5月16日にジャズピアニストのハンク・ジョーンズが逝去。享年91歳。うーん、いつかはと思っていたけど、ついにその日がやって来たかと。そう言えばこのブログで晩年のソロアルバム「My Funny Valentine」(2005年)を紹介したことがあったなあ。マイルスやコルトレーンのようにビッグネームではなかったけど、ジャズ界の生き字引であり、人間国宝的存在だった。
彼はCDでピアノを聴いた時に、音色とフレージングだけで誰だか分かる数少ないピアニスト。凄いと思うのは、それがモンクとかそういった個性派じゃなくて、バップの流れを汲む正統派だったということ。運指に粘りがあるまさに黒人的なプレイでありながらも、ファンキーさを抑えた知的なヴォイシングが特徴的で、それらがブレンドされた音楽はとても洗練されていたと思う。
90年代には日本のCMにも出るくらい有名になって、スタンダードを中心としたソロかトリオもしくは歌伴という”古き良き時代回顧系日本人”に的を絞った演奏に終始していた感は否めないけれども、さすがに昔とった杵柄が要所要所に出てくるところが、並のカクテル系ピアニストと一線を画するところ。だからだろうなあ、80歳を超えてもバリバリの現役を続けられたのは。
改めて彼が参加したアルバムを調べると、当たり前といえば当たり前だけど、チャーリー・パーカーの「Now's the Time」(1953年)やキャノンボール・アダレイの「Something else」(1958年)といったモダンジャズ黎明期の超名盤を始め、これもかと言うくらい様々なアルバムに顔を出している。
そんな彼がここ数年はケイコ・リーやロバータ・ガンバリーニといった若い歌姫の伴奏をしていて。これって日本の歌謡界で言えば、故吉田正先生が伴奏して幸田來未が歌うって感じ。ちょっと想像できないし、できたとしても、なんかヤラセ雰囲気プンプンの御座なり競演のイメージしか湧かない。だけど彼の場合は全然違って正真正銘のガチンコ競演。これは凄い。
個人的には1950年代にサイドメンとして参加したアルトのソニースティットのアルバムが強く印象に残っている。それと低迷したジャズシーンに活気を与えた1970年代の”The Great Jazz Trio"時代とか。いや懐かしい。本当にお疲れ様。ご冥福をお祈りします。
ソニー・スティット・プレイズ ペン・オブ・クインシー
at the Village Vanguard, Vol.1 at the Village Vanguard, Vol.2
ライヴ・アット・ベイシー ラッシュ・ライフ
彼はCDでピアノを聴いた時に、音色とフレージングだけで誰だか分かる数少ないピアニスト。凄いと思うのは、それがモンクとかそういった個性派じゃなくて、バップの流れを汲む正統派だったということ。運指に粘りがあるまさに黒人的なプレイでありながらも、ファンキーさを抑えた知的なヴォイシングが特徴的で、それらがブレンドされた音楽はとても洗練されていたと思う。
90年代には日本のCMにも出るくらい有名になって、スタンダードを中心としたソロかトリオもしくは歌伴という”古き良き時代回顧系日本人”に的を絞った演奏に終始していた感は否めないけれども、さすがに昔とった杵柄が要所要所に出てくるところが、並のカクテル系ピアニストと一線を画するところ。だからだろうなあ、80歳を超えてもバリバリの現役を続けられたのは。
改めて彼が参加したアルバムを調べると、当たり前といえば当たり前だけど、チャーリー・パーカーの「Now's the Time」(1953年)やキャノンボール・アダレイの「Something else」(1958年)といったモダンジャズ黎明期の超名盤を始め、これもかと言うくらい様々なアルバムに顔を出している。
そんな彼がここ数年はケイコ・リーやロバータ・ガンバリーニといった若い歌姫の伴奏をしていて。これって日本の歌謡界で言えば、故吉田正先生が伴奏して幸田來未が歌うって感じ。ちょっと想像できないし、できたとしても、なんかヤラセ雰囲気プンプンの御座なり競演のイメージしか湧かない。だけど彼の場合は全然違って正真正銘のガチンコ競演。これは凄い。
個人的には1950年代にサイドメンとして参加したアルトのソニースティットのアルバムが強く印象に残っている。それと低迷したジャズシーンに活気を与えた1970年代の”The Great Jazz Trio"時代とか。いや懐かしい。本当にお疲れ様。ご冥福をお祈りします。
ソニー・スティット・プレイズ ペン・オブ・クインシー
at the Village Vanguard, Vol.1 at the Village Vanguard, Vol.2
ライヴ・アット・ベイシー ラッシュ・ライフ
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