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ときめきの日々を過ごしたい

さびしい教会とさびしい柿

2011-12-14 07:44:50 | Weblog

灯の消へた教会寒からむ

教会の枯木のごとく寥として

冬の柿空に残され花に見ゆ

足を知る採る人もなく冬の柿


故郷に採る人も無く熟柿かな 
近藤善太郎

さびしい句が重なった。もう何十年となく開かず、灯の付かない教会と、誰にでも相手にされない柿が隣同士に淋しそうに立っている。この両方とも私の通った飯山小学校の前に挟んで存在する。久しく小学校の前を歩いた。教会は以前ブログにしましたが、私が小学校の頃、クラスの何人かが日曜教会に通っていた、立派なキャソックを着た神父さんがおいでになって。日曜日に親子の信者でたいへんにぎやかだったころの教会を思い出す。通っているクラスの子は町ではグレードの高い家庭の子だったと思う。私などは、教会には入ったことがないので。中にどんなに素晴らしいものがあるのだろうかと思っていた。神父さんがいなくなり教会が閉ざされたり開かれたりで、かれこれ30年以上になると思う。今は私の知り合いの洋品店の御主人が管理しているようですが、人口減と時代背景なのか、ただたださびしいのみである。また、隣の太い大きな柿だが、これもまた数十年と捥がれていない。小鳥たちの括弧の餌になっている。先日の「足るを知る」では無いですが、よそ様の柿ですが、蜜柑以上にビタミンや繊維質があるので、、何とか上手く食べるようにしたらと思うのでした。