ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

世間の「常識」って?

2009年06月18日 | 感じたこと
 皆さん、老いも若きも人生において、いろいろな出来事や小さな事件に遭遇することがあると思います。

 家庭において、学校で、職場で、あるいは町で突然にと、多種多様な出来ごとが発生するのが、この世の中です。

 たとえば、自動車を運転していて、自分が右折しようとした時に対向車が左折しようとしていたら、同じような狭い道路の交差点なら、どうされますか。

 私は、たぶん自動車学校で学んだと思うのですが、向かって左側の車が優先だと思うのですが、日常的な現場では、われ先にと勝手に曲がってしまう車が多い様に思えます。

 また渋滞中の三叉路などでは、直進車と流れに進入する横からの車は、一台ごとに譲り合って「割り込み」も許可して、スムースに進行すべきと考えます。

 しかし、実際の道路上では、やはり「急いでいる車」が多いのか、なかなか「割り込みさせて」もらえなくて、困っている車をよくかけます。

 こうした例は、道路交通法上のルールとして決まっている場合も多いのですが、結局はその場、その場での他人の判断に委ねられている場合が殆どで、どちらが一方的には正しいとか間違っているとかは判断しにくい場合も多いものです。

 でも、ドライバーの多くは、自分中心に考えるためか、自分の行動や動作が「常識」であり、他人様が「非常識」だと考えてしまいがちではないでしょうか。

 私たちの日常生活には、ほんと多種多様な「人間関係」があって、家族内、友人間、仕事の同僚、上司と、全てにおいて、心地よコミュニケーションを心がけようとしていると、時折、この「常識」という名の一方的な価値観に戸惑うことはありませんか。

 誰も自分が正しいと思ってしている行動や言動に、ふと疑問を感じて自問自答する時もありますが、たいていは「自分の常識」が「正しい」と思ってしまっているのが、大半ではないでしょうか。

 逆に相手の立場に立って、物事をじっくりと考えれば、決して「自分の常識」が絶対ではないのではと思います。

 特に、子どもと大人や、老人と若者などの場合は、体力や経験の有無の違いからもあって、この「常識」と思っている行動や言動に大きなギャップがある場合が存在しているはずです。

 お母さんやお父さん、または先生が子どもたちに向かって言っている「そんなの常識でしょ」という当たり前の躾や指導にも、客観的な視野から見たり考えれば、決して「常識」とは言えない「無理難題」を子どもたちに恣意っている場合が見受けられると思います。

 仕事での「常識」や友達同士の「常識」などでも、結構「矛盾」や「誤解」を招く「常識的」な物事があるのですが、上司の手前、または友達同士の遠慮からか、それを指摘もせずに、「まぁいいか」と角を立てずに従ったり、順応したり、同意したりしているケースも多く見受けられると思います。

 時には、勇気を持って、この「常識」を覆すべく考えてみてはどうでしょうか。

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