ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

葉桜と青空

2015-05-07 18:16:25 | Weblog

 葉桜の根元に見ゆる小さき

 自宅の傍の桜並木の中の一本のさくらの木の下から空に向かって撮った写真ですが、つい、10日~12日ほど前までは、満開の桜で大いに私達を楽しませてくれていたと思いきや、気がつくと、葉ザクラとなり、葉がさくらの木を覆い尽くしていた。自然の摂理と言うか、その成長変わりに改めて驚いた。何年か前に、写真と同様に桜の木の下から見た句を詠んだ。自分ではまーまーの句を詠めた思いましたので、「俳句嚢」ソフトにフャイルしておいたことを思い出し、年代順に句を捜して見ましたが、見つからなかった。詠った句の記憶をたどって見ましたが、思い出すことが出来なく、仕方無く、今日の駄句となったのでした。

 


立夏

2015-05-06 16:21:27 | Weblog

立夏なる木々の青さに深呼吸

 今日から暦の上では「立夏」、写真は毎朝5時頃から歩く、飯山日赤前の歩道ですが、いつの間にか緑が深くなった並木、歩く私の心を優しくうるおしてくれる。その上、朝の澄みきった空気をいっぱいに吸える喜びを噛みしめ全身で受け止める。一日一日を生きることの愛おしさを感ずる日々である。今日から詠む俳句は夏の季語ですが、しばらく季語が入り混じることだろう。


憲法記念日にこごみ採り

2015-05-03 06:23:04 | Weblog

 

九条を考へる間にさくら散る

 

残春の山の恵みに刻忘れ

 

お兄ちゃんと、お父さんと婆とで、婆の生まれたの奥山へ「こごみ」を採りにいった。やわらかなぬるぬるとした「こごみ」はどうしても奥山へ行かねばならないようだ。お兄ちゃんは、急な坂道を頑張って登ったようだった。

 

        

 

 

 

 ネットでは、コゴミ(屈/こごみ)は正式な名称をクサソテツと言い、シダ植物の多年草です。美しい緑の葉で、冬には地上の葉は枯れますが地下の株は越冬し、春から初夏に渦巻状の新芽が出てきます。食用に採るのはその新芽の部分で、地方によっては「こごめ」と呼んだりもします。とあった。家内の生まれ在所は、温泉がある(木島平村馬曲)ですが、高山の為か、こごみは柔らかくぬめりがありますので、毎年初採りを、お世話になっている近所へおすそ分けするのですが、何時も喜ばれている。ほとんどの方々は心待ちにしているようだ。


洋子さんおめでとう。

2015-05-02 05:38:41 | Weblog

雪兎今日だけのことを考へる

新村洋子

 

 

4月30日に俳句誌「岳」の五月号が届いた。早速、喫茶店 「パノラマテラス」で五月号に目を通していますと、俳句教室の同級生の「新村洋子」さんの句「雪兎今日だけのこと考えるが千近くの俳句の中から主宰に推薦され、以下の句評が添えられていた。「作者は体調が思わ言くないのだろう。とはいえ、叡山での千日回峰の大仕事をやりとげられた「酒井雄哉大阿闍梨」の生き方も一日一日という。今日限りという気持ちで毎日をすごす。これは生き方ととして大いに教えられる「雪兎」が可愛いい。」とあった。私も病持ちですので一日一日を大切に今日だけのことを考える。本当に共感を持ちました。洋子さんは教室の中では一番のベテランで、何時もなかなかの敬句詠みなさる方である。洋子さんに上記の尊敬の念を持った「はがき」を出しておいた。

 

 


初蝶が目に入る

2015-05-01 07:45:31 | Weblog

初蝶の羽を休めて力貯め

初蝶や幼く逝きし姉のこと

 

 先日、駐車場のコンクリートが欠けた小さな穴から見事に咲いた「やまぶきの花」をブログにするため写真を撮った後、気がつくと、駐車場に今年初めての蝶にお目にかかった。さて何と言う名の蝶だろう?早速写真にして、ネット上で「蝶の一覧」で調べると、確かではないが、「コツバメ」という蝶ではないかと推察した。ネットには、早春にのみ発生する、茶色い。体温を飛ばさないように体が毛深くなっている。翅裏は茶色一色ではなく、微妙な濃淡の表現がある。寒いうちから活動しだすので、静止時や吸蜜時は太陽に向けて体を横倒しにして止まることが多い。とあった。早春ではないが、寒い雪国なので春が遅い北信州、今でもこの辺に見られるのではないかと、勝手に想像する。食草はアシビ(馬酔木)、ただし草ではなく、つぼみを食べる。新芽やつぼみだけを食べるのはシジミチョウ科特有の食生活である とあったが、この辺に馬酔木の花などあるのか疑問視してきた。また、二句目は「初蝶や幼く逝きし姉のこと」は、例の喫茶店「パノラマテラス」で「岳」の五月号が本日届いたので早速目を通していますと浮かんだ句である。私には二歳年上の姉がいた。母の話では「初子」という名前で、私が一歳の時三歳で亡くなったと聞いている。勿論私は姉の面影は浮かばない。どうも、その頃の写真を母が亡くしたようだった。母が良く話してくれたことは、私が腹がすいて、母に乳を求めて泣いていると、良く母に「あーがオッパイ欲しくて泣いているよと」必ず母に知らせに来てくれたらしい。母の言うには、とても利発な子で可愛かったと良く言っていたことを思い出し、上句となった。