ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

劇団四季のアイーダ

2005年06月19日 | ファミリーイベント
 日本でのミュージカルの専門劇団として名高き、劇団「四季」の「アイーダ」を京都劇場で一年ぶりに鑑賞した。

 今月7日からの「京都劇場」での「アイーダ」のアンコール上演が好評だと聞き、33回目の結婚記念日の思い出にと、何とか指定席を予約して期待して鑑賞に向かったのである。

 地元の京都FM、アルファステーションでも、番組パーソナリティである女性DJが、この「アイーダ」を観て、最後に感動で涙を抑え切れなかったと言っていたので、日本のミュージカルも、そこまでのレベルに達したかと、ある種の期待を胸に会場に入り休憩20分をはさんで前後半、約2時間30分の上演を見守ったのである。

 ストーリーは、古代エジプトの若き将軍ラダメスと侵略されて奴隷となった小国ヌビアの王様の娘アイーダを中心としたエジプトを舞台にしたお話しなのだが、幕が開いた最初の舞台は、現代の博物館であり、そこで出逢う二人の男と女が古代エジプトを舞台にしたストーリーの主人公だったのである。

 もともとの「アイーダ」はヴェルディの作曲の作品だったのを、エルトン、ジョンの音楽とディズニーのスタッフが現代的にプロデュースし上演したブロードウェイミュージカルを、浅利慶太氏が企画、監修し、日本語版の作詞、台本を書いて製作したものである。

 ラブストーリーをテーマにしたミュージカルとしては、それなりに完成しているのだけれど、どうも日本人の感性には、しっくりくるような演出とはなっていない様に感じたのである。

 主演のアイーダの濱田めぐみ、ラダメスの阿久津陽一郎、ラダメスの婚約者エジプトの王女アムネリスの佐渡寧子と各々の出演者は、充分な演技力と歌唱力で演じているのだが、どうも全体的にはしっくりと行かない感じであったのである。

 以前に見た、ライオンキングや美女と野獣の舞台は、ステージエンターテーメントとしての迫力と舞台の大掛かりな仕掛けと共に、やはり舞台ならではの迫力とショーマンぶりを堪能できたのだが、今回の「アイーダ」は少々期待はずれに終わってしまったようである。

 日本でのミュージカルの長期公演の先駆者である、浅利慶太氏が企画、演出するミュージカルは、既に一定以上の市民権を得ていると思われるが、前売りチケットが1万円を越すお値段と内容の満足感としては、前作と違って少し物足りなさを感じたと正直に記しておこうと思うのである。

 まだまだ日本でのミュージカルは、文化、芸術活動としては日が浅く、外国作品の日本語化や歴史、文化の違いから来る、受け取り方の未成熟さもあると思われるが、絶対的な迫力と舞台芸術としての圧倒的な驚異があれば、値打ちを感じられるものなのだと思うのだが、まだまだ日本語と曲の違和感や舞台衣装と日本人のギャップ、またマイクを通しての歌唱の限界など、多くの課題がある様である。

 笑っていいともの司会者、タモリこと森田一義氏は、以前より何故か日本のミュージカル上演の「歯がゆさ」を語り、あまり見たくないと語っていたように思うのだが、私は日本にも日本人の精神風土や感性にぴったり来る様な作品と脚色演出によっては、日本人が拍手喝采するミュージカルが育つと信じてやまない一人だが、まだ違和感を拭いきれない舞台だった。

 心からの感動に満たされて拍手をおくる感じではなくて、一曲を歌い上げた舞台の役者に「ご苦労様」と健闘をたたえる労いの拍手が、それなりにはあるのだが、もうひとつ盛り上がりには欠く舞台だった。

 舞台のフィナーレも、興奮と喜びがあふれる様な仕掛けやダイナミックな舞台演出も感じられないままに終わったのに、出演者全員がかわるがわる出て来ては、何度も何度も並んで観客に挨拶をする儀式が続き、さらにしらけた雰囲気を感じてしまったのである。

 がんばれ、日本のミュージカル!、劇団「四季」の舞台に今後も期待するものとして少し苦言を呈しておくこととする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする