ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

なか卯や吉野や

2004年12月15日 | 地域の話題


 暖かい師走である。昼間の町を歩いていてると、12月であることを忘れがちになる位温かい。
 仕事の関係で、自宅に戻らず昼は外食をすることが多いのだが、市内の限られた食事処を数軒、気分によって替えて立ち寄る。お気に入りのカレーショップや定食屋、そして中華料理のランチを食べさせてくれる大衆的な店とちょっと落ち着いた定食屋など。

 いろんな昼食の取り方があるが、時間が無い時や逆に時間がほしい時に、駅前や国道沿いにある、いわゆるファーストフードといわれる、安くて、早くて,美味い?なか卯や吉野やに入ることがある。今日も先ほど、駅前のなか卯で一人豚丼とゆずうどんのセットを590円で食した。

 私は外食時はいつも、周辺の同じように食事をする人たちのことが気になっている。というのは、自分もそう見られているのかもしれないが、町中の昼下がりに、家庭や会社の家族や仲間と食事を共にするのではなく、仕事途中の立ち寄りや時間が無いなどの様々な理由があるにせよ、孤食というか、ひとりで食べ物を注文して一人で黙々と食べて帰っていく人が相当に多いと思いながら、あたりを見回しながらついつい観察してしまうのである。

 今日も一番先に目についたのは、奥の四人掛けに座って黙々と自分のどんぶりを食べている、男性のお年寄りであった。この人たちは珍しく四人グループであったが、すべて六十代後半から七十代と思われる比較的元気な高齢者である。しかし真ん中の島形のテーブルでは、若い作業員風の青年や学生に混じって、白髪交じりの初老の男性が二、三人各々個別に丼を食べておられた。

 隣のテーブルでは老夫婦と思われる男女が向かい合って、ほとんど言葉を交わさずに、うどんと丼を食べている。何ともない普通の光景でもあるのだが、私には昨今の高齢化時代を顕著に物語る場面と思えてしまうのである。入り口付近のレジの前では、近くに住む高齢の男性が、好みの丼を注文し持ち帰り用のビニール袋に弁当の様にして購入していた。

 何とも私だけかもしれないが、孤食、孤独、ひとり暮らし、孤立などと寂しい家族関係や地域の
人間関係の希薄さを浮き彫りにさせる様な光景の様に見えて仕方がなかった。
 できれば食事は家族や仲間と、楽しく語り合いながら食したいものだが、なかなか理想通りには現実はいかない。

 人間いくつになっても三度三度の食事はつきまとっている。そして年をとれば取るほど、食事は大きな楽しみであり、ただの生き続けるためのエサではない。しかし敢えてエサと書かねばならぬほど、現実の食事をする時間や、人間関係、家族関係は希薄になったり、崩壊していたりする様な気がして、ただ義務的に三度三度の時間に口になにやら本能的にエサを運んではいないだろうか。

 ちょっとした昼食をとるのに、立ち寄って私自身もひとりで孤食の体であるのだが、周りの人たちの食事をされる表情のなさや、ただ黙々と食べておられる様を拝見していると、ついつい寂しく、暗い状況を想像してしまうのである。なか卯や吉野やが、また多くのファーストフードと呼ばれるハンバーガーや牛丼などのチェーン店の進出に対して、BSE等によるアメリカ産牛肉の輸入制限は今も続いているが、どこの店も客は足を運び、何とか営業し続けている。

 これらの状況は、決して若者文化の一端を担っている様な、初期のマクドナルド、フライドチキン等の進出展開の時代から、第二期、あるいは第三期のファーストフード時代に突入したと言っても過言ではない、高齢者の孤食の増加による下支えが大きく影響しているのではないかという観測的見解を持つに至った。

 昔チキンラーメンを皮切りに、インスタントラーメン、カップ麺が流行し、今や常識的な携帯食、非常食となり市民権を得ている様に、いつのまにかファーストフードのチェーン店も、大衆の支持と高齢者層の需要に支えられた大衆食として、町に君臨している。ちょっと寂しい様な現実がどこの町にもあり、私自身もその一員になっている様である。
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ミムラのめだか先生

2004年12月15日 | テレビマスコミ



 今夜、あまり見ないテレビドラマ、めだか先生を見た。若いかわいい女優のミムラ演じる、めだかこと、目黒先生が、二葉学園という定時制の高校教師として、どじと失敗を繰り返しながら、自分より年上の生徒や同級生、または昼夜と働いている多種多様な生徒たちの中で、葛藤しながら、誠実で思いやりのある教師として育っていくドラマであった。

 今日は最終回で、3年のクラス担任として、14名の全員の就職や進学を決定させて、卒業式を迎え、自分自身の同僚教師への淡い恋心にも気づき、さりげなく今後の付き合いを申し出るところも含めてドラマは展開した。

 いろんな過去と現在を背負っている生徒たちの進学や就職は一筋縄ではいかない。しかし生徒それぞれの良さや個性をキャッチしながら、たどたどしくても誠意で接して、難関や苦境を乗り越えていく生徒たちに教えられつつ、主人公自身が成長していく過程が描かれていた。

 卒業式後の教室で、みんなに一言づつ気の利いた言葉を送ろうと考えていたのに、頭が真っ白で何も口にでない、めだか先生に対して、生徒たちが口々に感謝や思い出を語り、先生であるミムラが、それを聞いて
ありがとうを繰り返しながら、成りたくてなった先生ではないが、今は本当に先生になってよかったと感謝する。

 新米教師の目黒先生の新しい年度が始まり、新任の後輩女性教師が学園にやってきた。何もしらない私が生徒たちに教えるなんてと不安で立ち尽くす新人教師に対して、めだか先生は自分の経験から、大丈夫だよ、教えなくても生徒たちが教えてくれるからと励まして最終回はミムラめだか先生のこぼれる様な素敵な笑顔で、このドラマは終わった。

 なんともさわやかさと喜びと素敵な笑みを携えた女優ミムラの演技に、久しぶりに小さな感動を覚えた。
 何かのコマーシャルで印象にのこっていた小柄で笑顔の素敵な彼女だったが、今回のめだか先生の好演で
とっても好きな女優さんのひとりとなりそうである。

 また多くの課題と問題を抱えている日本の教育にとっての、大切なコメントを、このドラマから改めて教えてもらった様な気もした。ひとりひとりの個性を思いやりを持って、大切に育みながら、自らの中に内在する能力やよさを、じっくり見つめて発揮する。そうした見守りと理解が教育には大切であり、結局ひとりひとりが、そうした環境と見守りの中で気づいて行くことが、大切な教育そのものであることだと思った。
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