或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

フォーライフ(12)

2006-04-15 07:02:28 | 020 小説「フォーライフ」
◆B bar
貴美子は亭主と西梅田にいた。この辺りは最近ヒルトンプラザイースト&ウエスト、そしてハービスエントと大型商業施設が次々にオープン。かつてのビジネス街が、関西で最も洗練された大人の街へと変貌している。

大阪に住んでいる大学の同級生と、たまたま会う予定が昼間にあったので、亭主が京都出張から帰ってくるのに合わせて、久しぶりに外で夕食でもしようと、ここで待ち合わせをした。いざ来てみると、話には聞いていたが、駅周辺が再開発され、昔の面影がないぐらい様変わりしている。想像以上にモダンになった建物やディスプレイに、貴美子はいつになく興奮した。

「ねえ、同じブランドショップでも全然違うね」「ああ、僕なんて引いちゃうよ」「いいじゃない、めったに来ないんだから、楽しまなきゃ」と言いながら、ハービスエントの1Fにあるティファニーへ.。やけに多い警備員の数に驚きながら店内に足を踏み入れた途端、今までに感じたことがないような、まばゆい乳白色のライトと、それに照らされた宝石群が貴美子を圧倒した。

「すごいね、なんかゴージャス」「こんな店で買う奴いるんだよな」「あはは、そりゃいるんじゃない、世の中お金持ちなんて、いる所にはいるんだから」、と植田の顔を思い浮かべながらショーケースを見ていると、ひとつのペンダントが目に止まった。

「ねえ、これ素敵」「何だよこれ」「ダイヤのクロス、そんなに高くないよ、40万もあれば買えるじゃない」「冗談はやめてくれよ、僕みたいなサラリーマンじゃ到底無理、もう行こうよ」、と動揺する亭主に腕を無理に引っ張られながら店を出た。

そしてビルの中のレストランで食事した後に行ったのが、ヒルトンプラザイーストの2Fにある「B bar」。植田のお気に入りと聞いて貴美子は前から興味を持っていた。中に入るとなかなか洗練されたシックな雰囲気。まさにセレブ御用達って感じ。

「この店は3軒あって、東京の六本木ヒルズと丸の内、それとここだけなんだって」「よく知ってるなあ、誰から聞いたの?」「うん、お店のお客さん」「でもグラスとか、なんか高級そう」「だって”B bar”のBはバカラのB、この店はグラスだけじゃなくインテリアとかも全部バカラなんだよ」「へえー」

貴美子が、植田から薦められていたシングルモルトウィスキー、グレンリベット12年を、バカラのショットグラスで飲みながら亭主と話をしていると、天井のBOSEのスピーカーから、ヴァネッサ・ウィリアムスのヴォーカルが流れてきた。曲はバート・バカラックのバラード”Alfie”。かつてTVドラマの主題歌として聴いた憶えがある。バカラでバカラックなんて洒落のつもりかしらと独り言をつぶやきながら、さっきティファニーで見たダイヤのクロスを植田にねだって買ってもらおうと密かに考えていた。


Love SongsLove Songs

◆シュガータイム
奈緒美は佐藤に誘われた日から、洋菓子の展示会が気になってしょうがない。もともと無類の甘いもの好き。特にケーキには目がない。休日に友人と美味しいケーキを求めて店のハシゴをすることもしばしば。あの日以来、毎晩ケーキビュッフェで大量にケーキを食べまくる夢を見る。そしてこれ以上食べられないと、風船のように膨らんだお腹が破裂した瞬間に目が覚める。

そう言えば岡山での幼少時代、町内の“きびだんご大食い大会”に出場して優勝したことがある。弟が内緒で応募。いやだったが、祖父が町内会の副会長をしていた関係上、断る訳にいかなかった。

それからかどうか分からないが、普段そうでもないのに、甘いものとなると人が変わったようにたくさん食べるようになった。夫からは、そのうち取り返しがつかないぐらい太るよといつも冷やかされている。確かに年々体重が増えているのも事実。自分でもかなり気にするようになっていた。

そんな時、図書館で借りて読んだのが、小川洋子の小説「シュガータイム」。小川洋子は、その独特の感性がけっこう気に入っている。読み始めた途端、過食症の主人公が自分とダブったのでビックリ。ただし小説では甘いものだけじゃなく、肉から野菜までなんでも手当たり次第に食べるという設定。なあんだ私なんてまだましじゃない、と妙に安心した。

だが読みながら気になったことがひとつ。主人公の恋人が別の女と突然ロシアへ移住するくだり。まさか自分の夫がそんなことにはと、不安が脳裏をよぎった。そう言えば最近帰宅が遅かったり、出張で外泊する回数が増えていた。

シュガータイムシュガータイム

フォーライフ(11)

2006-04-15 07:01:06 | 020 小説「フォーライフ」
◆高台寺
広之と美和子は京都の東山にある高台寺の階段の上り口にちょうど着いた。あたりはもう暗い。めぐり合わせというのは不思議なものだ。美術館で初めて出会ってから、まだ1週間も経っていない。新製品開発でトラブルが発生したので金曜日から出張する、解決すれば帰るが少なくとも1泊はすることになると、美和子が夫から聞いたのが一昨日。そして広之にOKのメールを送ったのが昨日。あまりにもタイミングが良すぎて少し恐ろしかったが、誘われるままに夜桜見物についてきてしまった。

ここは豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所、ねねが出家して高台院と名を改め、慶長11年(1606年)に開創した寺。京都の紅葉のライトアップは有名だが、その中でも特に人気が高い。竹藪にすっぽりと包まれた長く急な階段を登っていくと、所々で竹にライトの光が反射して妖しい空間を演出していた。

「この竹藪、なんか時代劇に出てきそうな感じだなあ」「ほんとね」「美和子さん、ここの夜桜初めてですか?」「ええ、実はライトアップの話はよく聞くけど、実際に来るのは初めてなの」「へえー、やっぱり地元だと身近すぎてなかなか来ないものなのかなあ」「広之さんは?」「いや、僕も初めてです」

長い階段を登りきると、ぼんやり幾つかの灯りが見えてきた。本堂前の「波心庭」の白砂にオブジェが並べられている。その幻想的な雰囲気は異次元の世界に誘っているかのよう。二人は時代を遡ってタイムスリップしたような錯覚に陥った。美和子はいつの間にか広之の手を握っている。

「なんか体が今にもどこかに飛んでいきそうな、ふぁっとした不思議な気持ちだわ」「そうですね、僕もそんな感じだなあ」「こんなに素敵だとは思わなかった、来て良かったわ」

二人はそれから寺の境内をゆっくり周った。肌寒さとは裏腹に美和子は少し熱くなっていた。

「ライトアップも楽しんだし、寒くなってきたから食事にでも行きましょうか」「いいけど、何処に行くんですか?」「東山のウェスティン都ホテル、ご存知ですよね、あそこに美味しい鉄板焼の店があるんですよ」「都ホテル?ホテルなんてなんだか危険な香りだわ、アブナイ、あぶない」「いや、ただ食事するだけだから・・・」

そう言いながら二人は駐車場へ向かった。美和子は口ではそう言ったものの内心嬉しかった。もう胸の高鳴りを押さえられないでいる。広之はそんな美和子の表情を見ながら、まだ自分の正体に気づかれていないと内心ホッとしていた。


◆For once in my life
久しぶりに夫婦そろっての休日。真由美のマンションの居間にあるコンポステレオから懐かしい音楽が流れていた。この声はフランク・シナトラ。実は昔OLをしていた頃、飲みの2次会で、当時上司だった脂ギラギラ系の中年オヤジが、じっとこっちを見ながら唄ったのがトラウマになっている。演歌でも歌ってりゃカワイイのに、あろうことに”My way“、しかもマイクを持つ手の小指を立てながら。自分は音楽の趣味がいいなんて勝手に思ってるから始末が悪い。思い出しただけでも背筋がぞっとする。

良かったのは違う曲だったこと。かつてはトニー・ベネット、そしてスティービー・ワンダーが歌って大ヒットした”For once in my life”。亭主と結婚する前によく聴いたものだ。「長いあいだ私が求めてきた理想の人に本当に私を必要としている人に生まれて初めてめぐり会えた・・・」なんて歌詞が当時のシチュエーションにピッタリ。乙女心がときめいた。

それが今はどうだ、亭主の入浴中に携帯電話をチェックして不審なメールを見つけ、それを今から追求しようとしている。どうしようもなく情けない。そんな気持ちをゴクンと飲み込んで無理やり笑顔を作り、おもむろに亭主に話しかけた。

「ねえ、浮気してるでしょ?分かってるんだから」「何の話?」「この間のケータイのハートマークは何よ?」「ハートマーク?憶えてないなあ」「あんたが風呂に入っている時にケータイが鳴ったから見たら、画面いっぱいハートマークだったよ」「知らないよ、それ三宮か何処かのテレクラの広告メールじゃないの、でも勝手に見るの良くないと思うよ」

真由美は亭主の浮気を確信していた。最近やけに機嫌がいい。家にいると頼みもしないのに妙にいろいろと手伝いをしたがる。女を甘く見ちゃいけない。男には分からないかもしれないが、うまく隠しているつもりでも、女の本能がそれを見つけるんだ。つまらない細工しやがって。全部お見通しだ。

「ねえ、浮気してるよねえ?」「してません」「今正直に言えば許してあげてもいいよ」「いや、してません、しつこいなあ」「ホントはチョットだけしてるでしょ?」「いや、してません」「白状したほうがいいと思うよ」「いや、してません」「あのさー、この間の日曜日の朝、私の代わりに町内会主催の公園の掃除、ちゃんとやってくれてたじゃない」「いや、してません」

最後のコメントを聞いて、もう亭主に質問する意味がないと真由美は思った。

My WayMy Way