昨日、大阪の梅田ブルク7で『劇場版 魔法少女 まどか★マギカ [新編]叛逆の物語』を世界最速の0時からの上映で観てきた。
地元の名古屋でも最速上映があるのにわざわざ大阪まで行ったのは、もともとこの『叛逆の物語』よりも、「新房昭之監督作品上映祭」として同時上映された『ひだまりスケッチ 沙英・ヒロ卒業編』の方が目当てだったからだ。もちろん、「新房昭之監督作品上映祭」がなくても『叛逆の物語』は観るつもりだったが、それよりも劇場公開は最初で最後のチャンスかも知れない『沙英・ヒロ 卒業編』の方が貴重だと思っていたわけだ(注:その後『沙英・ヒロ卒業編』は、BS-TBSで11/29の放映が決定)。
※以下、具体的な映画の内容に触れます。未見の方はご注意下さい。
さて、そんな状態で実際に映画を観て、どうだったか。鑑賞前の期待値は『叛逆の物語』<『沙英・ヒロ卒業編』だったのが、観賞後の印象の強さは、『叛逆の物語』>『沙英・ヒロ卒業編』になってしまった。
『沙英・ヒロ卒業編』も、丁寧に作ってあっていい作品だったのだが、原作があり、それに沿って三年生の二人の卒業を描く作品であることは分かっており、その通りの内容だった。印象としては、「ああ、よかったなあ」でおわってしまうのだ。
それに対して『叛逆の物語』は、途中まで「多分、これこれこういう展開になるんだろうな」と予想していた展開を、完全にひっくり返して、おそらくほとんどの人が予想できなかったであろう結末を迎えた。成功作か失敗作かはおいておいて、おとりあえず「問題作」であることは間違いない。いや、「問題作」であると思う人が増えれば増えるほど、それはこの作品にとっての「成功」なのかもしれない。
『叛逆の物語』前半は、5人の魔法少女が力を合わせて「ナイトメア」と呼ばれる存在に立ち向かう姿が描かれる。5人それぞれの特徴や協力技を描いたバトルシーンや、5人の仲のいい姿などは、テレビシリーズでは決して観られなかったものであり、私を含めてこのシリーズのファンが「観てみたい」と思っていたものだろう。
その反面、観ていて誰もが「こんなのはウソだ」「ウソの世界が描かれているんだ」と思ったことだろう。もちろん、私も「いつ、このウソの世界が暴かれるのだろう」と思いながら観ていた。だから、ほむらによる謎解きが始まったときは、「ようやく話が本筋に入ったか」と安堵したものだった。
また、前半~謎解きが終わるまでの中盤は少々既視感を覚えながらの鑑賞でもあった。と言うのも、「記憶を消されてウソの世界に閉じこめられている」という設定は、昔から多くの作品で観られたからだ。真っ先に連想したのは、少々古い作品ではあるが、手塚治虫の短編「赤の他人」(手塚治虫漫画全集『SFファンシーフリー』などに収録)だった。アニメでは『コードギアス 反逆のルルーシュ R2』の第1話や『ゼーガペイン』などを思い出した。
もちろん、過去に類例のある設定だから悪いと言いたいのではない。問題は、今作ではどのようにこの設定を料理しているかであり、その謎解き次第で成功も失敗も両方あり得ると思い、スタッフのお手並み拝見をするつもりで観ていた。
では、その謎解きはどうだったかと言われると、「まあまあ」と答えるしかない。「誰かが魔女であり、その魔女が偽の世界を作っている」という真相が示された時点で、魔女がほむらであるという事は薄々感づいてしまった。ミステリで意外な犯人と言えば、探偵本人がそうである場合であり、今作ならそれはほむらだから、その可能性を疑わずにはいられなかった。だから、魔女の正体に驚きは少なかった。しかし、ほむらが自らが魔女であることに気づく場面はショックな心が効果的に描かれていて、いい演出だったと思う。そう言う部分も含めての「まあまあ」である。
その後、色々あってアルティメットまどかが現れ、ほむらが円環の理によって救済されてハッピーエンド…。もう、そうなるものだとばかり思って観ていた。なんとなく物足りない気はするが、これはこれできれいな終わりかな。完全に終わっていたテレビシリーズおよび総集編映画から、よくこれだけ「続き」の話を作れたものだ、などと考えながら。
そこに、「アレ」だ。具体的に言うと、「悪魔」と「愛」。あそこからの怒濤の展開は、全く予想していなかっただけに、あっけにとられたと言う表現がもっともしっくりくる。こうなったら、画面で起こることは可能な限り観のがすまいと思ってスクリーンに集中していたら、あっという間にエンディングを迎えていた。当然ながら、観逃したものもたくさんあるだろうから、さっそく第2回の鑑賞にいつ行くかを考え中だ。
繰り返すが、ほむら悪魔化の展開は、まったく読めなかった。そこまでに至る話が比較的に予定調和な話となっていただけに、「やられた」感は非常に大きい。悪魔ほむらが「"愛"よ」と言ったときは不覚にも吹いてしまった。
悪魔ほむらが作り出したあの世界、はたしてまどか達が幸せなのかどうかは判断しがたい。しかし、テレビシリーズの結末で幸せなのかどうかと問われると、やはりどちらとも決めつけがたい。その意味では、今作の結末はハッピーエンドと言っていいのかも知れない。少なくとも、個人的には「アリ」だと思う。
本作は、1回観ただけですべての要素を鑑賞できるとは言い切れない。たとえば、ほむら魔女化についてキュゥべえが語った理屈。正直、私は完全に理解しているとは言い難い。なんかキュゥべえがたくらんだんだなと言うのはわかるが(簡略化しすぎ)。
ともかく、そう言う点を含めて、また観返したくなる映画だ。はっきり言ってスタッフのもくろみ通りなのかも知れないが。そう言う意味では、やはり「成功作」なのかな。
地元の名古屋でも最速上映があるのにわざわざ大阪まで行ったのは、もともとこの『叛逆の物語』よりも、「新房昭之監督作品上映祭」として同時上映された『ひだまりスケッチ 沙英・ヒロ卒業編』の方が目当てだったからだ。もちろん、「新房昭之監督作品上映祭」がなくても『叛逆の物語』は観るつもりだったが、それよりも劇場公開は最初で最後のチャンスかも知れない『沙英・ヒロ 卒業編』の方が貴重だと思っていたわけだ(注:その後『沙英・ヒロ卒業編』は、BS-TBSで11/29の放映が決定)。
※以下、具体的な映画の内容に触れます。未見の方はご注意下さい。
さて、そんな状態で実際に映画を観て、どうだったか。鑑賞前の期待値は『叛逆の物語』<『沙英・ヒロ卒業編』だったのが、観賞後の印象の強さは、『叛逆の物語』>『沙英・ヒロ卒業編』になってしまった。
『沙英・ヒロ卒業編』も、丁寧に作ってあっていい作品だったのだが、原作があり、それに沿って三年生の二人の卒業を描く作品であることは分かっており、その通りの内容だった。印象としては、「ああ、よかったなあ」でおわってしまうのだ。
それに対して『叛逆の物語』は、途中まで「多分、これこれこういう展開になるんだろうな」と予想していた展開を、完全にひっくり返して、おそらくほとんどの人が予想できなかったであろう結末を迎えた。成功作か失敗作かはおいておいて、おとりあえず「問題作」であることは間違いない。いや、「問題作」であると思う人が増えれば増えるほど、それはこの作品にとっての「成功」なのかもしれない。
『叛逆の物語』前半は、5人の魔法少女が力を合わせて「ナイトメア」と呼ばれる存在に立ち向かう姿が描かれる。5人それぞれの特徴や協力技を描いたバトルシーンや、5人の仲のいい姿などは、テレビシリーズでは決して観られなかったものであり、私を含めてこのシリーズのファンが「観てみたい」と思っていたものだろう。
その反面、観ていて誰もが「こんなのはウソだ」「ウソの世界が描かれているんだ」と思ったことだろう。もちろん、私も「いつ、このウソの世界が暴かれるのだろう」と思いながら観ていた。だから、ほむらによる謎解きが始まったときは、「ようやく話が本筋に入ったか」と安堵したものだった。
また、前半~謎解きが終わるまでの中盤は少々既視感を覚えながらの鑑賞でもあった。と言うのも、「記憶を消されてウソの世界に閉じこめられている」という設定は、昔から多くの作品で観られたからだ。真っ先に連想したのは、少々古い作品ではあるが、手塚治虫の短編「赤の他人」(手塚治虫漫画全集『SFファンシーフリー』などに収録)だった。アニメでは『コードギアス 反逆のルルーシュ R2』の第1話や『ゼーガペイン』などを思い出した。
もちろん、過去に類例のある設定だから悪いと言いたいのではない。問題は、今作ではどのようにこの設定を料理しているかであり、その謎解き次第で成功も失敗も両方あり得ると思い、スタッフのお手並み拝見をするつもりで観ていた。
では、その謎解きはどうだったかと言われると、「まあまあ」と答えるしかない。「誰かが魔女であり、その魔女が偽の世界を作っている」という真相が示された時点で、魔女がほむらであるという事は薄々感づいてしまった。ミステリで意外な犯人と言えば、探偵本人がそうである場合であり、今作ならそれはほむらだから、その可能性を疑わずにはいられなかった。だから、魔女の正体に驚きは少なかった。しかし、ほむらが自らが魔女であることに気づく場面はショックな心が効果的に描かれていて、いい演出だったと思う。そう言う部分も含めての「まあまあ」である。
その後、色々あってアルティメットまどかが現れ、ほむらが円環の理によって救済されてハッピーエンド…。もう、そうなるものだとばかり思って観ていた。なんとなく物足りない気はするが、これはこれできれいな終わりかな。完全に終わっていたテレビシリーズおよび総集編映画から、よくこれだけ「続き」の話を作れたものだ、などと考えながら。
そこに、「アレ」だ。具体的に言うと、「悪魔」と「愛」。あそこからの怒濤の展開は、全く予想していなかっただけに、あっけにとられたと言う表現がもっともしっくりくる。こうなったら、画面で起こることは可能な限り観のがすまいと思ってスクリーンに集中していたら、あっという間にエンディングを迎えていた。当然ながら、観逃したものもたくさんあるだろうから、さっそく第2回の鑑賞にいつ行くかを考え中だ。
繰り返すが、ほむら悪魔化の展開は、まったく読めなかった。そこまでに至る話が比較的に予定調和な話となっていただけに、「やられた」感は非常に大きい。悪魔ほむらが「"愛"よ」と言ったときは不覚にも吹いてしまった。
悪魔ほむらが作り出したあの世界、はたしてまどか達が幸せなのかどうかは判断しがたい。しかし、テレビシリーズの結末で幸せなのかどうかと問われると、やはりどちらとも決めつけがたい。その意味では、今作の結末はハッピーエンドと言っていいのかも知れない。少なくとも、個人的には「アリ」だと思う。
本作は、1回観ただけですべての要素を鑑賞できるとは言い切れない。たとえば、ほむら魔女化についてキュゥべえが語った理屈。正直、私は完全に理解しているとは言い難い。なんかキュゥべえがたくらんだんだなと言うのはわかるが(簡略化しすぎ)。
ともかく、そう言う点を含めて、また観返したくなる映画だ。はっきり言ってスタッフのもくろみ通りなのかも知れないが。そう言う意味では、やはり「成功作」なのかな。