ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「竹の子会」

2008年04月29日 | ガリバー旅行記
 春の竹の子のシーズンである。竹の子とは、もちろん孟宗竹の赤ちゃんの「タケノコ」なのだが、これを「筍」と書く謂れを、つい先日知ったのである。

 孟宗竹などの竹の赤ちゃんであるタケノコは、雨後のタケノコの如くとも称される様に、よく出て、よく伸びるものである。

 そこで、つまり「旬」といわれる十日間で「ぐんと伸びる」ものなので、竹冠に旬と書くのだと言うのである。

 なるほど、地中から少し気配を感じるくらいの「タケノコ」の出ばなを感じて「タケノコ掘り」の名人は、見事に大きなタケノコを掘り出すのだが、私が名づけた「竹の子会」とは、私たちの小学一年生の頃の同級会のことなのである。

 今から半世紀ほど前の、大阪市立長池小学校に誕生した、なんと「一年い組」の担任の先生が「佐竹先生」だったことから、十歳の頃に先生が他の小学校に転勤されることを知った時から、先生のお誕生日のお祝いを兼ねて始めた同窓生の会を「竹の子会」と名づけたものなのである。

 実は団塊の世代の真っ只中の我々のクラスは、たぶん出入りのクラスメイトは、のべ六十人以上いたと言われているが、その内の有志によるミニ同窓会が、今まで五十年近く続いているのである。

 最初の頃は、みんなで百円、二百円と出し合って、先生のお誕生日ケーキを携えて、先生のご自宅に伺って、みんなでご馳走になって帰ってくる様な同窓会だった。

 そのうち、みんな高校生、大学生と成長し、オリンピックの年には出来るだけ多くのクラスメイトに呼びかけての同窓会ととして発展して、ほとんどが結婚し、所帯を持ってからは、奥さんや子供さんも同伴でのにぎやかな集いも何年か持った。

 野山に「竹の子」が顔を出す頃に集うことが多かったためと、「佐竹先生の教え子」ということでの「竹の子会」なのだが、みんなは「筍」のようには成長していないかも知れない。

 しかし、今年の先日の集いには、何と半世紀ぶりの仲間が東京から駆けつけてくれるという「楽しい集い」となった。

 広島から毎回顔を出してくれるT君をはじめ、男子七名と女子一名の総勢八名のミニ同窓会だったのだが、実は恩師の「佐竹先生」が三年前に亡くなられているために、恩師なき同級会となっているのである。

 消息も含めて、セピア色の小学入学式の写真を見ながら、話は尽きないのだけれど、大学の教授が判明しているだけでも四名いるし、日銀に就職した輩もいるらしい。

 しかし、団塊の世代の我々は、昨年から今年にかけて全て「還暦」を迎えたために、第二、第三の人生を歩む実態が見えてきていて、まだまだ心は若い連中なので、話は発展していくばかりであった。

 まだまだ「伸び行く」、育ち盛りの「竹の子会」であった。
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