日曜日に、あるばたいんさんのご実家に、たかはたゆうさくさんと一緒にご挨拶に伺ってきた。
お家では、あるばたいんさんのご両親とお兄様が迎えて下さった。部屋に入ると、あるばたいんさんの遺影が飾られていた。この時までは、まだなお「何かの間違いであって欲しい」と思っていたが、現実を目の当たりにしてしまうと、もうどうしようもない。あるばたいんさんは、やはり亡くなられたのだ。
日曜日の時点では、あるばたいんさんが亡くなってから一週間も経っておらず、ご家族が一番おつらかったはずだが、それでも我々を気遣って下さったのか、終始明るく振る舞われていた。
部屋の一角には、あるばたいんさんの遺品となってしまった品々の一部が置かれており、その中には当然ながら「藤子・F・不二雄大全集」もあった。その実物を手にとって気が付いたのだが、『ドラえもん』『パーマン』は読まれた形跡があったものの、『オバケのQ太郎』はビニールの封が巻かれたままだった。また、第2回配本は置かれていなかった。ご両親が「買ってこようか」と尋ねたら、「いや、いい」と言われたそうだ。第2回配本は8月25日発売だった。もうその頃には、死期を悟っておられたのかもしれない。
長い間待たされた『オバQ』も、藤子作品の中で特にあるばたいんさんが愛されていた『エスパー魔美』のカラー絵も、読む事なく旅立ってしまわれたのだ。どれだけ無念だっただろうか、想像しても余りある。
この日は、人一人の死がどれだけ重いものであるか、あらためて思い知らされた。特に、あるばたいんさんは年齢も近かったし、藤子作品をはじめとして趣味で共通する部分が多かったので、本当に他人事とは思えない。
この日は、私とたかはたさんの他にも二人の方が弔問に来られた。私以外は、他県の方ばかりだ。また、藤子ファン仲間からの弔電やお供えの品も届いていた。本当にあるばたいんさんが多くの人から愛されていたのだ。
正直言って、あるばたいんさんのご実家に伺おうかどうか、最初は迷っていた。あるばたいんさんの「死」を完全な事実として受け容れるのが怖かったのだ。だから、たかはたさんが日曜日に行かれると聞いて、お願いしてご一緒させていただいた。
今は、お伺いしてよかったと思っている。死の事実自体はやはりつらかったが、10年以上もお付き合いしていた友人に、ちゃんと別れを告げる事が出来たのだから。あるばたいんさんはきっと、天国でF先生に会っている事だろう。そう思いたい。
お家では、あるばたいんさんのご両親とお兄様が迎えて下さった。部屋に入ると、あるばたいんさんの遺影が飾られていた。この時までは、まだなお「何かの間違いであって欲しい」と思っていたが、現実を目の当たりにしてしまうと、もうどうしようもない。あるばたいんさんは、やはり亡くなられたのだ。
日曜日の時点では、あるばたいんさんが亡くなってから一週間も経っておらず、ご家族が一番おつらかったはずだが、それでも我々を気遣って下さったのか、終始明るく振る舞われていた。
部屋の一角には、あるばたいんさんの遺品となってしまった品々の一部が置かれており、その中には当然ながら「藤子・F・不二雄大全集」もあった。その実物を手にとって気が付いたのだが、『ドラえもん』『パーマン』は読まれた形跡があったものの、『オバケのQ太郎』はビニールの封が巻かれたままだった。また、第2回配本は置かれていなかった。ご両親が「買ってこようか」と尋ねたら、「いや、いい」と言われたそうだ。第2回配本は8月25日発売だった。もうその頃には、死期を悟っておられたのかもしれない。
長い間待たされた『オバQ』も、藤子作品の中で特にあるばたいんさんが愛されていた『エスパー魔美』のカラー絵も、読む事なく旅立ってしまわれたのだ。どれだけ無念だっただろうか、想像しても余りある。
この日は、人一人の死がどれだけ重いものであるか、あらためて思い知らされた。特に、あるばたいんさんは年齢も近かったし、藤子作品をはじめとして趣味で共通する部分が多かったので、本当に他人事とは思えない。
この日は、私とたかはたさんの他にも二人の方が弔問に来られた。私以外は、他県の方ばかりだ。また、藤子ファン仲間からの弔電やお供えの品も届いていた。本当にあるばたいんさんが多くの人から愛されていたのだ。
正直言って、あるばたいんさんのご実家に伺おうかどうか、最初は迷っていた。あるばたいんさんの「死」を完全な事実として受け容れるのが怖かったのだ。だから、たかはたさんが日曜日に行かれると聞いて、お願いしてご一緒させていただいた。
今は、お伺いしてよかったと思っている。死の事実自体はやはりつらかったが、10年以上もお付き合いしていた友人に、ちゃんと別れを告げる事が出来たのだから。あるばたいんさんはきっと、天国でF先生に会っている事だろう。そう思いたい。