春拒みいすはる如く降りしきる
昨夜半にかなりの雪が降った。「冬来たりなば春遠からじ」と期待する雪国の人々ですが、そう安々と春が来てくれない。今日は降ったり止んだりの一日だった。
報道では日本列島すっぽり今冬最高な寒さだった。下関など39年ぶりの大雪だったらしい。
病棟の友に春陽のやわらかし
中野市の病院に定期診察に出かける。血液検査の結果、ヘモグロビン、コレステロール、中性脂肪、その他の数値はすこぶる良い結果だったので安堵する。先生からはこのままの数値を崩さないよう日々頑張ってくださいと御指導いただいた。主治医の服部先生に会うだけで、何か暖かいものが伝って来て本当にありがたいと思う。帰りにこの病院に2週間ほど前から入院している友人を見舞った。彼は顔色もすこぶる良く元気で経過も良好のようなので安心する。
春めいた暖かい一日でした。二月の三分の一が過ぎましたが、まだまだ春を拒む寒い雪の日が続くでだろう。悲しい報道、一家の心中事件、沖縄のアメリカ兵士による婦女暴行事件など暗いニュースが後を絶たない。一家心中などは、グローバル社会の影響による生活苦からの事件と思われる。格差社会の歪みがここにも現れている悲しい事件である。先行き不安を感じるこの社会、先日ブログにしました小沢昭一さんの「幸せはささやかが極上ですよ」このささやかさまで奪われる昨今の情勢に心が痛む。
俳句界の1月号に私の大好きなエンターテイメント「小沢昭一」さんと評論家「佐高 信」さんの対談が載っていた。小沢昭一さんは「変哲」という俳号を持ち「東京やなぎ句会」を発足した俳人でもある。俳形は小沢さんらしくユーモアがあって楽しい。早稲田の仏文科を出た秀才でありながら気取らない性格そのものが良い。対談の中で、「日本は戦後の復興から経済大国を目指したからだと思うが、大国が好きなんですな。なぜ小国じゃいけないのか、幸せはささやかが極上ですよ。」この<幸せはささやかが極上ですよ>の言葉に小沢さんらしさが見えた。
今日の句は小沢さん譲りのそのままの拙句です。
写真は数年前に志賀高原は横手山の樹氷写真を友人に戴いたのを複製した。今年も寒い日が続くので多分横手の樹氷は今が最高ではないかと思う、若い時代はこの横手をスキーで滑り降りること数十回、標高2000m以上あるので吹きたまりとなり積雪が少ない。転んで木の株に尻を突いものならその痛さは純情ではなかった。今でも忘れられない経験である。久しぶりに数十年前の若かりし時代を思い出しました。
昨日から試行錯誤し、推敲をかさねてやっとできた恥ずかしいほどの拙句である。
目に遠く、道のない雪の中で必死に生きている猫柳を見つけ、小さな感動を覚える。最初の一句は,花瓶や剱山に刺した猫柳でなく「<野にありてこそ凛とする猫柳>の句であったが、気が付けば雪の中に耐えているのに、「野にありて」ではしっくり行かず、そこから句が崩れに崩れてしまった。相変わらずである。
先日、飲み仲間でお世話になっています西念寺というお寺の住職に「真なるものははなはだ少なく 偽なるものは はなはだ多い」という住職がお書きになった書を戴く。自分に置き換えて見ましても、住職の書の通りだと痛感する。西念寺さんは
私たち飲み仲間に毎年、時世を写す言葉をしたためて戴く、誠にありがたい。
今日は立春の一日前節分の日だ。我が家は数年前から節分の日の夕餉は「恵方すし巻」ととろろ汁の「山かけ」「鰯の丸干」の3品が揃う。勿論「おさんどん」係長の私が料理するのであるが、なぜ「鰯の丸干し」なのかいまだに分からないでいる。が「恵方巻」はネットでは<節分の夜にその年の恵方を向いて(2008年は丙の方位(南のやや東より)太い巻き寿司無言で丸かぶりすると、1年間よいことがあるのだそうです。もともとは愛知県の方の風習らしいのですが(大阪起源説もあり)、1977年に大阪海苔問屋協同組合が節分のイベントとして道頓堀で実施したのをマスコミが取り上げ、早速全国のお寿司屋さんがそれに便乗して全国に広まったということのようです。今ではスーパーや百貨店ではこの太巻き(恵方巻き)が大量に売れ、すっかり節分の行事として定着した>とあります。
気が付くとあたりの木々が芽生え始めている。温かな春を一生懸命に待っているかのようだ。写真の冬芽は木蓮の芽ではないかと思いますが、寒中の冷たい陽でもいっぱいに吸って元気でいる姿を観察し、自然の力強さを改めて知らされた思いとなった。
寒晴れの逃げも隠れもできぬ空
まどかさんの難しい言葉を使わない、ホットした暖かい句が好きです。
今日から早くも2月、このごろ、孫の椋一君がチョクチョク私の部屋へ入ってくる。目的は、私に抱っこしながらPCの「アソパソマソ 」を見たいからである。今日はPCのある場所に、窓越しから暖かい日差しがありがたい。椋一君は真剣な眼差しで「アソパソマソ 」に夢中になっている。爺は孫をひざの上に置きながら、子供のころ父とキャッチボールをした夢を見た。平和そのものである。