或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

佐伯祐三(8)

2006-04-13 06:22:22 | 300 絵画
今日は佐伯祐三の紹介の番外編。その第1回。前回、彼がどうしてあれ程早く死んだかは、私生活に立ち入らないと見えてこないという話をしました。これについては約10年前に勃発した“贋作事件”と、それに関連した情報がヒントになります。公式には否定されているけど、根強いのが“妻の米子の加筆説”と“米子との不仲説”。

-佐伯は世間知らずでずぼらな性格であり、当初から米子に頭があがらなかった。
-第1回の渡欧時に、佐伯が絵の仕上げをキチンとしないため、米子が加筆を始めた。
-佐伯本人は妻の加筆がいやだったが、世間の評判が良かったのでしぶしぶ了解した。
-第2回の渡欧時に、佐伯は加筆に嫌気がさし、米子と対立したため溝が深まった。
-佐伯は、大富豪婦人の薩摩千代子に想いを。米子は佐伯の後輩、萩須高徳と親密に。
-佐伯は、自己嫌悪等で精神的に錯乱し、ついには刹那的に死を望むようになった。

これでも柔らかく無難にまとめた方で、佐伯について、娘の父親違い、国家スパイ、毒殺等、過激な説はいくらでもあります。真偽の程は今となっては全て藪の中ですが、もしこれらが真実とすれば、なんとも波乱万丈の凄まじい人生ですね。

“愛がなければ憎しみは生まれない”という言葉があります。かつて「愛と哀しみのボレロ」という映画がありましたが、佐伯の場合は言わば「愛と憎しみのコラボ」。素顔が美しい女性を佐伯が創り、それに米子がうまく化粧を。男と女の情念のブレンドがパリの華やかさに絶妙にマッチ。なんともやるせない話ですね。でも芸術家と作品、そのつながりを改めて考えさせてくれます。

上の写真は佐伯の作品、「人形」(1925年)。実は米子の作との疑惑もあります。下の写真は、当時パリの社交界で絶大な人気があったと言われる薩摩千代子。佐伯の絶筆は彼女の肖像画だったとの説も。こうしてみると、男と女に焦点を当てると彼の人生が見えてくるような気がします。