ガリバー通信

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「大過なく」過ごしていいの?

2008年04月20日 | とんでもない!
年度が変わって、2008年度になり二十日が経った。

 昨年度の初めまで議会議員として16年間仕事をさせていただいて、毎年年度末に迎える幹部職員の退職挨拶を、議事堂で他の議員たちと一緒に聞く恒例行事があった。

 ここ数年は、所謂「団塊の世代」と称されるベテラン職員が多く退職期を迎えて、彼らは緊張の面持ちの中で用意された原稿を読む人、また素で自分の思いを語る人と様々だが、地方公務員として奉職した何十年を個人的に振り返って、感慨深かめに挨拶される方が多かった。

 私は議員席から、各々個人としての長年のお勤めに対しては、「ご苦労様でした」という思いで感謝と慰労のための「拍手」を一同と共にしたが、いつも拭い切れない引っかかった言葉があり、自問自答せざるを得なかった。

 退職者の多くが部長職以上の職責を経験された方たちだが、「採用されて以来、●●年間、大過なく過ごさせていただいた」とおっしゃる方が多い。

 私は、この「大過なく」と言う言葉に、どうも違和感を感じ、拘りを感じていたのである。

 「大過なく」とは大きな過ちがない、大きなトラブルもないということなので、一見当たり前の如く普通の人は納得する常套句かも知れないのだが、私は、「そりゃそうだよね、事なかれ主義では。」と感じて、特に大きな問題提起とかアイデアや手法、発想での仕事をしなければ「大過なく過ごせる」と思うのである。

 地方公務員が、住民の福祉や日常生活に大いに役立つために、住民本位の視点に立って仕事をしていたら、いくら遵法精神を持っていても、仕事でをいろいろと問題にぶちあたたったり、トラブルも起きるはずである。

 民間企業の仕事でも同様だが、そうしたトラブルや問題を感じた時に、どう対処するか、またどう戦うか、どう新しい提案と努力をして「変えていくか」が、仕事ととしての「やりがい」ではないのだろうか。

 地方公務員に関わらず多くの日本人の習性は、「大過なく」に通じる、避けて通ったり、責任逃れの先送りしたり、少しの葛藤はあるだろうが、まともに「トラブル解決」に根本的に向き合わない性分が根付いているのではないだろうか。

 永年勤続を果たして退職して行く人たちの口から、異口同音の如く「大過なく過ごさせていただいた」などと言う、納税者、市民からすると、違和感のある挨拶にいつも「疑問」を抱いていた。

 ぜひ、どんな仕事、立場でも、「大過なく過ごす」のが目標では困るわけで、トラブルメーカーではないが、トラブルや問題に突き当たってこそ発揮できる、自分らしい戦い、すなわち「仕事」を切に願わざるを得ない心境である。

 仕事にはトラブルが必ずある。それを乗り越える英知と誠実さと努力が必要で、大過ではなくなく小過にトドメテ、改善、改革していく情熱を持って仕事をしよう。


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1 コメント

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仕事をしない典型的公務員 (Unknown)
2008-04-20 13:23:17
 地方自治体で長年勤めた人は、役所の仕事で大切なのは、目立たないこと、言われたとおりにやること。遅れないこと、などをモットーにしている人が多い。

 決して、市民、住民のために、仕事をしているという意識の職員は少なく、税金で食いっぱぐれのない「親方日の丸」のグーたら職員が多いよ。
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