ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

何かイコンがありますか?

2007年06月25日 | 感じたこと
みなさん、日常的な生活の中で、いつのまにか習慣になっているちょっとした「儀式」や「祈り」の場所や対象が、何かおありでしょうか。

 私と妻はクリスチャンのため、家の中に神棚や仏壇がありません。

 最近のご家庭では、信仰の対象としてだけでなく、ご先祖を祭った「祭壇」などが無いご家庭も多いと思われます。

 しかし、私の父と妻の父の二人の写真、つまり遺影のスナップ写真が、いつの頃からか居間のテレビの横の昔からあるレコードケースとでも言うべき、小さな開きと引き出しのあるタンスの上に飾ってあるのです。

 そこで、私達の毎朝の習慣としての簡単な「儀式」として、この二人の遺影の前に、朝一番に沸かしたお湯で入れた「お茶」を供えて、手を合わすということが始まり、現在まで続いています。

 ある時、妻が所用があって家を三四日留守にした時がありました。

 私は、いつもの様に朝目覚めてお湯を沸かしてお茶を入れて、このタンスの上の二人の父の遺影の前に供える儀式を忘れてしまいました。

 どうも、気がつかなかっただけなのですが、三日目の朝、何か変な感覚になりました。

 日頃の朝のリズムの中で、どうも何か変だと気づいたのでした。

 「あっ、そうだ。お茶を入れるのを忘れていたのだ」と。

 実は、その三四日は、外出しても、どうも何か変なのです。

 どうも「三隣亡」とでも言うのでしょうか。思う様に事が運ばないとでも言うのでしょうか。うまく行かないことが連続的に起こったのでした。

 ちょっとへこんで、{なんでやろう?}と自問自答していたのですが、どうもはっきりとした理由が見当たらなかったのです。

 しかし、どうも、この三四日の朝の「お茶」を忘れていたことと関係があるのではないかと四日目の朝に、気がついたのです。

 そう大したことではないのですが、いつも行っていること、習慣として「儀式」の様に自然に行っていることを飛ばしたり、忘れてしまっていたことが、生活のリズムや仕事に影響をもたらしたのではないかと思ったわけです。

 皆さんにとっても、きっと一つか二つはあると思います。

 「イコン」とは、ギリシャ正教でいう自分の礼拝の対象とする聖画像のことですが、信仰という次元でなくても何か毎日行う、ささやかな儀式に私達の日常の生活のリズムが保たれているということでしょう。

 何気ない、ささやかな心の支えや糧が、日常生活の中にいつのまにか入り込んでいて、その対象に対する「気」を忘れると、どうもすっきりとしない日々に突入してしまうことが、よくあると思われます。

 ぜひ、ささやかでも日々の、自分の「イコン」に対する「拝する心」を忘れず、大切に過ごしたいものですね。
コメント (1)
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