ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

大晦日恒例は・・・。

2004年12月31日 | 地域の話題


 大晦日恒例と言えば、NHKの紅白歌合戦なんて時代は、もう昔である。
 しかし、もっと昔からの恒例行事は何と言ってもお餅つきと墓参りと除夜の鐘である。

 お餅撞きは隣りの家と一緒に、裏の台所を出た路地のスペースで大晦日にしていた。
寒くて低い気温の昼頃から、薪を燃やして前夜から水に浸けていた餅米を蒸篭で蒸す。湯気と共に美味しそうな匂いが立ち込め、頃合いを見計らって順に石臼へと運んで、何人かの男手が餅をつくのである。

 隣のおっちゃん、お兄ちゃん、我が家のおやじも杵を持つ。ぺったん、ぺったんと小気味のいい音と掛け声で、一臼約二升から二升五合の餅がつきあがる。つき立ての餅を板の上に運び、撒いた上新粉や片栗粉の上で、お鏡餅や仏壇、神棚などに供える二段重ねから丸めて形にする。

 次は皆んなで寄ってたかって、丸もち、豆餅、あんこ餅など、いろんな餅を成形する。最後は関西では猫餅と呼ばれる、餅箱一杯につきあがった餅を入れて、関東でいう伸し餅をつくる。
 やっぱりつき立ての餅は、やわらかくて独特の美味しさなので、その場で形の定まらない状態で子供たちも含めて、砂糖醤油、きな粉、大根おろし、納豆などで食べるのである。うまい!。

 昔は紅白の時間帯に、おやじが少し固くなったネコ餅を切っていた。この角餅と丸もちが大量に用意されて、正月三ヶ日たけでなく、お雑煮には歳の数だけ入れて食べ、またお昼には焼いて醤油やきな粉、時には海苔を捲いて食べる。ちょっと御節をつまみながら、また餅、モチ、もちだらけである。しかし飽きない。その間はみかんでお腹を休める。

 ほんとによく餅を食べたものだ。今の子どもの3倍は食べていただろうと思う。昔は正月三ヶ日の間はお店は休みが常識で、今の様にコンビ二やスーパーが年中やっていたり、百貨店も元旦から開店なんてことはなかった。

 大晦日のもうひとつのイベントは、百八つの煩悩を拭い去る「除夜の鐘」である。NHKの紅白歌合戦が終わると「行く年、来る年」が始まり全国各地の有名な、また貴重な鐘の音を聴かせてくれていた。
 京田辺市には室町時代に建てられた、あのトンチで有名な一休さんの晩年過ごされた寺がある。通称一休寺と呼ばれる「酬恩庵」であり、誰でも除夜の鐘を撞かせてもらえる。

 私は10数回、この一休寺の除夜の鐘を撞きに行っている。ここ数年ご無沙汰していたが今夜は娘たちと一緒に出かけて、久しぶりに撞きたいと思っている。

 大晦日の恒例行事、もうひとつはご先祖様の墓参りである。本日も午前中、あいにくの雪の中を母を連れて墓参りに行った。寒さが厳しかったので花を挿して線香に火をつけて、お水をお墓にかけて約15分の墓参りであったが、母は大晦日に墓参りができて「すっきりして新年を迎えられる」と喜んでくれた。

 私の大晦日の恒例行事は「餅」と「墓参り」と「除夜の鐘」だが、皆さんの恒例行事は何でしょうか?
 まだ紅白歌合戦なんて古いよ。でも、もっと昔からある伝統的な日本人の文化と年が改まる節目のイベントとして、これからも大切に続けてほしいものも多いのではないだろうか。

コメント
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