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ときめきの日々を過ごしたい

俳句教室

2012-05-24 15:04:56 | Weblog

 

先日五月二十一日は、五月の連休の為か一日だけの俳句教室の日であった。四ヶ月のブランクの後、二回目の俳句教室の日となる。まぐれだと思いますが前回と今回二句が特選句に選ばれた。ちなみに二十一日の先生から出された兼題は「若葉」全般でした。

特選句  一心にお乳ふくます若葉寒       忠男さん

   〃     若葉寒輩一人の缶拾ひ         八千代さん

     柿若葉無医村に来て二十年      正義

        窓際に驢馬のペン立て若葉雨   ゆう子さん

  〃     万緑やこつと逝きたる百二歳     洋子さん

前回の兼題はさくら全般でした。          特選句   空っぽの預金通帳花曇     正義

 かれこれ二十年前になりますか、地震被害のあった栄村に無医村となった時期がありました。その後、医師が来て下さって解決したと聞いておりましたが、また四年位前に医師がいなくなったと聞く、ネット調べると以下の文面が現れた。

<無医村の危機救う>

栄村の80歳医師 、栄村に医者がいなくなる危機を回避しようと、東京で働いていた80歳の内科医が4月、 村の診療所に着任した。約55年間勤め、慕ってくれる患者も多かった病院を辞めての 単身赴任。自身も心臓病や高血圧の薬を飲みながらの診察だが、村に安心をもたらしている。

この医師は、栄村出身の市川俊夫さん。小学生まで栄村で過ごし、その後、父親が教員 だったため、佐久や上田などを転々とした。終戦直後に医師となり、東京・品川区の病院に 勤務した。 栄村では、1人しかいなかった医師が3月末で村を離れることになり、無医村となることが 危惧(きぐ)されていた。昨年11月と今年1月、高橋彦芳前村長がツテを頼って、東京の 市川医師を訪問。年齢が同じだったり、共通の知人がいたり、前村長が市川医師の父親を 覚えていたりと、様々な巡り合わせがあった。 前村長に「ぜひ」と頼まれた市川医師は「後任が決まるまでのピンチヒッターとしてなら」と 応じた。
村に来て、「自分と同年代の人を診ることも多いが、東京と違ってみんなよく働いたんだなあと 思う。ご苦労さんと声をかけている」。山や田畑での重労働のため、腰が曲がり、脚を痛めた 患者が多いという。平日午前中だけの診療に、70人も訪れることがあるとあったが、何分にも80歳の御老体だ、柿若葉のよう若い医師の来村をこころから望む。