ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

6月4日は何の日?

2007年06月04日 | 世界の問題
みなさん!!6月4日、今日は何の日ですか?

平和な?日本の日常の中では、「虫歯予防デイ」なる、6,4を「むし」と呼んで、子供たちをはじめ、大切な歯を虫歯菌から守ろうと呼びかける日となっています。

 しかし、私の記憶に鮮明なのは、1989年6月4日に起きた、「中国天安門事件」です。

 ただし、この6月4日は、第二次天安門事件と呼ばれていて、1976年の4月5日に、周恩来が死亡した時に発生した天安門事件を第一次と称している。

 18年前に発生した、第二次天安門事件は、私には衝撃的な事件であり、テレビ映像で全てが伝わったわけではないが、学生、知識人、労働者達が民主化を求めて運動し、漢民族の王丹、柴玲、ウイグル族出身のウーアルカイシ等が指導したとされている。

 天安門広場では、胡耀邦の追悼集会を契機に、1989年4月頃から、学生達が民主化を求めてストライキを始めていたのだが、全国的な広がりに発展し、天安門広場でカンパを集め始め、天安門広場に政府に物申す人民達が集まりだしたのである。

 そこで、中国政府は6月4日に、人民解放軍を天安門広場に出動させて、デモの鎮圧をはじめたのである。

 武力弾圧をしようとする戦車の前に、ひとりの若者が飛び出して威圧して、その戦車が進めずに戻っていく映像が、中国国内だけでなく、全世界に配信されたのである。

 全世界に、天安門事件の経過が報道されて、世界各国が中国政府を非難し、ヨーロッパ諸国は、対中兵器輸出を禁止するなどの措置がなされ、中国国内では、当時の中国共産党総書記であった、ショウ紫陽氏がデモ隊に同情的な発言をしたことで、失脚したのである。

 この天安門事件は多くの謎の部分もあり、死傷者が多数でたと思われるのに、当時は数名とされ、後に中国政府の発表では死者が319名だとされた。

 この事件の最大の衝撃は、人民解放軍と言う名の人民を守るべき「中国軍」が、自国民を戦車や銃で殺戮したということであった。

 聞くところによると民主化を求める学生、人民を前に、人民解放軍の先頭に立たされたのは、何と北京を中心とする標準語の中国語を話さない、モンゴル出身の人民軍の兵士だったという。

 そして、残虐な殺戮が繰り返されたという現実は、現在もインターネット上の写真の数々や、亡命した民主化指導者の証言などによっても明らかだが、中国政府は口をつぐんで、ネット上のチェックや検索に神経を尖らせている。

 明らかな人権侵害があり、国際的にも多くの非難がなされたが、中国政府はほとんどコメントせず約20年が経過して、来年北京オリンピックを開催するに至るのである。

 中国の民主化、人権尊重、一党独裁からの解放などは、何時になったら実現されるのであろうか。
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モンゴル草原に行きませんか?

2007年06月03日 | ガリバー旅行記
1988年夏に、初めて中国・内蒙古自治区の「モンゴル草原」へ行って以来、縁あって今年で20年が経過した。

 1991年の夏に、子供たち100名を全国募集して、内蒙古のバイインオーボ
という、素晴らしい大草原とロケーションに、ゲルを設営しての一週間を経験して以来、「モンゴル族」の血を引いているのか、ほとんど毎年の夏に仲間を連れて行く様になったのである。

 今年は20周年記念なので、格安で行く「内蒙古・地球散歩ツアー07」を企画した。

 「遊牧民との草原ゲル生活と乗馬散策の旅」

 いきいき地星の会主催・旅行企画、引率・ガリバー。
 旅行手配・マイチケット&内蒙古赤峰順達旅遊公司

 壮大なるジンギスハーンノ歴史的ロマンを夢見て、私たちは大草原で逞しく明るく素朴に生活する、内モンゴルの遊牧民たちの拠点である、ゲル(中国語ではパオ)に5日間滞在し、蒙古族との交流、大自然の眺望と風に、感動の時を体験する。

 モンゴル民族特有の風俗・文化・伝統は、モンゴル族の諺の「モンゴル人は馬上に生まれ、馬上にて死す」に由来するように、現在でも大草原に、家畜でもある羊・牛・馬と共に、ゲルで暮らす中に息づいている。

 乗馬や草原散策を自由に楽しみ、360度地平線の眺望を満喫し、朝夕の太陽の姿や夜空の満天の無数の星や流れ星を眺める自然な生活を過ごす。

 食事は、乳製品いっぱいのスーテー茶(蒙古風ミルクティー)やチーズ、草原酒などの「白い食物」と羊肉料理を中心とする「赤い食物」が、モンゴル人の日常だが、私たちは一般的な中国料理も食する。

 現代社会に生きる私たちにとって、日常生活の価値観や時間の流れに疑問を感じたり、いのちの洗濯の機会となるのではないでしょうか。
 
<内モンゴルツアー・日程>
8月16日(木)~25日(土),9泊10日、帰国は、8/25,午後8時関空。
 8/16・12時,関空集合・出発、北京一泊後、17日、金山峰万里長城登頂し、シリンホト飛び、18日、大草原へ向かう。

 大草原でのゲル生活5日間は、乗馬散策、遊牧民との交流、チーズ、餃子づくり、乳搾り、羊解体料理、モンゴル語遊び、満天の星空散歩、草原軽登山、植物採集など、自由にお過ごし下さい。時間の流れが違います。

<参加費用>※全ての交通費、飲食代を含む。
大人・218,000 学生198,000 子ども(12歳未満)178,000
<募集人数>
健康な男女(自分のことは自分でできる方)10名。
 
<申込み・問合せ>
いきいき地星の会・ガリバー
 PCメール:guli0711@d1.dion.ne.jp または、mixiからメッセージで。7/10迄に。

 この旅行は、個人の集まったグループ旅行です。ご参加をお待ちしています。

 
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田植え始まる!

2007年06月02日 | 季節の話題
 全国的に六月になって、まず今年の「梅雨入り」は何時かと気になるところだが、五月の末に久しぶりの雨が一日中降ったので、私達の町の至るところで、今日、明日は、「田植え」の絶好機となった。

 京田辺市も、殆どが兼業農家であるために、日頃は役所務めやサラリーマンの人たちが、週末の土、日を活かしての「農作業」というパターンが殆どなのである。

 今日も、「やおやガリバー」で、お馴染みの軽のワンボックス車で走っていると、田んぼで「田植え」の準備中の野良仕事中の人が会釈をする。

 すぐに気がつく人もいるが、しばらく「お顔」を思い出しながら、よーく考えていたら、そうあの役場の「課長さん」だったり、地元の郵便局の「局長さん」だったりするのである。

 待ちに待った「待望の雨」のお陰で、一斉に「待ってました!!」とばかりの「田植え」日和の今日となった様である。

 おひとり、おひとりの土日の農作業のお陰で、秋には「新米」が収穫されて、全国的に「お米」が食べられるのだが、角度を変えてみれば、農業だけで食べていけない「日本の農業実態」があるのである。

 田んぼが四枚、五枚だけでは、いくら頑張って秋の収穫を待っても、反当りの収穫量に対する、実際の農業収入は、農作業に必要な機械や必要経費を差し引きすると微々たるものだと言うのである。

 しかし、「お米」は、日本の主食であり、いくら消費量が減ったと言っても、外食産業も含めれば、日本人が一年に食する「お米」の総必要量を、何とか国内で生産してもらわねばならないのである。

 「お米の値段」は、ピンからキリまであるが、一般的には十キロ3000円程度であり、現在の大きな袋、30キロでも一万円に満たないのである。

 こんな「お米」の値段が、高いのか安いのかと言えば、消費者である我々にとっては、安いに越したことはないのだが、生産者の苦労やコストを考えれば、「お米つくり」は、割りに合わない「仕事」と大半はなっているらしいのである。

 よっぽど政府が推奨する「大規模作付け」による、大型経営の米作り農家では、専業の採算性も何とか確保されているというものの、多くの都市近郊農業としての、兼業農家の「農業」は、瀕死の状態なのである。

 それでも、この季節の「田植え」を見ると、季節感とともに、少し安堵するのは私だけではないと思うのである。

 日本人の食の「米依存度」が低下しつつあるが、やっぱり「お米」を食べなければ「日本人」らしさは薄れていく様な気もするし、これからの「農業」を政治が考えつつも、ひとり、ひとりの農作業の原点がなければ、私たちは「お米」を食べられなくなるからである。

 「美味しいご飯」を日々食べれることに感謝し、「田植え」を「日本の農」に不安を抱きつつ、眺めているのである。
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「年金」は、何処へ

2007年06月01日 | 日本の課題
昨今の国会は、参議院選挙前の政界の思惑の中で、「宙に浮く五千万件の年金支払い記録!」というショッキングな話題と、事務所費問題と緑資源機構の談合の真相を知る、松岡大臣と元理事の自殺というアクシデント?で大混乱である。

 あわてて、「年金記録不明者」に対する救済措置としての、支給漏れに対する時効を撤廃し、判明した時点で全ての「年金支払」を履行する法整備が、強行採決でなされた。

 安倍内閣は何でも、早期決着するべく国会での議論に時間を費やさず、自民党、公明党の多数決原理での横暴採決が目立っている。

 民主党も本来の野党というよりも、与党の補完的勢力に成り下がり、国会での議論や採決引き延ばしのパフォーマンスはあっても、丁々発止の「民主主義的議論」とは、ほど遠い感じである。

 そんな中で、「年金記録が五千万件不明」との驚くべきニュースは、よく考えなくても、赤ちゃんからお年寄りまで全国民の四割もの人の記録が完璧ではないということなのである。

 こんな事態に何故なったかと言えば、以前から指摘されている様に、厚生年金、国民年金、共済年金など、以前の各種年金を個人について、「基礎年金番号」を表記し、今後の「年金支払」に備えようとしたことに由来している。

 以前の年金実態の記録が破棄されていたり、コンピューター的処理ではなく、台帳の手書き処理を別々に行っていたためと、個人が自分の「年金保険料」を何時,どれだけ支払ったかを記憶していないために生じているのである。

 この「基礎年金番号」は、橋本首相時代に決定し、小泉純一郎厚生大臣と菅直人厚生労働大臣の時に施行した経緯があるので、国会では自民党は菅さんの責任とし、民主党は橋本、小泉さんの責任として追及しているのである。するが、

 国会での議論の最中に、何と安倍晋三首相は、「その時、たまたま行政の長、すなわち厚生大臣であっただけで、その人に責任はない」ととられる答弁をした。

 社会保険庁のずさんな管理体制や無責任な保険業務を改変するために、新たな年金管理機構を設立するとしているが、職員や管理体制は、新しい皮袋に古いワインを入れるが如く、何も変わらないのではないだろうか。

 わが町の「厚生年金センター」を先月二回利用したのだが、既に「厚年センター」は、「ウェルサンピア」という呼び名で呼称されていて、スタッフは民間同様の接客態度やサービスを心がけようと必死で働いておられた。

 今迄の無駄やいい加減さをなくして、責任ある「年金管理と支払いの履行」をしていただかないと、益々、国民年金の不払いや、不信感が募るばっかりである。

 「年金」が消えたのではなく、「年金を取扱う」お役人のいい加減さが露呈したに過ぎないので、政府、関係官庁の責任は重い。

 是非、安心した「老後」を送れると期待できる「年金制度」に徹底的に改めてほしいものである。
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