ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

不快な足らんと芸NO人

2005年06月16日 | テレビマスコミ
 世の中には多種多様な人がいて、いろんな出会いがあって面白いのだが、時々的はずれの専門家を自称する人に出会うことがあるものである。

 有名、無名を問わず、自分自身の分をわきまえて知っていても謙虚に振る舞う人もいるが、何故か偉そうに自分ほどの知識人はいないと自負する様な人に出会うこともあって、少々へきへきすることがあるのである。

 私の体験でも何度かそう言った感じの人に出会ってしまい、うんざりしたことがあるが二度と会いたいなどとは思わないので、個人的には救われる。

 しかし、テレビを観なければいいのだが、たまにつけたテレビで、あの世間では有名になっている細木数子なる人生評論家なのか、太いおばさんが出ていたのを見てしまった。

 どうもしばらく話を聞いているだけで気分がわるくなる位、横柄かつ知ったかぶりの文化人気取りに、全くうんざりしてしまったのである。

 テレビ局はお笑いバラエティ番組のゲストとして出演させて、視聴率を稼いでいるのかもしれないが、芸能人と称する特に若者や素人を相手に、いかにも人生の先輩として「人間のあり方」「マナー」「常識」などを振りかざして、自分流の常識や知識を淫らに露呈させつつ怒っているのである。

 私は、こんな芸能人と称する有名人がテレビという娯楽媒体で、好き放題の個人的知識や常識を饒舌に語り、若者や芸能人をぎゃふんと言わせるショーを観たくも聞きたくもないが、あまりのひどさに逆にテレビ局や番組構成者やスポンサーの常識のなさや、ひどい文化的レベルに怒りすら覚えたのである。

 多くの常識ある視聴者にとって、たまらない非常識な知識や体験に基づくと本人が語る内容は、当然の当たり前の事もあるが、そこまで「偉そうに」知ったかぶりをして語るほどのことではないことが、ほとんどなのである。

 近頃に始まったわけでもなく、昔からテレビによる「国民総白痴化」と言われた時代もあったが、昨今のテレビマスコミも、視聴率さえ取れれば、内容の程度なぞ問題ではなく、タレントと呼ばれる、タラント(才能や芸)を持たない連中を出演させて、一風変った人間のインパクトを利用しているに過ぎないのであろう。
 
 この細木数子なる、態度のでかい金持ちおばはんが、何故そんなに持てはやされるのか全く判らないが、他人に苦言を呈して、相手の生き方や生き様を「無茶苦茶言う」キャラクターはなかなかいないので、重宝がられているだけなのである。

 全くタラントなのではなく、普通の人間としての常識や慎ましさなどの振る舞いが出来ない、つまり「足らんと」なのである。

 他にも多くのテレビタレントと称される「足らんと」芸NO人が、テレビには出演していて、何を「演じて」いるのだろうかと、ほんと目と耳を疑いたくなる場面が頻繁にあるのである。

 そんなテレビの現状だが、いまだにテレビに出ている人は「偉い」「人気がある」「お金が稼げる」と言った誤解から、多くの若者、少年少女たちが、テレビタレントにあこがれて、お笑いやら俳優やら歌手と言った、本当の芸能人を目指しているかの様な進路を模索してしまっているのである。

 あの1時問題となって、消えてしまった「あびる優」なるテレビタレントも、その一人であり、あるコンビ二かスーパーから大量の万引きをした過去を、自慢げにテレビで語って、問題となり干されたらしい。

 何はともあれ、芸もなく、才能もない「偽の足らんと芸NO人」をテレビで賞賛することは止めてほしいものである。

 あの細木数子なる、金持ちだけを振りかざす、常識のないうぬぼれ似非芸NO人を、私は我慢できないのである。ストレス現代日本にあって、自分の代わりに他人をいじめたり、叱責したりしてくれる「ただのけったいなおばさん」をテレビが「よいしょ!」していることに、不快な気持ちでいっぱいである。

コメント (1)
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