繁昌すと云」「三俵山ハ海上目当の山なり」の部分はサントラ山(丸山)と小浜の飯盛山を混同錯誤しているのではないかと考える。それはイモリヶ嶽と飯盛山を同じものに思ったか、小浜のことに詳しい人物からの聞き取りで混同したか、若狭のことについての文書にそういった内容のことがありそれをイモリヶ嶽のことと錯誤したのではないだろうか。
 私は小浜に古文書があって、そういったことが書いてあると思うのだが、いずれ図書館に通う内に見つけられるかもしれない。

 【作業日誌 9/4】
台風12号後始末Img_3637

風が吹くたびに倒れるユーカリ。おそろしく成長するのに根が張らない。それをまた一番風のきついところに植えてしまった。


今日のじょん:久々に猿が来た。今年は栗、柿が実り年のようで、隣の栗を狙ってきたようだ。鳴き声も物音もしなかったのだが、じょんが真っ先に気づいて吠えたのはさすがである。Img_3630_2
 
おかーが洗濯前に着せたシャツ。めっちゃメーワクそう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする