6月30日、私にとっては大きな大きな恩師である、小学校時代の愛する先生が逝去された。心からご冥福を祈ると共に、私達教え子にとって言葉で言い表すことのできない程の愛情と、人生を歩んで行く上で大切ないろんなことを、この50年間示唆して下さった恩師としての感謝と敬意を感じつつ、大きな人を失った悲しみを胸に、恩師の人生の深さを噛みしめつつ、今後も歩んで行こうと心に誓うものである。
私がS先生と出会ったのは、小学1年生、つまり6歳の時である。それ以来50年、半世紀にわたり人生の師として、私達の人生に大きな影響を与えて下さった、大きな存在であったのである。
以前にも、このブログでS先生については書いたことがあるが、私達は、この先生との出会いから数年後、すなわち10歳の頃から、先生のお誕生日である4月10日前後に、毎年の様にクラスの有志が集まるようになって、いつからか、その同窓会的集いを、先生の名前から「竹の子会」と呼ぶようになっていたのである。
先生から教えられたり、示唆された人生での喜怒哀楽と、素直で真っ直ぐに生きる生き方は、今でも私達の一人一人の人生の、大きな影の価値観となっていると思えるのである。
早速、今夜、先生の長い一生を終えられて、天上に召されたこの世での最期のお姿とお顔に接して来たが、静かな寝顔の様なお姿に対して、手を合わせつつ、私は「行ってらっしゃい!」と言葉をかけて、お祈りをさせていただいたのである。
突然に出た言葉であったが、まさに先生のこの世での人生は終わりを告げたのであるが、新しい天上での旅路に、お見送りした心境であったのである。
もともと小柄なお体の先生であったが、亡骸はほんとに小さくて、今にも羽根が生えて、天上に上って行かれる感じであった。ご遺族になられた息子さんのご家族とは、先生との思い出の一部を明るく語り合えて、先生の死は悲しいばかりではなく、これからの私達の人生への大きな新たなエールの様にも思えたのである。
S先生、ほんとうに長いこの世での人生、お疲れ様でした。『行ってらっしゃい!」先生のお好きであった自然と山野草が咲き乱れる、素敵な山々に、生前の夢であったと思われる、アフリカのキリマンジャロへの登頂も、夢ではなく実現できるかも知れません。
素敵な笑顔と愛情に満ちた、S先生のあの世での人生を、私達は思いつつ、この世に生ける者としての人生を、先生の教えを忘れず、時々思い出しながら、しっかりと歩みたいと思います。
『ありがとうございました』「ゆっくりとお休みください」「また、いろいろとお教えください」
私がS先生と出会ったのは、小学1年生、つまり6歳の時である。それ以来50年、半世紀にわたり人生の師として、私達の人生に大きな影響を与えて下さった、大きな存在であったのである。
以前にも、このブログでS先生については書いたことがあるが、私達は、この先生との出会いから数年後、すなわち10歳の頃から、先生のお誕生日である4月10日前後に、毎年の様にクラスの有志が集まるようになって、いつからか、その同窓会的集いを、先生の名前から「竹の子会」と呼ぶようになっていたのである。
先生から教えられたり、示唆された人生での喜怒哀楽と、素直で真っ直ぐに生きる生き方は、今でも私達の一人一人の人生の、大きな影の価値観となっていると思えるのである。
早速、今夜、先生の長い一生を終えられて、天上に召されたこの世での最期のお姿とお顔に接して来たが、静かな寝顔の様なお姿に対して、手を合わせつつ、私は「行ってらっしゃい!」と言葉をかけて、お祈りをさせていただいたのである。
突然に出た言葉であったが、まさに先生のこの世での人生は終わりを告げたのであるが、新しい天上での旅路に、お見送りした心境であったのである。
もともと小柄なお体の先生であったが、亡骸はほんとに小さくて、今にも羽根が生えて、天上に上って行かれる感じであった。ご遺族になられた息子さんのご家族とは、先生との思い出の一部を明るく語り合えて、先生の死は悲しいばかりではなく、これからの私達の人生への大きな新たなエールの様にも思えたのである。
S先生、ほんとうに長いこの世での人生、お疲れ様でした。『行ってらっしゃい!」先生のお好きであった自然と山野草が咲き乱れる、素敵な山々に、生前の夢であったと思われる、アフリカのキリマンジャロへの登頂も、夢ではなく実現できるかも知れません。
素敵な笑顔と愛情に満ちた、S先生のあの世での人生を、私達は思いつつ、この世に生ける者としての人生を、先生の教えを忘れず、時々思い出しながら、しっかりと歩みたいと思います。
『ありがとうございました』「ゆっくりとお休みください」「また、いろいろとお教えください」