ガリバー通信

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沖縄慰霊の日を覚えて。

2005年06月23日 | 日本の課題
 6月23日、この日は沖縄県民にとってだけではなく、日本人にとって第二次世界大戦の実質的な終戦を意味する大切な日である。

 1945年、今から60年前の沖縄本島を中心に、太平洋戦争の末期に、唯一日本での地上戦が行われて、約20万人以上の人々が帰らぬ人となってしまった沖縄戦の終結した日とされている。

 沖縄防衛第32軍司令官、牛島満中将と同参謀長の長勇中将が、糸満の摩文仁の丘で自決したのが、6月23日の未明とされていて、その日を日本軍の組織的戦闘が終結した節目として、沖縄慰霊の日が制定されているのである。

 沖縄慰霊の日は、沖縄戦の戦没者の霊を慰めて平和を祈る日として、33年前の本土復帰前には琉球政府が「休日」と定め、行政機関や銀行、学校、企業も休み、沖縄全体が慰霊と祈りの時としていたのです。

 しかし本土復帰後は、法的根拠を失い暫く休日ではなくなったのですが、91年に地方自治法が改正されて、再び沖縄県では「休日」となったのですが、行政、公立小中学校、高校などはお休みですが、一般企業は休まない会社が多くて、経済活動を優先した本土並みになってしまっている様です。

 私達本土と言われる日本に住む住民にとっては、沖縄は遠い南の島、リゾートと観光の島という認識がほとんどかもしれませんが、60年前とは言え、この地で2ヶ月余の激しいアメリカ軍の上陸による必死の地上戦が戦われて、民間人も10万人近くが戦死したと言われる悲惨な状況があったのです。

 有名な「ひめゆりの塔」として観光名所になっている戦時下の逃げ惑う沖縄県民の最後の隠れ家的居場所のの壕が沖縄南部には点在しており、多くの一般沖縄県人が、この壕で自決したり、中には日本軍の手によって殺害されたという状況もあった様です。

 今も尚残る、沖縄戦跡や多種多様なガマと呼ばれる壕の存在が、沖縄独特の唯一最後の地上戦の痛ましい事実を黙って語っていると言ってもいいでしょう。

 私達、戦後に生まれた日本人として、摩文仁の丘の立つ20万余の戦没者の名前を刻んだ「平和の礎」に参拝する時、遠く太平洋を望む、この素晴らしい眺望の丘で、最期を迎えち兵士達や沖縄県民の魂の叫びを聞く思いがしました。

 二度と、決して、この様な悲惨な人間の地獄絵の如き、戦争をしてはならないし、少しでも加担してはならないと。

 しかしアフガン、イラクと米軍の侵攻に日本は、憲法違反の自衛隊を海外派兵し、人道的復興支援などと言う詭弁で、アメリカの戦争に加担、協力している実態があります。

 沖縄慰霊の日。改めて二度と悲惨な戦争と地上戦の悲哀を繰り返さない、日本人全ての誓いの日としたいものです。
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