随分と間があいてしまったが、鬼太郎第1作の感想も、再開する。
今年3月までは忙しくてDVDを観る時間が取れず、感想も中断していた。その後、4月以降はぼつぼつと観ていたのだが、新たにスタートした第5作の感想に力を入れていたため、第1作については観た後に簡単なメモを取って感想の下書きをする程度で、放置してしまっていた。
そうしていたら、20話以上の感想が溜まってしまったので、視聴順にメモを清書して、ブログで引き続き公開していく。もちろん、第5作の感想も続けます。
・第9話「見上げ入道」
(脚本/雪室俊一、演出/白根徳重、作画監督/落合道正)
話は基本的に原作に忠実。見どころは、キャラクターの動きにある。
小さくなって学校に潜入する見上げ入道のチョコマカしているところや、妖怪学校で素直に見上げ入道の授業を受けている豚や犬など動物たちの描写が可愛らしくて、観ていて面白かった。
また、霊界ポスト(原作でもこの呼び名)の存在をねずみ男の解説付きでアピールしており、シリーズ初期の重要な設定紹介回と言える。「鬼太郎のたたりがある」と言う説明はどうかと思うが。
・第10話「妖怪大戦争 前編」
(脚本/雪室俊一、演出/茂野一清、作画監督/生頼昭憲)
冒頭で、西洋妖怪達による謀議の場面が描かれており、強敵が来襲するムードが高められている。
中でもベアードは貫禄があり、富田耕生(当時は富田耕吉)の声もよく合っていて、堂々たるボスの風格を見せている。
本話は、アニメでは初めて「鬼太郎ファミリー」の砂かけ婆、子泣き爺、一反木綿、ぬりかべが勢揃いしたエピソード。序盤、西洋妖怪退治のメンバーを募る場面では、最初にたくさんいる妖怪達が徐々に減っていき、最終的に砂かけ達が残る場面が描かれており、選りすぐりのメンバーであることが強調されている。
ちなみに、砂かけの声は小串容子、子泣きの声は第3作でもお馴染みの永井一郎。一反木綿は妙に甲高い声で、誰が担当しているのかわからない。ぬりかべは、ほとんどセリフがないのでやはり誰の声かわからない。
魔女によって、早くも一反木綿がやられてしまう場面は、舞台となる夜の海の雰囲気も相まって、緊張感のある場面となっている。原作と同じとは言え、ここで出番が終わってしまうのは一反木綿に気の毒だが。
・第11話「妖怪大戦争 後編」
(脚本/雪室俊一、演出/茂野一清、作画監督/生頼昭憲)
原作と同じく、一人、また一人と仲間たちがやられて行く。そして、洞穴に隠れている島民達にも危機が迫り、鬼太郎までベアードの手下になってしまい、全編に緊迫感があふれている。
戦闘場面で砂かけ婆や子泣き爺の能力をしっかり紹介しているあたりは上手い。
本話で特筆すべきは後半の展開で、原作で語られた「ブリガドーン現象」の設定は丸々カットされ、単純に鬼太郎達が西洋妖怪を倒して追い払った事になっている。前編冒頭の謀議シーンと対になる改変だが、「ブリガドーン」がわかりにくいと判断されたのだろうか。もしかしたら、当時の技術ではブリガドーン現象の場面のアニメ化に難があったのかも知れないが。
そして、ラストシーンはハッピーエンドではない。鬼太郎は勝利して島を去るが、死んでいった仲間たちの事を思い、涙を流して「勝ったのにちっとも嬉しくない」と、寂しそうにつぶやく。ねずみ男に「死ななかっただけでもお手柄じゃ」との言葉がかけられるラストシーンと合わせて、戦争の虚しさを上手く描いている。
まあ、これだけ鬼太郎達が悲しんでいる割には、後の話で死んだはずの仲間が原作同様に何の説明もなく再登場するが、そこは「お化けは死なない」なのだろう。
・第14話「水虎」
(脚本/高久 進、演出/村山鎭雄、作画監督/古沢日出夫)
話が原作と全然違う。水虎の倒し方以外は、ほぼアニメオリジナルと言える内容だ。
第1作をこれまで観てきた限りでは、ある程度のアレンジはあっても、基本的に原作を尊重した作りになっていただけに、このような回があったとは、ちょっと驚きだ。
水虎のデザインも原作とはまるで異なり、思いっきり「虎」そのままの外見をしている。
この水虎が、封印を解いた少女になつくので、妖怪と言うよりは野生動物に近い印象があったが、鬼太郎との戦いではしっかり喋っており、ちょっと興ざめしてしまった。いっその事、水虎には一切喋らせず「動物」としての描写を徹底した方がよかったのではないだろうか。
・第54話「妖怪ラリー」
(脚本/雪室俊一、演出/勝間田具治、作画監督/落合道正)
「妖怪大戦争」に出てきたベアードや魔女などに加え、中国妖怪として水虎も登場。
この水虎、第14話に登場した物とは異なり、「妖怪ラリー」の原作と同じ外見なので、てっきり名前だけ同じの別妖怪かと思ったら、鬼太郎は「そう言えば、前は凍らせて倒したんだったな」と言っており、アニメスタッフは第14話と同じ妖怪として扱っているようだ。このアバウトさは、水木作品らしい。
本話一番の見所は、実況で喋りまくるねずみ男の名調子だと思う。原作には無いセリフも多いので、大塚周夫氏によるアドリブも結構入っているのではないだろうか。
また、「妖怪大戦争」ではボスとして威厳を見せていたベアードの小物っぷりも楽しい。ねずみ男に「呼び捨てにするな」と偉そうにしている割には、審判の赤舌には素直に従ってレースをしているあたりは微笑ましい。
原作では、何故レースをするのか特に説明はなかったが、アニメ版では佐渡島が優勝賞品にされてしまっており、これなら血の気の多い外国の妖怪達が、素直にレースに参加している点も納得できる。話に緊張感も生まれており、上手い改変だ。
とりあえず、今回はここまで。
ところで、4~5月に講談社文庫から「少年マガジン/オリジナル版 ゲゲゲの鬼太郎」全5巻が発売された。
雑誌からの復刻も交えて、可能な限り「少年マガジン」初出時に近い状態を収録しており、これまでの単行本でカットされた扉絵や内容の重複するコマを読む事が出来るし、雑誌ならではの煽り文句もついており、当時の雰囲気を楽しめる点でも嬉しい本だ。「けむしとあそび、ミイラと語る、なぞの少年墓場の鬼太郎!」と言う文句は、妙に味がある。
アニメ第1作を観つつ、並行して「少年マガジン/オリジナル版」で原作を読むと、放映当時にタイムスリップ出来るような感じで、いい本がいいタイミングで出てくれたものだ。
・「ゲゲゲの鬼太郎」第1作感想(2)へ
今年3月までは忙しくてDVDを観る時間が取れず、感想も中断していた。その後、4月以降はぼつぼつと観ていたのだが、新たにスタートした第5作の感想に力を入れていたため、第1作については観た後に簡単なメモを取って感想の下書きをする程度で、放置してしまっていた。
そうしていたら、20話以上の感想が溜まってしまったので、視聴順にメモを清書して、ブログで引き続き公開していく。もちろん、第5作の感想も続けます。
・第9話「見上げ入道」
(脚本/雪室俊一、演出/白根徳重、作画監督/落合道正)
話は基本的に原作に忠実。見どころは、キャラクターの動きにある。
小さくなって学校に潜入する見上げ入道のチョコマカしているところや、妖怪学校で素直に見上げ入道の授業を受けている豚や犬など動物たちの描写が可愛らしくて、観ていて面白かった。
また、霊界ポスト(原作でもこの呼び名)の存在をねずみ男の解説付きでアピールしており、シリーズ初期の重要な設定紹介回と言える。「鬼太郎のたたりがある」と言う説明はどうかと思うが。
・第10話「妖怪大戦争 前編」
(脚本/雪室俊一、演出/茂野一清、作画監督/生頼昭憲)
冒頭で、西洋妖怪達による謀議の場面が描かれており、強敵が来襲するムードが高められている。
中でもベアードは貫禄があり、富田耕生(当時は富田耕吉)の声もよく合っていて、堂々たるボスの風格を見せている。
本話は、アニメでは初めて「鬼太郎ファミリー」の砂かけ婆、子泣き爺、一反木綿、ぬりかべが勢揃いしたエピソード。序盤、西洋妖怪退治のメンバーを募る場面では、最初にたくさんいる妖怪達が徐々に減っていき、最終的に砂かけ達が残る場面が描かれており、選りすぐりのメンバーであることが強調されている。
ちなみに、砂かけの声は小串容子、子泣きの声は第3作でもお馴染みの永井一郎。一反木綿は妙に甲高い声で、誰が担当しているのかわからない。ぬりかべは、ほとんどセリフがないのでやはり誰の声かわからない。
魔女によって、早くも一反木綿がやられてしまう場面は、舞台となる夜の海の雰囲気も相まって、緊張感のある場面となっている。原作と同じとは言え、ここで出番が終わってしまうのは一反木綿に気の毒だが。
・第11話「妖怪大戦争 後編」
(脚本/雪室俊一、演出/茂野一清、作画監督/生頼昭憲)
原作と同じく、一人、また一人と仲間たちがやられて行く。そして、洞穴に隠れている島民達にも危機が迫り、鬼太郎までベアードの手下になってしまい、全編に緊迫感があふれている。
戦闘場面で砂かけ婆や子泣き爺の能力をしっかり紹介しているあたりは上手い。
本話で特筆すべきは後半の展開で、原作で語られた「ブリガドーン現象」の設定は丸々カットされ、単純に鬼太郎達が西洋妖怪を倒して追い払った事になっている。前編冒頭の謀議シーンと対になる改変だが、「ブリガドーン」がわかりにくいと判断されたのだろうか。もしかしたら、当時の技術ではブリガドーン現象の場面のアニメ化に難があったのかも知れないが。
そして、ラストシーンはハッピーエンドではない。鬼太郎は勝利して島を去るが、死んでいった仲間たちの事を思い、涙を流して「勝ったのにちっとも嬉しくない」と、寂しそうにつぶやく。ねずみ男に「死ななかっただけでもお手柄じゃ」との言葉がかけられるラストシーンと合わせて、戦争の虚しさを上手く描いている。
まあ、これだけ鬼太郎達が悲しんでいる割には、後の話で死んだはずの仲間が原作同様に何の説明もなく再登場するが、そこは「お化けは死なない」なのだろう。
・第14話「水虎」
(脚本/高久 進、演出/村山鎭雄、作画監督/古沢日出夫)
話が原作と全然違う。水虎の倒し方以外は、ほぼアニメオリジナルと言える内容だ。
第1作をこれまで観てきた限りでは、ある程度のアレンジはあっても、基本的に原作を尊重した作りになっていただけに、このような回があったとは、ちょっと驚きだ。
水虎のデザインも原作とはまるで異なり、思いっきり「虎」そのままの外見をしている。
この水虎が、封印を解いた少女になつくので、妖怪と言うよりは野生動物に近い印象があったが、鬼太郎との戦いではしっかり喋っており、ちょっと興ざめしてしまった。いっその事、水虎には一切喋らせず「動物」としての描写を徹底した方がよかったのではないだろうか。
・第54話「妖怪ラリー」
(脚本/雪室俊一、演出/勝間田具治、作画監督/落合道正)
「妖怪大戦争」に出てきたベアードや魔女などに加え、中国妖怪として水虎も登場。
この水虎、第14話に登場した物とは異なり、「妖怪ラリー」の原作と同じ外見なので、てっきり名前だけ同じの別妖怪かと思ったら、鬼太郎は「そう言えば、前は凍らせて倒したんだったな」と言っており、アニメスタッフは第14話と同じ妖怪として扱っているようだ。このアバウトさは、水木作品らしい。
本話一番の見所は、実況で喋りまくるねずみ男の名調子だと思う。原作には無いセリフも多いので、大塚周夫氏によるアドリブも結構入っているのではないだろうか。
また、「妖怪大戦争」ではボスとして威厳を見せていたベアードの小物っぷりも楽しい。ねずみ男に「呼び捨てにするな」と偉そうにしている割には、審判の赤舌には素直に従ってレースをしているあたりは微笑ましい。
原作では、何故レースをするのか特に説明はなかったが、アニメ版では佐渡島が優勝賞品にされてしまっており、これなら血の気の多い外国の妖怪達が、素直にレースに参加している点も納得できる。話に緊張感も生まれており、上手い改変だ。
とりあえず、今回はここまで。
ところで、4~5月に講談社文庫から「少年マガジン/オリジナル版 ゲゲゲの鬼太郎」全5巻が発売された。
雑誌からの復刻も交えて、可能な限り「少年マガジン」初出時に近い状態を収録しており、これまでの単行本でカットされた扉絵や内容の重複するコマを読む事が出来るし、雑誌ならではの煽り文句もついており、当時の雰囲気を楽しめる点でも嬉しい本だ。「けむしとあそび、ミイラと語る、なぞの少年墓場の鬼太郎!」と言う文句は、妙に味がある。
アニメ第1作を観つつ、並行して「少年マガジン/オリジナル版」で原作を読むと、放映当時にタイムスリップ出来るような感じで、いい本がいいタイミングで出てくれたものだ。
・「ゲゲゲの鬼太郎」第1作感想(2)へ
原作でオバQといえば、東スポ4コマ漫画でも登場していたのを思い出します。こちらも、水木タッチで妙な感じでした。
原作の多摩霊園のシーンの妖怪たちの中に、三本の毛がないオバQがいるのです。
私は少年マガジンオリジナル版で見て笑ってしまったのですが。
おおはたさんは「あのキャラ」もどきを見つけた時は、
やはり吹いてしまったのでしょうか。