ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

駐車監視員にやられた。

2007年06月16日 | とんでもない!
 昨年六月の道路交通法改正で、民間法人の駐車監視員に委託された「放置車両確認事務」の、ついに餌食となってしまった。

 営業活動に事業所の軽自動車で出かけて、幹線道路ではなく、すれ違いが可能な道幅で、通行の邪魔になりにくい道路左端に車両を停めて、前のマンションへと営業活動に赴いたのである。

 しかし、ほんの15分くらいで自動車に戻ったのだが、この制度が執行されて初めて、黄色い「放置車両確認」のビラをフロントガラスに貼られてしまったのである。

 近くにコイン駐車場も、余白の空き地や駐車スペースなどない生活道路であったが、どうすればいいのだろうか。

 すぐに貼られた紙をはがして車を移動させたが、もう周辺には確認書の紙を貼った駐車監視員と車は見当たらなかった。

 雨の降る「梅雨入り」宣言がなされた先週の木曜日のことだった。

 その後、幹線道路を走っていたら、前の軽自動車から駐車監視員なる二人組みが現れて、カメラで駐車中の自動車の現認写真を前と後ろと撮影し、シールつきの「確認書」を携帯計器で打ち出して、フロントガラスに貼り付け立ち去るのを現認した。

 年配の男の二人組だったが、ほんとうに事務的に駐車車両を見つけ、現場で停車し、事務処理的に仕事をして、また走り出す繰り返しみたいだった。

 放置違反金制度の新設で、この駐車監視員は放置車両確認団体として、警察署長から受託した法人の職員であり、「みなし公務員」として扱われ、守秘義務が課せられているという。

 しかし、彼らは「放置車両の確認事務」だけの受託者であり、放置車両の確認と確認標章の取り付けだけを行い、「駐車違反」取締りや交通反則切符の作成、交付は行えないので、取締りと違反金の通告は、従来通り警察官が行うのである。

 つまり、彼らの業務は一方的に駐車車両の確認と確認標章の取り付けだけで、車両の運転者とのやり取りなどは必要ない。

 どうも腑に落ちない。そもそも厳しい駐車違反車両の取締りが必要な幹線道路や通行車両の頻繁な生活道路の、駐車違反行為を排除するための制度のはずなのに、今回の様なケースも含め、駐車車両現認すれば全て事務的に標章をつけていくのは如何なものか。

 福祉活動やボランティア活動、運搬業者や営業活動と目的は多種多様だが、少なくとも生活道路での車の駐停車による「迷惑行為」は、いずれにせよ駐車確認をした上での摘発は止む得ないと思うが、判断の基準が定かではない。

 今回のケースも結局は事業所の所有車両であるため、運転者への罰則や反則金支払いの義務は課せられないのだが、三回以上同一車両で同様の「駐車確認書」を受け取ると、事業所の誰かが出頭しなれければならないらしい。

 駐車車両確認という、新しい中高齢者のための「仕事」を新設したに過ぎない。

 



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梅雨入り

2007年06月14日 | 季節の話題
 ついに、今年も「梅雨入り」である。

 どうも、天候異変、地球環境異変が続いているためもあって、6月初旬の例年の入梅が少し遅れただけで、今年は「梅雨」がないのではと囁きだした頃に、きっちり見事な「梅雨入り」となった。

 昨日、実は今関わっている仕事先で、とってもラッキーな契約が何本か取れたために、みんなから少し冷やかされ気味で、珍しいことがあるとよく言われる「雨になる」よろしく、「明日から梅雨入りだな」と言われた通りとなってしまった。

 うれしいやら、残念やら。とにかく「田植え」のシーズンが終わり、田んぼに十分な水が欲しい季節になるので、「梅雨入り」は、大歓迎なのだが、外回りの営業職には、雨はちょっと嫌な季節である。

 今日は案の定、一日中雨天の中でマンションや集合住宅を中心に回ったのだが、昨日とは打って変わって、全然反応は悪く、営業の成果も出ずじまいに終わってしまった。

 全てが「梅雨入り」の所為ではないのだけれど、自他ともに「梅雨入り」と冷笑されてしまったのである。

 調子よく仕事がうまく行っている時は、「快晴続き」と形容するとすれば、間違いなく一日でも「梅雨入り」と譬えられても仕方がないだろう。

 帰宅後、孫のK君が得意の幼稚園での「毎月の歌」をクイズ形式で披露してくれたのだが、一月は「お正月」に始まり、六月は何と「でんでん虫」つまり、カタツムリの歌であった。

 アジサイの青い葉っぱに「カタツムリ」がゆっくりと這う姿は、なるほど六月の梅雨時の季節感一杯の小さな光景であり、梅雨空の下の「小さな生態系のドラマ」が展開されているようである。

 私は、孫を相手に、六月の歌は「ハッピーバースデイ、つゆ」ではないかと駄洒落で対抗してみたが、五歳の孫には洒落は通じず、それはな「TO YOU」やと発音を正されてしまった。

 これからの約30日から40日は、途中の「梅雨の中休み」と呼ばれる一週間ほどの晴れか曇りの日を何とか幸いと活かしながら、外歩きの営業活動を「雨にも負けず」展開しなければならないと覚悟を決めたのである。

 さて、六月21日からは、営業所の仲間での成果を競い合うコンテストと称する「営業強化月間」とやらが始まるらしい。

 どの業界も、六月の梅雨入りと共に、たぶん営業実績が低下するのを何とか少しでも留めようと、営業マンやウーマンの尻を叩いて、鼻面に「ニンジンをぶら下げて」競わす作戦のようである。

 果たして、結果は如何に。乞うご期待あれと言いたいところだが、鬱陶しい入梅の初日の気持ちを一ヶ月間、どの様に自己コントロールして、一定の成果を出すことができるか、梅雨と自分自身との戦いでもあると感じている。
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「年金」で暮らせない!!!

2007年06月13日 | 日本の課題
みなさん、大騒ぎになっている年金記録5千万件不明というショッキングなニュースは、誰もが将来の生活のための「年金」に対する不安を増すと共に、本当に高齢者になって、「年金」で老後の生活が出来るのかと思われていることでしょう。

 私もご他聞に漏れず、それなりの年齢が近づいてきたので、私と家内の「年金」について、社会保険事務所に、年金手帳なるものを持参して問い合わせに出かけたのである。

 私の場合、厚生年金が202ケ月と国民年金を146ケ月納付した記録があり、現在29年間保険料を納めてきたことになるのだが、60歳から年金を受給すると仮定したら、何と月額にして7万5千円強となるらしい。

 また家内の場合は、ほとんど国民年金と私の厚生年金の扶養家族であったため、何と月額にして3万2千円弱となるらしいのである。

 つまり、夫婦揃って健康に還暦を迎えて、さぁ「年金」を貰って生活しょうと思っても、夫婦で月額10万7千円程度しか受給できないのである。

 改めてビックリである。

 厚生年金保険料を40年間支払ってきた場合は、年額200万円台の「年金額」となるらしいが、国民年金のみの場合は40年間の全額を納付していたとしても、年額79万円、すなわち月額にすると、最高額でも6万6千円程度でしかないのである。

 「おっとっと」である。この年金額のみで、老後の基本的な生活を維持できるとは全く思えないのである。

 とんでもない額である。憲法に保障された、文化的な最低限度の生活を営む権利など、くそ食らえである。

 建前だけの「文化的生活」の保障なのであって、こんな金額で生活することは不可能なのである。

 町でよく見かける、ご年配の方々のビニール袋に空き缶類をつめて、自転車やリヤカーで運ぶ姿や、腰の曲がったお年寄りが、スーパーのレジ袋に、安売りのスーパーの食品を買って、とぼとぼと帰られている姿を見る度に、この国の「文化的生活」とやらが、全く貧困であり、国家が保障できない国となっている現実を感じるのである。

 社会保険事務所の相談業務が立て込んでいるのはわかるが、始業時の朝9時に入所し、相談待ちカードを取ったら19番目、待つこと45分。

 そして自分と家内の年金手帳を出して、相談しようとしたら、「奥さんの委嘱状がいります」と抜かすのである。

 とんでもない。年金手帳を預かって持参しているのに、「個人情報ですので」と言い、情報を勝手に公開できないと言うのである。

 私は、社会保険庁の歴代長官の在籍年数と退職金の総額が8人で9億円になることや、数々の不祥事や年金の財源からの無駄遣いなどの不満や指摘を畳み掛けて言わざるを得ない、憤りを感じずにはいられなかったのである。

 無事、携帯電話で家内との確認が出来て、情報開示については、事なきを得たが、気持ちは休まらない。

 こんな「年金」で、老後は暮らせないのである。働け、高齢者。仕事があれば何でもしないと「暮らせないよ」。
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牛タンもホルモンや。

2007年06月12日 | 感じたこと
 数年前に発生した「狂牛病」とやらのあおりで、米国産牛肉の輸入が滞っていて、日本の食用肉生産だけでは間に合わない、日本人の牛肉使用量を賄うために、オーストリア産をはじめとする世界各国からの牛肉輸入がされている。

 この米国産牛肉の輸入減少で、あの「吉野屋の牛丼」や、仙台の「牛タン」が大打撃を受けたというが、現在は回復期に指しかかっているみたいである。

 どちらにせよ、そんなにアメリカ産牛肉がいいのかと言えば、とんでもないので在る。

 吉野屋の牛丼用の牛肉にしても、仙台の牛タン用の牛の舌にしても、米国だけでなく、全世界的にも、そう需要のない細切れ肉であったり、西洋人が通常は食用にしない舌だったりなのである。

 実は、大阪名物の「ホルモン」は、大阪弁で言うところの「ほるもん」すなわち、「放るもん」なのである。

 大阪生野を中心に暮らす、在日朝鮮人たちが、戦後の混乱期に苦しい生活の中から生み出した食用の「牛肉」の捨てる部分を、もったいないと食用に利用して、「放るもん」、「ホルモン」と呼ばれる様になったと言われている。

 これぞ、「ホルモン焼き」と呼ばれる語源なのである。

 一方の「仙台と言えば牛タン」とまで有名になった、牛の舌だが、この牛タン定食を仙台で注文すると、牛タンの塩焼きとテールスープに、麦飯がセットになって出てくるのである。

 何故なんだろうか。

 これも、戦後の混乱期に仙台にも進駐軍がやってきて、米国産の牛肉をたらふく食うのだが、彼らは、牛の舌と尻尾を食べる習慣がなかったので、誰かがもったいないと思って、この牛の舌とシッポを活かした食事として生み出したのが、牛タンの塩焼きとテールスープだったのである。

 おまけに、まだ白い米のご飯が十分食べられない時代だったので、米国産も含む「麦飯」がセットとなったと思われるのである。

 いずれにせよ、現在では名物となっている、大阪の「ホルモン焼き」と仙台の「牛タン定食」は、いずれも、戦後の食糧難の時代の落とし子であり、決して上等な料理ではないのである。

 おまけに、捨てる物が、名物になったといわれるものが他にもある。

 京都の酒ところの伏見から生まれた名物に「八つ橋」があり、これも酒をつくる過程で玄米を白米に精米した時にできた糠を含んだ米粉を捨てずに活かし、シナモンを加えて糠の臭さを打ち消して,煎餅状に伸ばしたものなのである。

 農産物も肉、魚も、人間が食用に、いろいろと工夫する歴史の中で、たくさんの食べ方や食用の加工が発達したのであり、名物の歴史は捨てたものじゃない。
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「しがらみ」って、何だろう?

2007年06月11日 | 日本の課題
4月の統一地方選挙で、私が京田辺市長選挙に立候補し落選してから早いもので50日が経った。

 死んだわけではないが、亡くなった人のお弔いの場合は仏教では、四十九日経てば、「忌明け」になるという。

 選挙が完敗だったこともあってか、支援していただいた方々や知人、友人達も、何故か私と会っても、ずっと「選挙結果には極力触れない」という配慮のパターンが多く、「残念でしたね。お元気ですか?」と気遣って下さるのであった。

 当人は、あまりの予想?だにしていなかった完敗のために、返ってさっぱりしていて、至って元気にしているのだが。

 しかし、周りの気の遣い様の奥に、いろいろと言いたいことがある様である。

 選挙結果が出て一ヶ月半も経って、新市長の初の所信表明演説が、6月の定例市議会で行われ、傍聴した人たちの感想は、ほとんど棒読みの原稿で、目新しくも何もなかったとのことであった。

 あの開票が済んで、新市長が決まった時のインタビューを思い出した。

 「選挙でお世話になった人たちに恩返しをしなければならない」と新市長は語ったのである。テレビや新聞報道を通じて新市長のコメントを聞いた市民は「呆れてものが言えない」と語っていた。

 「しがらみのある選挙」を戦った候補者が、お世話になった「しがらみ」に対して、「お礼」をすると言う正直なコメントだったのである。

 結局、三人の候補者が戦った「市長選」だが、私を除くお二人の一騎打ち、すなわち「どっちが得か」の選挙戦になっていた様で、私は全く蚊帳の外だったということが、選挙が終わって気づいたのである。

 自民党、民主党、公明党だけではなく、共産党にとっても、どっちを勝たせたら自分達の陣営に「得か損か」という選挙戦に終盤はなっていたようで、私の「市政を変えよう!」言うスローガンや、「未来に責任を持つ大人の選択」などは、全く別な次元の主張だった様である。

 今、静かに思い返してみると、「権力を握る」ということ自体が、どちらの「しがらみ」に屈するかの「選択」だった様である。

 私の様に、「市長」になりたいのではなく、このままの市役所、行政ではダメだから、誰かが「変えなければいけない」との危機感などは、市民の多くになかったと言っても過言ではない選挙になっていたのである。

 そんな中で、しっかりと主張を受け止めて、私に期待して投じていただいた貴重な一票、一票の重さ、大切さを今改めて思う時、日本の民主主義の現状と共に、地方自治に対する市民、有権者の本当の願いは何なんだろうと、考えてしまう。

 全く「しがらみ」のない人や会社や組織はないだろうが、「しがらみ」に左右されていては、公平な行政、政治ではない。

 私は「唯一しがらみのない」候補者として市長選を戦ったが、皮肉にも「しがらみのなさ」が敗因だったのかも知れないと思わずにはおれないのである。
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バイオエタノール燃料

2007年06月10日 | 世界の問題
 俄かに、バイオエタノールが注目を集めている。

 地球温暖化の大きな原因とされる、自動車排気ガスのCO2、二酸化炭素排出抑制のために、Bioethanolガソリンの活用をアメリカをはじめとする先進諸国がやっきになりだしたのである。

 先日まで行われていた先進国首脳会議とやら、俗に言うサミットにおいても、安倍首相をはじめとする各国首脳たちは、自国の産業界の利益を優先することを忘れず、建前論としての「地球温暖化対策」に対する提案や議論をしたとされている。

 この中でも、バイオエタノール燃料の生産拡大を米国では奨励し、自動車産業も、日本車の販売戦略に対して、バイオエタノールの使用が可能な米国産車の販売にシフトチェンジし、普及に努めていることがわかった。

 しかし、一方でバイオエタノールと称される、アルコール燃料は、サトウキビ、大麦、とうもろこし、大豆などの植物性資源から、グルコースなどを発酵させて作られるので、石油、石炭などの化石燃料から生じる二酸化炭素と違って、カーボンニュートラルと呼ばれる、植物の成長過程で光合成で吸収した大気中の二酸化炭素と相殺されて、循環し総量に変化がないとされているのである。

 しかし、生産、生成蒸留過程では、別な熱源が必要なために、若干の二酸化炭素の発生があると言われている。

 このようなバイオエタノールが注目を集めて、アメリカをはじめとする大農場での生産者にとっては、食用農産物としての出荷よりも、エタノール燃料のための出荷の方が価格的にも有利ということで、大規模なエタノール生産のための農業経営に切り替えるところが出ているのである。

 また、ブラジルを中心とするアマゾン流域では、大規模な森林伐採がなされつつあり、サトウキビやトウモロコシ、麦などの大規模生産が、エタノール燃料のためにされつつあるのが現状である。

 そんなことから、これらを原料とする砂糖や小麦粉や、それらを利用している麺類、ジュースなどの食品の価格が品不足で高騰しているのである。

 アメリカでは、トウモロコシを餌としている鶏や牛が生産する卵や牛乳が高騰した。

 日本でも、輸入に大半を頼っている小麦粉の価格があがり、マヨネーズや全ての食品、加工品に影響が出だしてきている。

 メキシコでは、タコスの生地なのに使われているトウモロコシの高騰で、抗議デモが各地で起きているという。

 2007年度以内に、全世界で販売されている食品の9割が値上がりする可能性があるとされているらしい。

 この背景には、やはりアメリカの農業振興策と自動車産業の巻き返しという、世界的陰謀が、「環境」という隠れ蓑の裏で、ビジネスチャンスとして進行しているのである。

 日本では、沖縄県をエタノールの実験場として、サトウキビ生産地を活用しての試みが政府の支援で急速に始まっている。何か可笑しなことになりつつある。
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6月に焼きまったけ!!

2007年06月09日 | 季節の話題
なんと、なんと、まだ六月だよ。

  秋の味覚、まったけを「焼きまったけ」として食することになった。

 京都は、某日本料理屋。着物姿の上品な女将さんがいて、その旦那と思われるオーナーシェフである、板前さんがカウンター越しに、旬の魚を中心に注文に応えてくれる、老舗?の高級料亭だろうと思われる。

 まず品書きが、墨文字のきれいな手書きで、本日の日付けで客の前に、それぞれ出されるのである。

 その中に、「まったけ」があり、友人が何故か注文したのである。

 女将によれば、土曜日に何で季節はずれの「まったけ」なんか仕入れるのか、とドキドキものだったそうだが、貴重な客なのか、幸いなのか我が友人の眼に留まって、注文されたのである。

 オーナーシェフでもある、板前さんは、「まったけ」を裂きながら、「女将に叱られたけど、食べてくださる人がいて、良かった!」との感想を漏らしながら、私達の前に、七輪と網が出されて、「焼きまったけ」のお味をポン酢と塩でいただくこととなにった。

 でも、やっぱり何故、六月に「マッタケ」なんだろうか。と半身半疑であったのである。

 韓国産とは言え、立派なまったけの味がした。

しかし、今日食した「まったけ」は、何故「今」食べなければならなかったのかが全くわからないまま、友人が何気なく頼んだものだから、私もおっそわけの如く、口に運んだだけであった。

 韓国のどこの山で取れたかは存ぜぬが、はるばる海を渡って、京都の市場にやってきたところを、とある料亭、日本食レストランの板前長の眼に留まって、購入され、私達の口へと運ばれたのである。

 季節の旬、食の旬、どう考えても秋の食材のはずの「まったけ」をこの季節に食べる、また食べられる妙が、お金持ちにはいなせなのだろうか。

 やっぱり分らないのである。

 お品書きを見渡していて、鱧やしし唐などの季節感を感じる旬な食材は、少々高くても、食していて楽しいというか、体が欲しているものかもしれないと思うのだが、季節感、すなわち旬と思える季節ではない頃に食する良さとは、「粋」や「いなせ」とか言われる自己満足以外に、何があるのだろうか。

 「最期の晩餐」に、あなたなら何を食したいかと尋ねる質問が、テレビの食を扱う番組などで時折あるが、そんな時、すなわち死を前にして、「死ぬ前に」、季節感は違えども、どうしても「○○を食して死にたい」と思う人もいるだろう。

 私なんかは、いくら「最期の晩餐」だと言われても、特に旬など関係なしに、あれが食べたいとか、無理難題や季節の旬を外れた食材を無理に食べたいとは全く思わない人なので、やっぱり分らないのである。

 でも、ひょっとしたら、「スイカ」くらいなら、許されるなら食べたいと思うかも知れない。ぜったい「まったけ」を食したいとは思わないのに。
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介護ビジネス大手の不正

2007年06月07日 | とんでもない!
 介護サービス大手の「コムスン」が、何と全国的に監査を受けて、数時間後に事業所の廃止届けを出して、厚生労働省からのコムスンの事業所、施設に対する「厳しい処分」の言い渡し直前に、別の系列化した子会社に、事業を全て譲渡するという、とんでもない「脱法行為」とでも言うべき処置をとったのである。

 「コムスン」と言えば、介護保険制度が始まる前から全国的に「介護ビジネス」が大きな規模のビジネスになるという将来性に着目した、現グッドウィルグループの創始者折口雅博氏が、全国的に「コムスン」を立ち上げた時から、いろいろな問題が指摘されていた会社である。

 例の70年代に一世を風靡したディスコの経営者であり、「福祉」で金儲けをたくらんでいると、非常に批判的に当初は語られていたが、全国展開がなされ各地で、「不正報酬請求」や「ホームヘルパー登録の重複」などの問題が指摘され続けていた。

 しかし、高齢化社会の急速な進展と、介護保険制度の定着化に伴って、介護サービス需要が急速に高まったこともあり、「年中無休の24時間巡回型介護サービス」を謳い文句に、6万5千人もの高齢者が利用する「大手介護ビジネス会社」となっていたのである。

 昨年からは所沢の西武球場の命名権を取得して、グッドウィル球場としてコムスンのヘルパーと共に高齢者を球場に招待するなどのパフォーマンスサービスも展開していたのである。

 ちなみに、コムスンのヘルパーさんたちの制服のピンク色は、折口雅博、グッドウィル、グループの代表取締役会長兼CEOが好きな色だそうで、ピンク色の制服を着た社員が1000人ほどが一斉に「コムスンの誓い」を唱和する光景がテレビCMで流されていた。

 実は、私の年老いた母も、ここ数年、ピンクの制服のコムスンのホームヘルパーさんにお世話になっていて、先日も大阪の自宅の近くのデイサービス拠点で、ケアマネージャーさんを中心に、今後のケアプランについて、家族として相談の機会を持ち、コムスンさんのしっかりとして優しいスタッフに信頼を寄せていたところだったのである。

 年老いた介護を受ける母にとっては、ホームヘルパーの皆さんとせっかく親しくなり、毎週二回から三回、お買い物、お掃除、通院の付き添いなどとお世話になっていた矢先なので、やっぱりかと言う感じと共に、今回の事件は「会社」の犯罪的行為に対しては憤りすら感じるのである。

 現場で働く多くのホームヘルパーさんたちは、親身になって高齢者のケアに努力していただいていたのに、「コムスン」という会社のトップと経営陣の「ビジネス」感覚が、今回の処分、事業展開の先行きを厳しくしてしまったのである。

 
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「不都合な真実」

2007年06月06日 | 世界の問題
 「不都合な真実」って聞いて、皆さんは何を連想されるでしょうか。

 実は、ご存知の方も多いと思いますが、昨年アメリカで制作され、日本では今年の一月に公開された、元アメリカ副大統領アル・ゴア氏の「地球温暖化問題」に対する講演の様子を中心に、彼自身の生い立ちから過去と現在の地球環境の変化を描いたドキュメンタリー映画のタイトルなのである。

 しかし、この「不都合な真実」というキャッチ言葉の迫力とテンションは、いろんな世界中の場面や、人たちに通じる「鋭いキャッチ」なのである。

 昨夜のテレビに、小泉純一郎前自民党総裁、首相がマスメディアの前に久しぶりに登場し、ラフなスタイル、クールビズ姿で、首相引退後に力を入れたいことは、「環境問題」であると語っていたのである。

 私は、とっさに「不都合な真実」を映画化し、センセーショナルな話題を提供はしたが、結局はアル・ゴア氏が資産運用を託している、ヘッドファンド「チューダー・ジョーンズ・インベストメント」が、資産の16%を「代替エネルギー関連銘柄」に投資し、映画及び本、原作によって上昇した関連株を、昨年の11月から売却し、多額の利益を上げたとされる情報を思い出したのである。

 何故かと言うと、政治家、いや政治屋さんたちの考えることが、やはりどこかで金儲けに繋がっているという、ほとんど紛れもない事実に随所で遭遇しているからである。

 どうも胡散臭いのである。

 あの「規制緩和」や「構造改革」を叫んでいた元首相が、今になって、「環境問題」に取り組むなんて。

 実は、隣の町の枚方市で、現在大問題になっている「大型清掃工場」の談合入札に絡む贈収賄事件に、警察幹部や議員、そして副市長が絡んでいたという疑いで、逮捕が相次いでいるのである。

 大阪府警の「談合防止」のためにと近づいた警察官が、実は大手ゼネコンとの「談合」の取りまとめ役を担っていたらしく、市長にも「談合防止のプロ」として近づいていたらしいのである。

 「地球環境」の危機的「温暖化」の問題の真実が迫っていることも事実だが、その背景で、各国、企業が、脱温暖化を目指して、新たな利益と利害の競争を始めているわけである。

 枚方第二清掃工場も、中司枚方市長によれば、最先端の焼却炉と排出ガス規制が出来る工場建設をするとの決意だったのだが、その決意の裏に暗脈する、「利権」が、今回の大林組、警察、行政というトライアングルでの、巨額の税金を無駄にする、「入札談合」であったらしいのである。
 
 65億円もの税金支出が、落札率98%以上で工事請負として落札されていたのである。

 一般的な努力をしての落札率として、80%となっていたとしたら、10億円以上が無駄にはならなかったのである。

 贈収賄として、今のところ公表されている4000万円など、ちょっと頭を使えば、ぼろいもんなのである。

 「不都合な真実」は、たくさん存在している。誠実に働き、汗している多くの労働者の苦労とは裏腹に、たくさんの「不誠実」が存在しているのである。
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「日本の青空」

2007年06月05日 | 日本の課題
 皆さん、「日本の青空」という映画をご覧下さい。

 現在、全国各地で上映されていますが、一般の映画館ではなく、自主上映という形で、各地で「上映実行委員会」が出来て、見せたい、見て欲しい映画として、上映されているのです。

 私達の町、京田辺市でも今月の末日の6月30日(土)に、朝10:30~と、午後14:00~の2回、中央公民館で上映されようとしています。

 私は京都映画センターが主催した同志社大学今出川の「寒梅館」で、早速鑑賞してきました。

 とってもいい映画でした。「日本国憲法誕生の真相」が、「60年を経て、いま明らかに!」と映画の宣伝チラシに書いてあるとおりでした。

 安倍首相は、自著「美しい国へ」の中で、1946年11月に出来て、1947年5月に施行された「日本国憲法」、つまり現行憲法は、占領軍に押し付けられた憲法だから、改正する必要の時が来たと言っている。

 しかし、果たして現行憲法は、戦後のGHQを中心とした米国の押し付けだったのだろうか。

 その背景に、この映画の主人公である、「鈴木安蔵」という憲法学者がいて、彼を中心とした民間の憲法草案がGHQの強い支持を受けて、内閣が取り上げて、国会で可決して制定に至ったという事実が、この映画の主軸である。

 田丸麻紀が演ずる小さな出版会社の編集見習い記者が、雑誌の特集記事として、「戦後の日本国憲法の成立の背景」を取材することになり、男女同権の基本的な憲法の理念を書いたベアテ女史や旧知のエピソードではない、スクープ的人物の存在として、「鈴木安蔵」に出会ったのである。

 彼は、憲兵に逮捕され投獄された経験があるが、戦後の憲法制定期に、大いに用いられて、現行憲法の基礎を創り上げた男なのである。

 女性の参政権を認めれば女性は戦争を望まないとする妻の言葉を力に、軍事条項を書かない「空白の条項」が「戦争の放棄」と「軍隊を持たない」とする第九条の精神へとなっていく過程が克明に描かれていた。

 今、露骨に「憲法改正」を訴えて、「国民投票法」をも強行採決した、安倍内閣であるが、憲法制定当時の内閣が準備した憲法改正案(松本案)は、天皇制にこだわった国体護持案であったのだが、鈴木らの草案で、天皇は国民の象徴的存在としたのである。

 国民主権の現行憲法の誕生の背景に、鈴木安蔵が主導した「憲法研究会」があり、GHQをもうならせた「日本国憲法」の基礎が提起されていたという事実は、私たちにとっても大きな力であり、九条だけではなく、「日本国憲法」を大切に守って行く、今後の力強い背景の一つとなることを確信した。

 ぜひ、語り継げる「憲法誕生の背景」を「日本の青空」でご覧下さい。おすすめします。
 
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