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ときめきの日々を過ごしたい

木島平やまびこがの丘公園のダリヤ園

2016-09-12 07:38:14 | Weblog

 ダリヤ魅に身も心とも奪われし

ダリヤ園少女しっとりりけり

 

 

 

隣の木島平にやまびこの丘公園内にダリア園がある。ここは、5,000平方メートルの敷地内には260種、約20,000本の中南米・中国産のダリアが咲き誇んでいる。私もこの「やまびこの丘公園へ一緒に行きましたが、公園には入らず休憩室で静かに『飯田龍太」の俳句鑑賞読本に目をとおしていた。場所が場所だけにどうも集中できなかった。婆とお母さんと、末孫の「あーちゃん」とで公園内のダイヤ園を楽しんで来たようだった。お兄ちゃん二人は、そらぞれ、バスケとサッカーの試合をお父さんの運転で出かけたようだった。今日は二人とも強豪との戦いのようなので、成績は上がらないだろうと勝手に思う爺であった。身につかなかったが、「俳句鑑賞読本」にこんな「はしがき」があった。

実作はしないが、新聞や雑誌に投稿された俳句に対する選者の短評は興味をもって読むというひとが増えているようである。「なるほどそういう意味合いの句か」と合点するときもあるし、「いや、それはおかしい。この句は、こう解すべきではないか」と思う場合もああるだろう。いわば自問自答のかたちで、素早く結論がうまれるところに、実作の有無にかかわりない短詩型の面白だがある。しかし、実作するひととしからざるひととの間には、作品に対する問合いのとりかたが微妙につがうように思われる。あるいは、眺めるだけの釣りと、実際に釣竿を手にした場合の違いといってもいいかもしれない。鑑賞とは、作品に程よい距離をおいておおづかみの印象を深め、近づいて細部の検討をするこただろうが、ことに俳句のような詩型では、僅かな文字のちがいで作品の解釈に非常な差異が生まれる。そこに、鑑賞の面白さが生まれる。ことに実作の場合は、その点に気付くと、にわかに人事でなくなってくるものである。とあった。