ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

長寿医療制度

2008年04月03日 | とんでもない!
 2008年度が始まり、道路特定財源を巡る暫定税率の期限切れで、にわかにガソリンが値下がりして、自動車ユーザーにとっては嬉しい春が訪れた。

 しかし年度が改まって、いろんな制度が始まり新たな負担や食を中心とする物価の値上がりが徐々に家計を圧迫してくること間違いなしの予感がある。

 今年度から始まる「後期高齢者医療制度」は、75歳以上の高齢者の医療保険を新たに別枠で設定し、各府県毎の自治体連合組織が、高齢者の医療保険組合を作って年寄りいじめをするものである。

 いよいよ4月15日から75歳以上の年金受給者約2700万人を対象とした新たな保険料の天引きが始まるのである。

 年額平均7万二千円というが、果たして都道府県ごとでの試算なので、いくら天引きされるかわからないところも多い。

 なけなしの年金受給を頼りに細々と日々の生活を営んでいる、多くの低所得のお年寄りたちにとって、この「後期高齢者医療制度」は、またもや支出を強いられて、苦しい生活に追い討ちをかけるような制度であろう。

 まるで死ぬのを待っているかのようだとのお年寄りたちの反感から、福田首相の鶴の一声で「長寿医療制度」と呼ぶことにしたらしいが、政府が高齢者の医療費を抑制するために作った制度で、診察や治療を受ければ保険料が上がる仕組みになっていすて、ちっとも長寿を祝う制度なんかじゃない。

 「長寿」といえば、「お祝いの言葉」のはずなのに、今回の医療制度で使用される「長寿」は、言葉とは裏腹に、まるで「長寿」が悪いことのように負担を強いるようになっているのである。

 日本人の平均寿命が延びて、現在では男子が76歳、女子は81歳に届こうとしていることは大変喜ばしいことであるが、長生きすることがちっとも嬉しく楽しいことではなく、ある高齢者はテレビのインタビューで、「年寄りは早く死ね」と言われているのと同じだと答えていた。

 「長寿」になっても、年金支給資格者の5千万件の詳細不明やら、社会保険庁のでたらめの事務管理の挙句、保険料をとんでもない職員厚生費に使用していたり、道路特定財源で無駄な道路と直接関係ない支出にあてていたりと、無茶苦茶な税金の無駄使いを一方でしながら、高齢者弱者に新たな負担を強いるという、とんでもない制度、政治、行政の実態なのである。

 「怒りを忘れた国民」にさせられ、「お上に楯突く」ことは悪いこととした「教育」がまかり通る現代日本社会で、戦後時代を作り上げてきた高齢者がいじめられる、新たな「長寿医療制度」に「怒り」の声を上げよう。

 高齢者いじめをやめて、真の「長寿」を祝う、医療と介護の制度を、国が責任を持って担う、福祉国家に変えなければならない。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心の闇

2008年04月02日 | とんでもない!
 今年に入ってからも、毎日の様に「悲しい」を通り越した「不条理な殺人」や「事件」が相次いでいて、ニュースを見聞きしながらも、つい「ため息」しか出ない自分に気づきつつ、「何故か?」と自問自答するしかない有様である。

 今日のニュースでは、昨年10月に「おかぁさん」というタイトルの詩で、青森県の佳作に選ばれた小学3年生の男児が、その「お母さん」に首を絞められて殺されたという、衝撃的な報道があった。

 「おかぁさん」の体や腕の感触が温かくてポッチャリとしていて、まるでトランポリンで跳んだようなベッドであると彼は自作の詩に書いているのである。

 そんな仲の良かったと思われていた少年と母親の間に何があったのか、それともわが子を殺してしまったとされる容疑者の30歳の母親の心の中がどうであったのか、全く想像も出来ないのだが、間違いなく「心の闇」があったのか、突然出現したのではないかとしか思えないのである。

 一週間ほど前に起きた「岡山駅」での大阪の高校を卒業した直後の18歳の青年が起こした「プラットフォームからの突き落とし殺人」事件に関しては、本人が大学進学を希望していたが、家の経済的理由から、就職してお金を貯めてからの進学を目指して卒業したと伝えられているが、こんな事件を起こした真相は未だ判っていない。

 本人は、ただ誰でも良かった。人を殺せば刑務所に入れると思ったと供述していると報道では伝えられている。

 成績優秀だったといわれている、この青年の「深層心理」と「心の闇」は、どうだったのだろうか、全く因果関係としての説明がつかない事件、行動、言動である。

 この事件に関しては、強く印象に残ったのが、加害者である18歳の容疑者青年の父と、被害者である岡山県職員の30代の若き父親の父の、それぞれのコメントである。

 被害者の父が容疑者青年について、腹が煮え返るくらいの憤りを感じつつも、「彼が更正して、社会に役立つ人間になってほしい」と言わしめたことと、加害者の父が涙を流して何度も心からのお詫びを繰り返し言いつつ、「誰かを傷つけるのなら自分を傷つけてほしかった」と言っていたことである。

 当然、加害者の罪と罰はこれから捜査し裁かれるだろうが、この事件の直後から、被害者の父が「人間愛」に満ちた「心の闇」に対する寛大かつ慈悲の心を示したことは、なかなか形だけでも出来ないことである。

 また多種多様な「ニュース」に登場する会社幹部や公務員、政治家たちの「御詫び」のセレモニーやパフォーマンスをたくさん見せられているが、この父の「心から詫びる」、言葉と態度には「嘘」や「体面」だけでない、「心の叫び」を感じた。

 いずけにせよ、秋田の畠山事件といい、奈良の一家焼死殺人事件といい、数多くの殺傷事件の容疑者たちの「心の闇」について、今後の心理学、教育、子育て、家庭、モラル、あらゆる側面からの「究明」が待たれる。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガソリンが125円に!!!

2008年04月01日 | 季節の話題
エイプリルフールの第二弾!!!と言うわけではないが、ほんまにガソリンが一気に1L148円から125円になった。

 道路特定財源としての揮発油税の暫定税率の是否について、与野党の議論が全く進まないままに、期限切れの3月31日を経て、今朝は新聞各紙もテレビ各局も大騒ぎであった。

 しかし、私の住む京都府南部では自家用車での通勤途中にもいくつかのガソリンスタンドの前を通ったが、全く「値下げ」の気配もなく、やっぱりテレビで報道されていた「青森県」や「大阪南部」などの限られた地方だけのガソリン値下げ狂想曲だと思っていた。

 私のマイカーのガソリンがもう底をつきそうな状況の中で、何とか明日、明後日くらいまでは、極力ガソリンを入れずに我慢して走ろうと覚悟を決めていたのだが、仕事帰りに朝と同じ幹線道路を走っていたら、何とレギュラーガソリン、125円と記されたスタンドがあったのである。

 朝は間違いなく148円と記してあったガソリンスタンドであったが、いつ変わったのか、何と23円の値下げを思い切ってしたようである。

 早速、携帯メールで何人かに125円情報を送信した後、事務所に戻って同僚のスタッフにガソリンスタンドの場所などを告げた後に、早速退社後マイカーで給油にと赴いたのである。

 先ほどはガランとしていたガソリンスタンドだったが、何処からともなく私もそうだがたくさんの車が、この「セルフ」のガソリンスタンドに入って、「満タン」のガソリンを給油していたようであった。

 初めて入ったスタンドだったが、何故か心ウキウキと少し興奮気味にガソリンを満タンにして現金で精算したところ、約30リットルで約690円分安く給油できた。

 今日の昼ごはんの定食代が、ほぼタダになった感じで、庶民感覚としてのちょっぴり嬉しい給油体験となった。

 テレビの各地の「ガソリン値下げ」報道では、一リットル116円のスタンドも出現していて、インターネットで情報確認したユーザーたちが、他府県からも車を走らせて、少しでも安いガソリンスタンドでは長蛇の列が続いていたという。

 庶民の感想は、与野党逆転の「ねじれ国会」の恩恵だとか、これで家族で一食レストランで外食できるとか、ささやかながら喜びに満ち溢れた感想が聞かれた。

 この嬉しいガソリン値下げの状況を、政府与党は再び5月末には暫定税率を再度可決し、再びガソリン代を3月末の値段に戻そうと企んでいる。

 そんなことをしたら、国民、庶民、消費者は本当に怒るよ。

 ガソリンの値の攻防から、国会解散、総選挙となるケースも出てくるよ。

 しばらくは、久しぶりのガソリン1リットル125円、私の軽四輪だと満タンにしても5千円でお釣りがくる快感!?を味わいたいものである。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「宝くじ」大当たり!!!

2008年04月01日 | 季節の話題
「やった!!!」、念願の「宝くじ」に大当たりです。

 それも、何とドリームジャンボを超える「100億円」。

 今朝は、いつもより目が覚めるのが少し早かったです。

 それもそうです。こんなことは「夢みたいなこと」だからです。

 目覚めた布団の中で、ゆっくりと考えたら、今朝は何と「エイプリルフール」の四月一日だったのです。

 毎年、このエイプリルフールの朝には、なにやらイタズラ心がむくむくと起き出して、何か「かわいい嘘」でも、ちょっとした戯言でも言ってみたくなるのですが、なかなか家人に嘘をついたり、騙したりなんてことは「勇気があっても」、出来ないものですね。

 そこで、今年はどうしようかなと昨晩少し考えていたら、何と「夢で宝くじが当たった」のです。

 これは、ちょうどいいネタができたわいと、早速パソコンに向かって、朝からブログの「ガリバー通信」の更新と相成ったわけです。

 大して驚いた方はいないと思いますが、少しだけ「エイプリルフール」もどき体験と言うか、「嘘」をついてしまいました。

 いつでも「エイプリルフール」の朝に思い出すのが、私が東京で音楽事務所をやっていた時期の四月一日の朝の出来事です。

 いつもの様に、朝の支度を終えて、近くの井の頭線の西永福という小さな駅に通勤のために向かいました。

 時刻は午前10時を少し回った頃だったと思いますが、駅に着くとプラットフォームの時計は、9時を回った時刻をさしています。

 何だ駅の時計が一時間ほど遅れているのかなと思いながら、電車に乗って終点の渋谷駅に着きました。

 四月一日ということも、さほど気にもせずに渋谷駅から地下鉄線に乗り換えて神宮前まで行こうと思ったのですが、何と渋谷駅の時計も狂っていました。

 「いや可笑しいぞ」とやっと気づきました。京王線の井の頭線西永福駅も渋谷駅も、公共交通機関の時刻を告げる時計が全て狂っているわけがありません。

 「やられた!!」、家人が僕の時計も家の時計も僕の身の回りの時を刻むものを全て一時間早めていた「いたずら」だったのです。

 ものの見事に「引っかかった」私は、いつもより一時間も早く仕事場である事務所に着くことができました。

 駅から早速公衆電話で、そのことを告げると「今頃気づいたん・?」と、あっけらかんの笑い声でした。

 今までの人生で、こんなにもあっさりと騙されたのは、後にも先にも「この時間泥棒」のエイプリルフールが初めてで最後です。

 これからの人生、何度もエイプリルフールの朝を迎えると思いますが、さて「お見事な嘘」に再度出会えるでしょうか。

 ほんとうに「宝くじ大当たり」だったら、たいへんな朝となっていたでしょうが、まず買わなければ当たるはずもありませんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする