ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

愛犬エスの悲しい話。

2005年06月29日 | 感じたこと
 私は犬が大好きである。物心ついた小学生時代から少年、青年時代を通して、いつも自宅には犬がいた。特別な血統書つきの名犬などは一度も飼ったことはなく、歴代飼っていた犬達は、ほとんどが近くの公園や池のほとりで拾ってきた子犬を育てて飼っていたに過ぎないのである。

 歴代の我が家に飼われていた犬の名は伝統的にエスであった。例外の一頭はエルと名づけられていたが、私の記憶に深く残っている犬達はエスなのである。

 何故エスと名づけられたのかは、いまだに不明だが、たぶんL,M、Sの大小を示すSだったためかと思っている。雑種のたくましい犬だったが体格は比較的小柄の部類だったようである。

 このエスは1950年代に大阪の実家で飼われていたのだが、その当時はよく早朝に「犬獲り」がやってきて飼い犬であっても、鉄パイプの様なもので脅して捕まえて行くことがあったのである。

 ある朝陽が昇るかどうかと言う冬の朝方に、私は愛犬の驚くような叫びと泣き声に目を覚まして、何かが起きたと感じて飛び起きて玄関先のエスの犬小屋を見に行ったが、既にエスの姿はそこにはなく空しく彼の首輪とロープが犬小屋につながれたまま、主がいないまま放置されていたのである。

 その頃の我が家の前の道路は簡易のアスファルト舗装であり、よくみると至るところに鉄パイプで叩いた跡と思われる穴があったので、私は悲しい思いでエスが犬獲り業者に無理やり連れて行かれたと悟ったのである。

 早朝の、この騒動で目覚めてしまった私だが、学校に行く時間が迫ってきて身支度をして家を出ようとした頃に、突然狭い裏庭の木戸の外から、悲しい震えるような犬の泣き声が聞こえてきたのである。

 それがエスの泣き声であることが、すぐにわかったので木戸を開けて路地に出たところ、そこには小さく震えながら自宅に入ろうと訴えるようにして蹲っている愛犬エスを発見したのである。

 震えるエスの顔をよく見ると、黒い鼻の傍の茶色い顔が少し窪んだように見えて、そこから血がたれていたのである。

 心細く恐怖におののいて、どうして逃げて来れたのかは、定かには分からないが、必死で犬獲りの隙を見つけて、逃げ出して帰ってきたのであろうと推察するしかなかったのである。

 しばらくエスを抱きかかえて、自宅に入って毛布で包むようにして抱いてやっていたが、なかなか震えがとまらないエスであった。その日からはしばらくの間、玄関の外ではなく、玄関の土間に犬小屋をの入れてやり、少しでも安心して休めるようにと気を遣ったことを記憶している。

 それからはエスと私の絆は否応なしに強くなっていき、思春期の私の心のざわめきやイライラを納めるための、夜の犬の散歩が、いろんな心象をコミュニケーションする犬と少年の関係になったような気がしているのである。

 ある夜、いつもの様に、近くの公園にエスと共に散歩に出て、エスを公園のベンチに繋いで月夜の夜空を眺めていたときである。私が「あっあ」と大きく何故かため息を漏らしていたら、愛犬エスは、私の顔を下から覗き込むような姿で、優しい顔と目線で、私に「うん、辛いな、わかるよ」なんて感じで、相槌を打つ様に感じられたのである。

 私も心の中で、「エスよ、お前だけやな。僕の気持ちを分かってくれるのは・・・」とほんとに友情を感じた親友のような気持ちで、エスの頬に顔を寄せて、抱擁を交わすような気持ちにさせてくれたのである。

 たかが一匹、一頭の犬の話だが、私の少年時代にとっては欠かすことのできない、励ましと元気をくれた愛犬エスなのである。

 このエスがなくなった時、たぶん初めて死の重さを知って、涙して裏庭の外の畑の脇に、重たく悲しい思いで、愛犬エスの遺体を埋葬したこと時々思い出すのである。僕の少年時代の悲しさも知っている悲しい経験もしたエスに、再び会えたらなと思っていたら、夢の中で再び会うことができたのである。

 愛犬エスよ、ありがとう。また会えたらいいね。

コメント
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