いよいよ今年も忙しない年の暮れとなった。
年々「大晦日と元旦で何も変らんだろう」とか「今年の年末年始は特別なことはしないで過ごそう」なんて口々に言ってた人たちも「もう年賀状書いた?」となってしまう。
私もやっと今、賀状を制作して印刷中である。数百枚刷るのに結構時間がかかるものである。
しかし「年賀状なんかメールで済むじゃないか?」とか「年賀状は虚礼だ」と言われる方もいるだろう。
私は年賀状は虚礼ではない!と言える。一年の始まりに友人、知人同士や親戚、家族が大切な心温まる一枚の葉書交換で、健康と近況等を確認し合える、とっても素敵な日本的伝統かつ実用的な習慣であると思っている。
私自身も学生時代は賀状を数枚書いて投函していたに過ぎないので、いただく枚数もわずかだったと記憶している。しかし結婚して子どもが生まれ、故郷を離れた頃から書く枚数も増え続け、今は数百枚となっている。
始めは手書きだった賀状も、ミニプリンターなる謄写印刷、プリントごっこと変遷し、今やインクジェットの年賀状にパソコンでデザインした3種類を創って出すに至っている。
私にとって、元旦の我が家の郵便受けに賀状が届くのを今か今かと待つ時間は、至上の喜びの時である。
届いた年賀状の束を、ゆっくりと時間の許す限り何度となく一枚、一枚、宛名の文字と差出人を確認しながら、裏面のデザインを見て、相手の顔や近況を想って文章を読む。
小学校時代の女の先生は、もうずいぶん歳を重ねられて今は特別養護老人ホームに入居されている。
先生から来る年賀状の宛名の文字は、毛筆からペン書きへと、ちょっとづつ変化し、今は家族の方の代筆となっている。
また、出会った頃は幼稚園児か小学生児童だった、知人や友人の子どもたちやプレイスクールで一緒に遊んだ子どもたちも、もう立派な大人になって賀状をくれたりすると、自分の歳を改めて感じてしまう。
人生は出会いの連続であり、その出会いを一年に一度は、お互いの文字でしっかりと確認したいものである。面白い賀状、真面目な賀状、素敵な家族、思い出の風景の写真、手書きのスケッチなどと共に、きれいなデザインの賀状など、来春のスタートを一杯愉しませてくれるだろう。
友人、知人に「ガリバーも元気で生きてるよ」って明るく賀状に必ず一言添え書きして、元旦にコトンと相手の心に届く様に、早く投函したいと思っている。