ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

議員パス特権

2012年08月22日 | とんでもない!
 長年国会議員になったら、常識だとされていた議員無料パスの内、私鉄や路線バスの無料パスが廃止されることとなり、参議院運営委員会で各会派が一致して、衆議院側も同調して、九月末日で廃止されることとなるそうだとの記事が夕刊に掲載されていた。

 ご存知の方も多いと思われるが、国会議員には給料にあたる歳費のほかに文書通信交通滞在費として月額100万円が支給されているのにも関わらず、現在でも衆参両院の事務局から、JRや航空各社に対しては議員の利用に際しての本人の無料分が年間葯13億円も出費されているらしいのだが、この私鉄や路線バスの無料に関しては、一切事業者には支払われない形で負担をしいっていたものである。

 いずれにせよ、国会議員だけではないが、地方議員の中にも公費で私的な旅行や私費で賄うべき費用をも、まるで議員特権の様に誤魔化して利用したり、支払いをさせている不届き者がいると思われるのだが、かつては議会の常識は世間の非常識、つまり議員の特権は当たり前だとの意識があったと感じるし、現在も多くの議員が少なからず特権意識を持っていると思われるのである。

 今回の私鉄、路線バスなどの国会議員の無料パスの廃止については、一歩前進というべきかどうかは定かではないが、日本民鉄協会やバス協会からの長年の要請もあって、昨今の行政改革や経費削減の世論の後押しもあって、ようやく実現の一歩を踏みだしたに過ぎないのである。

 というのは、国会議員を頂点に都道府県議会議員、政令都市議員、そして市町村会議員となんだか序列の様でもあり、ピラミッド型の権威的立場が無意識の中に存在していているのだろうか、全ての議員をなぜか「先生」と呼ぶ習慣というべきか、悪習が議会の周辺には存在していて、現在も多くの場面やマスコミでも議員先生呼ばわりが登場しているのである。

 一般市民、つまり有権者に選挙で選出されたからと言っても、ただの民主主義的な代表者に過ぎないはずの議員を、たぶん多くの有権者のうちの限られた人々が、議員先生と呼ぶことによって、その議員をいい気にさせておいて、自らの利権に関わる仕事や金儲けに利用しようとする魂胆があるのだろうとしか思えない関係性の中で、多くの周辺の人々が「先生」と呼んでいるとしか思えないのである。

 私の地方議員として4期16年の経験から感じるのは、私自身はあの「議員バッジ」にあるのではないかと思う部分もあって、私自身は初議会の時以外は、基本的に議員バッジそのものを着用することをしないで、自分の公約や政策の中でも「先生と呼ばせない普通の市民の一人として」とわざわざ明記して活動させていただいたのであった。

 たぶん、私自身が全くの講演会や組織の応援も無い、普通の市民の一人として議会に送っていただいたと思っているので、議会活動も含め、一切の政党や組織には所属せず活動させていただいたので、無党派あるいは市民派、時には非所属の無所属を名乗ったためもあったので、一切の利害や特権意識や利益誘導的活動はしなくて済んだのであった。

 議員パス特権に留まるだけでなく、全ての議員が地域や国の奉仕者として、多くの市民や有権者の目線で活動する社会、民主主義が育たなければ、まだまだ当分議員特権や、先生意識を持った議員たちを横行させることとなりそうである。

 結局、議員自らの資質だけでなく、有権者とそしての国民、市民がこうした議員の特権意識や非常識な制度やルールを指摘したり、変えて行くアッピールをしなければ、簡単にはまだまだ議員と議員は大きくは変わらない非常識の中に隠蔽され続けるだろう。
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