藤子不二雄や、好きな漫画・アニメの話がメイン(ネタバレもあるので要注意)
はなバルーンblog
「MUSASHI」とは何だったのだろう
今週は、アニメの録画を2本も失敗してしまった。しかも、両方とも冒頭の数分を録り逃すという中途半端さ。当面、CSでの放送予定がないだけに、痛いミスだ。
あとは、アニメ「ドラえもん」関係での重要なニュースも入ってきているが、とりあえず今回は触れない。以前にも予告したが、最近のアニメドラに関しては思うところが多々あり、なるべく近い内にまとめてみたい。早くて、今年のレギュラー放送が終わる12月8日以降になるだろうか。
今回は、最近よく取り上げているアニメ「GUN道 MUSASHI」(現在はCSのANIMAXで放送中)について、全話のまとめをしておきたい。GyaOでの放送も今月第一週で終了して、ようやく全話を見終える事が出来た。ある意味では、今年観たアニメの中で最も大きなインパクトを受けた作品なので、自分なりに総括してみたいのだ。
一言で言うと、本作は色々な意味で「残念」な作品だった。
作画の酷さに目をつぶれば、シリーズ序盤で提示された「裏の歴史」「ガン鬼の銃」「アヤカシ」などの設定は、一味違ったパラレルワールドの時代劇として魅力的な作品となる要素を十分に持っていると思っていたし、主人公ムサシ達の使う「GUN道」だって、肝心のガンアクションをしっかりと描けてさえいれば、斬新な活劇を観る事が出来た事だろう。だが、「残念」なことに、どうやら本作を手がけたスタッフ達には、これらの設定やアクションを描ききる実力が、無かったようだ。
まず、作品の要であるはずの「GUN道」の描写すら、まともではない。第2話で初めて、ムサシと大徳寺No.3がGUN道で対決する場面があるが、お互いに銃を突きつけながらクルクル回るだけの意味不明な動きだった。これでは、GUN道がいかなる武術であるのか、さっぱりわからない(結局、最終話までわからなかった)。コンテはベテランが担当していたので、まともだったのかも知れないが、作画と演出は、全く付いて来ていない状態だ。
その後も、タクアン和尚の「落ちながら戦う」や「GUN道奥義 ケンジャの舞」など、「凄い映像を見せたいらしいが、実物はマヌケで笑うしかない」場面の数々が、最初の3話で立て続けに登場した。放送開始から少し経って、ネット上で本作が話題となったのも、これらの場面の映像が某有名動画サイト等で観られるようになったせいだろう。
これらの場面では、作中のキャラは「つ、強い! こんな相手と戦っていたのか」「全く無駄のねえ動きだ」「おお、あの舞は!」など、やたらと驚いているが、画面を観ても、何が凄いのか全く理解できないのだから、恐ろしい。正直なところ、最初はスタッフがギャグとして狙っているのではと思ってしまったが、監督と劇中音楽作曲家の会話を読む限りでは、少なくとも序盤に関しては、監督は大真面目で作っていたようだ。
序盤は、演出だけではなく、セリフも珍妙ゆえに印象に残るものが多い。ムサシの「言われなくても、スタコラサッサだぜぇ」や、ガン鬼の銃を手にしての「うっひょー」は、おそらく「ルパン三世」的な洒落た言い回しを狙ったのだろうが、画面との相乗効果で、非常にマヌケに聞こえてしまう。更には、タクアン和尚の「今いるわしは、シバヅケ和尚でしかない」や「しゃべりすぎは命に関わるぞ」になると、どこから突っ込んでいいのやら。
極めつけは、全く安定しない作画。
単に、話ごとに作画監督によってキャラのタッチが変わるという次元の話ではなく、同じ話の中でも主要キャラの髪型すら一定せず、キャラ設定を観ているかどうかも疑わしい。極めつけは、以前にも触れた第11話の小早川秀秋で、ストーリー上は人間の姿のまま描かれていなければいけないのに、鬼の姿で描かれてしまっている。ストーリーの根幹に関わる部分でこんなミスがあるのだから、監督も演出家も、ろくに作画をチェックできていなかったのだろう。また、動画という観点でも、簡単なGIFアニメで忠実に再現できてしまうような「無駄のない動き」が多すぎる。
結局、作画・演出共に、スタッフに能力が無さすぎたために、あのような爆笑映像の数々が出来上がってしまったのだろう。監督にとっては不本意な出来だったのだろうが、正直なところ、中途半端にまともな出来だったら、パッとしない作品だったと思う。おそらく、ここまで注目される作品とはならなかっただろう。
本作の設定やキャラを生かして魅力的な作品を作るには、思いっきり質の高い映像を作るか、もしくは実際ように思いっきり質の低い映像にしてしまうか、どちらかしかなかったのではないだろうか。もちろん、わざと質の低い映像にしたわけでは決してないだろうが。
この調子で、途中で総集編を2回ほど挟みつつ、なんとか1クールの放送を終えて折り返し点を回った「MUSASAHI」だったが、第12話あたりから、EPG・アニメ誌等のあらすじと、実際の放送とでストーリーが全く異なる異常事態が発生していた。ここからは勝手な推測だが、最終回までの制作を乗り切るために、なるべく楽に作る事が出来るような内容に、無理に軌道修正していたのではないだろうか。とりあえず、この記事においては、そうだと仮定して話を進める。
軌道修正の結果、第1話ではラスボスの風格を漂わせていたヤシャが、第17話で唐突に登場したウラシマとの対決で破れて、消滅してしまう。この後、ウラシマがヤシャに取って代わってムサシ達の敵になったわけではなく、単に封印魂集めの手引きをするだけであり、なんとも中途半端な存在で、敵が不在となって一気に緊張感が無くなった。また、ガン鬼の銃による鬼化の設定も全く無視されたため、さらに物語には緊張感が無くなり、全くお気楽な旅となってしまった。
その上、ネット上でネタにされていたロウニンのセリフ「だな!」を連発させたり、リョウゲンに寒いオヤジギャグばかり言わせたり、挙げ句の果てには荼毘の字と組ませて漫才までやらせてしまう始末。それに加えて、第22話以降は、カグヤと夢姫の歌を延々と繰り返して時間稼ぎをするなど、真面目に話を進めようとする姿勢が全く感じされなかった。挙げ句の果てに、最終回で「詳しい話をしてやってもよいが、いかんせん尺が足らん」と言い出すのだから、ひどいものだ。
さすがに最終回は、何とか伏線を消化しようと必死のようだったが、結局最後まで残った謎も多いし、キャラクターの使い捨ても多かった。小早川秀秋、アヤカシ武田信玄、四人しか出なかった真田十勇士…彼らは、いったい何のために登場したのだろう。特に小早川はヤシャが連れ去ったままなので、ヤシャが消えてしまったとあって、安否が心配だ。
そして、最終2話ではようやく佐々木小次郎も申し訳程度に登場。さすがに、宮本武蔵のライバルとして知られている上に、本作でも第1話からその存在について触れているだけに、無視できなかったのだろう。しかし、小次郎が女性という設定は、真田幸村という前例があるから別にいいが、見た目がまるっきりチンピラの男で、しかも声が櫻井孝宏と言うのは、何の冗談だったのだろう。はじめからあのキャラデザインで用意してあったのか、非常に気になる。
こんな状態だから、唯一、プロの仕事として素直に評価できるのは、声優の演技くらいしかない。特に、低音ボイスで怪しい和尚を演じきった田中総一郎や、リアルな猿を表現した小林ゆうの演技は、印象深い。ただ、声優陣が熱演すればするほど画面とのギャップが激しくなって、さらに笑いを誘われてしまうのは皮肉な事だった。
このように、迷走を重ねた本作品。私は、何とか最終話まで視聴を続けたが、終盤は「どこまでひどくなるか、どうやって締めくくるのか見届けたい」と言う気持ちがあったからこそ、週一回のPCでの視聴を続けられたのだと思う。そして、こんな気持ちにさせられたのは、シリーズ序盤の強烈なインパクトがあったからこそだ。もし、第1話から後半のような寒いノリだったら、間違いなく序盤で視聴を打ち切っていた。
歴史に「if」は禁物だが、仮に最終話までずっと序盤のような姿勢で、なおかつ最初に予定されていたストーリーが展開したとしたら、想像を超えるようなとんでもない作品になっていたのではないだろうか。個人的には、後半出てくるはずだった少年織田信長(=若返ったタクアン和尚)は、ぜひ観てみたかった。設定画だけでも、描かれていないのだろうか。
それにしても、第2話の時点でまともな作品として仕上げられない状況下で、しかもBS-iやGyaOと言ったマイナーな媒体で、どうしても無理してこの作品を放送しなければならなかったのだろうか。最近のアニメは、ほぼDVDのCMになってしまっているが、本作のDVDを買うのはよほどの物好きだろうし、かと言って子供にアピールできる作品とも思えない。なにしろBS-iの放送は「おねがいマイメロディ くるくるシャッフル!」の裏番組だったのだ。
このように不思議に思っていたのだが、後番組として同じ制作会社・ほぼ同じスタッフによる新作「RGBアドベンチャー」が、始まってしまった。残念ながら現時点でBS-i以外の放送予定はなく、私はまだ観ていないのでコメントは出来ないが、公式サイトで木下ゆうき監督自身のデザインによるキャラクターを見ただけでも、やばそうな匂いがぷんぷんと漂ってくる。このエーシーシープロダクション制作スタジオという会社は、本当に何がしたいのだろう。
ここまで、色々と厳しい事を描いてしまったが、たとえネタとは言え、この半年間「MUSASHI」を観て楽しませてもらった事は事実であり、この作品に出会って後悔しているわけではないので、念のため。ANIMAXではいくつか問題のある部分が修正されてしまっているので、無修正のGyaOで観ておいて、本当によかった。
なお、ANIMAXの「MUSASHI」は、今週で第6話まで放送された。
とりあえず今後の見所としては、以前にも触れた第8話サブタイトルの件と、第10話~第12話の、いわゆる「小早川三部作」あたりになると思う。前半の「真面目に作っているが、笑うしかない」作品としては、第12話がピークだろう。正直に言うと、第15話あたりからはダレてしまうので、2クール目は無理して観なくてもいいと思うが、そのあたりは実際にご覧になる方々の判断に任せよう。
あとは、アニメ「ドラえもん」関係での重要なニュースも入ってきているが、とりあえず今回は触れない。以前にも予告したが、最近のアニメドラに関しては思うところが多々あり、なるべく近い内にまとめてみたい。早くて、今年のレギュラー放送が終わる12月8日以降になるだろうか。
今回は、最近よく取り上げているアニメ「GUN道 MUSASHI」(現在はCSのANIMAXで放送中)について、全話のまとめをしておきたい。GyaOでの放送も今月第一週で終了して、ようやく全話を見終える事が出来た。ある意味では、今年観たアニメの中で最も大きなインパクトを受けた作品なので、自分なりに総括してみたいのだ。
一言で言うと、本作は色々な意味で「残念」な作品だった。
作画の酷さに目をつぶれば、シリーズ序盤で提示された「裏の歴史」「ガン鬼の銃」「アヤカシ」などの設定は、一味違ったパラレルワールドの時代劇として魅力的な作品となる要素を十分に持っていると思っていたし、主人公ムサシ達の使う「GUN道」だって、肝心のガンアクションをしっかりと描けてさえいれば、斬新な活劇を観る事が出来た事だろう。だが、「残念」なことに、どうやら本作を手がけたスタッフ達には、これらの設定やアクションを描ききる実力が、無かったようだ。
まず、作品の要であるはずの「GUN道」の描写すら、まともではない。第2話で初めて、ムサシと大徳寺No.3がGUN道で対決する場面があるが、お互いに銃を突きつけながらクルクル回るだけの意味不明な動きだった。これでは、GUN道がいかなる武術であるのか、さっぱりわからない(結局、最終話までわからなかった)。コンテはベテランが担当していたので、まともだったのかも知れないが、作画と演出は、全く付いて来ていない状態だ。
その後も、タクアン和尚の「落ちながら戦う」や「GUN道奥義 ケンジャの舞」など、「凄い映像を見せたいらしいが、実物はマヌケで笑うしかない」場面の数々が、最初の3話で立て続けに登場した。放送開始から少し経って、ネット上で本作が話題となったのも、これらの場面の映像が某有名動画サイト等で観られるようになったせいだろう。
これらの場面では、作中のキャラは「つ、強い! こんな相手と戦っていたのか」「全く無駄のねえ動きだ」「おお、あの舞は!」など、やたらと驚いているが、画面を観ても、何が凄いのか全く理解できないのだから、恐ろしい。正直なところ、最初はスタッフがギャグとして狙っているのではと思ってしまったが、監督と劇中音楽作曲家の会話を読む限りでは、少なくとも序盤に関しては、監督は大真面目で作っていたようだ。
序盤は、演出だけではなく、セリフも珍妙ゆえに印象に残るものが多い。ムサシの「言われなくても、スタコラサッサだぜぇ」や、ガン鬼の銃を手にしての「うっひょー」は、おそらく「ルパン三世」的な洒落た言い回しを狙ったのだろうが、画面との相乗効果で、非常にマヌケに聞こえてしまう。更には、タクアン和尚の「今いるわしは、シバヅケ和尚でしかない」や「しゃべりすぎは命に関わるぞ」になると、どこから突っ込んでいいのやら。
極めつけは、全く安定しない作画。
単に、話ごとに作画監督によってキャラのタッチが変わるという次元の話ではなく、同じ話の中でも主要キャラの髪型すら一定せず、キャラ設定を観ているかどうかも疑わしい。極めつけは、以前にも触れた第11話の小早川秀秋で、ストーリー上は人間の姿のまま描かれていなければいけないのに、鬼の姿で描かれてしまっている。ストーリーの根幹に関わる部分でこんなミスがあるのだから、監督も演出家も、ろくに作画をチェックできていなかったのだろう。また、動画という観点でも、簡単なGIFアニメで忠実に再現できてしまうような「無駄のない動き」が多すぎる。
結局、作画・演出共に、スタッフに能力が無さすぎたために、あのような爆笑映像の数々が出来上がってしまったのだろう。監督にとっては不本意な出来だったのだろうが、正直なところ、中途半端にまともな出来だったら、パッとしない作品だったと思う。おそらく、ここまで注目される作品とはならなかっただろう。
本作の設定やキャラを生かして魅力的な作品を作るには、思いっきり質の高い映像を作るか、もしくは実際ように思いっきり質の低い映像にしてしまうか、どちらかしかなかったのではないだろうか。もちろん、わざと質の低い映像にしたわけでは決してないだろうが。
この調子で、途中で総集編を2回ほど挟みつつ、なんとか1クールの放送を終えて折り返し点を回った「MUSASAHI」だったが、第12話あたりから、EPG・アニメ誌等のあらすじと、実際の放送とでストーリーが全く異なる異常事態が発生していた。ここからは勝手な推測だが、最終回までの制作を乗り切るために、なるべく楽に作る事が出来るような内容に、無理に軌道修正していたのではないだろうか。とりあえず、この記事においては、そうだと仮定して話を進める。
軌道修正の結果、第1話ではラスボスの風格を漂わせていたヤシャが、第17話で唐突に登場したウラシマとの対決で破れて、消滅してしまう。この後、ウラシマがヤシャに取って代わってムサシ達の敵になったわけではなく、単に封印魂集めの手引きをするだけであり、なんとも中途半端な存在で、敵が不在となって一気に緊張感が無くなった。また、ガン鬼の銃による鬼化の設定も全く無視されたため、さらに物語には緊張感が無くなり、全くお気楽な旅となってしまった。
その上、ネット上でネタにされていたロウニンのセリフ「だな!」を連発させたり、リョウゲンに寒いオヤジギャグばかり言わせたり、挙げ句の果てには荼毘の字と組ませて漫才までやらせてしまう始末。それに加えて、第22話以降は、カグヤと夢姫の歌を延々と繰り返して時間稼ぎをするなど、真面目に話を進めようとする姿勢が全く感じされなかった。挙げ句の果てに、最終回で「詳しい話をしてやってもよいが、いかんせん尺が足らん」と言い出すのだから、ひどいものだ。
さすがに最終回は、何とか伏線を消化しようと必死のようだったが、結局最後まで残った謎も多いし、キャラクターの使い捨ても多かった。小早川秀秋、アヤカシ武田信玄、四人しか出なかった真田十勇士…彼らは、いったい何のために登場したのだろう。特に小早川はヤシャが連れ去ったままなので、ヤシャが消えてしまったとあって、安否が心配だ。
そして、最終2話ではようやく佐々木小次郎も申し訳程度に登場。さすがに、宮本武蔵のライバルとして知られている上に、本作でも第1話からその存在について触れているだけに、無視できなかったのだろう。しかし、小次郎が女性という設定は、真田幸村という前例があるから別にいいが、見た目がまるっきりチンピラの男で、しかも声が櫻井孝宏と言うのは、何の冗談だったのだろう。はじめからあのキャラデザインで用意してあったのか、非常に気になる。
こんな状態だから、唯一、プロの仕事として素直に評価できるのは、声優の演技くらいしかない。特に、低音ボイスで怪しい和尚を演じきった田中総一郎や、リアルな猿を表現した小林ゆうの演技は、印象深い。ただ、声優陣が熱演すればするほど画面とのギャップが激しくなって、さらに笑いを誘われてしまうのは皮肉な事だった。
このように、迷走を重ねた本作品。私は、何とか最終話まで視聴を続けたが、終盤は「どこまでひどくなるか、どうやって締めくくるのか見届けたい」と言う気持ちがあったからこそ、週一回のPCでの視聴を続けられたのだと思う。そして、こんな気持ちにさせられたのは、シリーズ序盤の強烈なインパクトがあったからこそだ。もし、第1話から後半のような寒いノリだったら、間違いなく序盤で視聴を打ち切っていた。
歴史に「if」は禁物だが、仮に最終話までずっと序盤のような姿勢で、なおかつ最初に予定されていたストーリーが展開したとしたら、想像を超えるようなとんでもない作品になっていたのではないだろうか。個人的には、後半出てくるはずだった少年織田信長(=若返ったタクアン和尚)は、ぜひ観てみたかった。設定画だけでも、描かれていないのだろうか。
それにしても、第2話の時点でまともな作品として仕上げられない状況下で、しかもBS-iやGyaOと言ったマイナーな媒体で、どうしても無理してこの作品を放送しなければならなかったのだろうか。最近のアニメは、ほぼDVDのCMになってしまっているが、本作のDVDを買うのはよほどの物好きだろうし、かと言って子供にアピールできる作品とも思えない。なにしろBS-iの放送は「おねがいマイメロディ くるくるシャッフル!」の裏番組だったのだ。
このように不思議に思っていたのだが、後番組として同じ制作会社・ほぼ同じスタッフによる新作「RGBアドベンチャー」が、始まってしまった。残念ながら現時点でBS-i以外の放送予定はなく、私はまだ観ていないのでコメントは出来ないが、公式サイトで木下ゆうき監督自身のデザインによるキャラクターを見ただけでも、やばそうな匂いがぷんぷんと漂ってくる。このエーシーシープロダクション制作スタジオという会社は、本当に何がしたいのだろう。
ここまで、色々と厳しい事を描いてしまったが、たとえネタとは言え、この半年間「MUSASHI」を観て楽しませてもらった事は事実であり、この作品に出会って後悔しているわけではないので、念のため。ANIMAXではいくつか問題のある部分が修正されてしまっているので、無修正のGyaOで観ておいて、本当によかった。
なお、ANIMAXの「MUSASHI」は、今週で第6話まで放送された。
とりあえず今後の見所としては、以前にも触れた第8話サブタイトルの件と、第10話~第12話の、いわゆる「小早川三部作」あたりになると思う。前半の「真面目に作っているが、笑うしかない」作品としては、第12話がピークだろう。正直に言うと、第15話あたりからはダレてしまうので、2クール目は無理して観なくてもいいと思うが、そのあたりは実際にご覧になる方々の判断に任せよう。
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