或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

佐伯祐三(4)

2006-02-06 06:42:26 | 300 絵画
前回、独自の画風を築いた第1次渡欧時の1925年の作品を紹介しました。ところが1926年には一時帰国。理由は彼の持病である結核を心配する母が強く要請したとか。佐伯は後ろ髪を引かれる想いで3月に帰国。若手の新進画家として有名になっており、画壇も歓迎したようです。盟友の里見勝蔵らと5人で「1930年協会」を結成。下落合のアトリエを中心に活動。

この頃の被写体の多くは日本の身近な風景。下の写真の上側はその中の2枚で「下落合風景」。悪くはないんだけど、やはりねえ。どうも画題と画風がイマイチしっくりこなくて。

その中でとりわけ目立つのが「滞船」の連作。下の写真の下側はその中の2枚。彼は大阪出身で、帰郷した時に描いたもの。安治川や尻無川へ足繁く出かけたそうです。2枚の色合いの対比がおもしろい。そう言えば船って家屋のように画題として日本っぽくないのがいいのかも。

それでこの時期の作品の代表作でありお気に入りが上の写真の「肥後橋風景」(1927年)。昨年の12月に和歌山県立近代美術館で開催された彼の特別展で実物を見たときには感動しました。インパクトあったなあ。特に空と川のブルーの色合いとタッチが素晴らしい。ちょうど和歌山に行く途中、肥後橋周辺を通ったばかりだったので、なんか妙な親近感を覚えました。

ただ日本にいても彼のパリへの想いはつのるばかりで、結局精力的に絵を書き、完成した絵を売り、資金を作り、翌年の1927年の夏に再び渡欧します。もう二度と日本の地を踏むことはないことをうすうす悟っていたようでもあります。

とにかくパリあっての佐伯だということを、この下落合時代はハッキリと認識させてくれます。

下落合風景(1926年)下落合風景(1926年)
滞船(1926年)滞船(1926年)