
毎日仕事で通る街中の小さな寺院の角に、仏の言葉や著名人の名句や教訓などが、たぶん住職の手書きの墨字で記されているのだが、ここ数日前から書かれている言葉が頭から離れないのは何故なんだろうか。
そこには、「世の中が便利になって一番困っているのは、実は人間なんです」と書かれてあるのです。
いつもは全ては仏の御心があなたを導いてくれるとか仏の光があなたの人生を照らしていますとか書かれていることが多かったのだが、この文章は誰の言葉かは定かではないが、とてもシンプルなのだが、とても現代人としての生活者である我々には「ぐさり」と来る真意を秘めていると感じたのである。
一番最初に浮かんだのは、やはり「原発と核」である。
原子力と言う科学的メカニズムでのエネルギーを人間があたかも手に入れたが如く、核開発や平和利用と称した「原子力発電所」を建設して日本ではなんと一時期は、全国で54基もの原発が稼動していたのだが、アメリカのスリーマイル島原発事故、ウクライナのチェルノブイリ原発事故に続いて、福島原発の事故が起きてしまって、全世界がその後の日本政府と東京電力の放射能汚染に対する対応や汚染水漏れ事件の防護策について注目しているだけでなく、もはや制御しきれなくなっていると言う感じの対応の遅れや絶対的な拡散防止策の無さなどが露呈していて、世界の知識人だけでなく多くの庶民、国民も「もういい加減にしてくれ!」とでも言いたげな心境に陥ち入っていると言っても過言ではあるまい。
そんな状況下の日本の原発政策に対して、なんと政界を引退したはずの小泉純一郎元総理が「原発廃止」を直訴する講演やコメントを発信しだしているのは、とてもいいタイミングだと思うのだが、彼の頭の中には息子で衆議院議員の次男坊の将来を期待して、父として出来るメッセージとして、ややパフォーマンス気味ではあるが発言したとも言えよう。
しかし、「世の中が便利になった」と感じているかどうかは別にしても、この巨大な利害がともなっている「原子力発電所」を稼動し、増設し輸出しようとする勢力にとっては、少なからず「いい加減なことを言うなよ」といった心境かもしれないが、確かに原子力発電所から出るウランをはじめとする放射性物質を大量に含んだ汚染物及び廃棄物の処理は極めて困難で、現在も日本国内にはまともな処理場や廃棄物の埋め立て施設は無いに等しく、永遠に核廃棄物の捨て場に困窮し、多くの地方や過疎地がその捨て場として利用されるしかないとの観測である。
すなわち、人間の活動をより豊かに?するためのエネルギーとして、とても低コストで発電でき安全だといい続けてきた「原子力発電」が、汚染物の処理や捨て場の無い「巨大なトイレ」の如き邪魔者であることが明白になっているわけで、確かに「一番困っているのは実は人間なんです」そのものなのです。
また、便利だととても急速に普及したパソコン、そしてスマートフォンなどの端末IT機器だが、先日の女子高校生ストーカー殺人事件だけではないが、多くの犯罪や詐欺、危ない交信などに使われている現状を思うとき、必ずしも世の中が便利になったと言う側面だけでは語り得ない「闇」か「悪」の世界との繋がり、つまり「匿名の見えない罠」とでも言うべき、とても恐ろしい手立てに利用されている部分が間違いなくあり、やはり「一番困っいるのは、実は人間なんです」という言葉の、もう一つの現実だと思うのです。
いじめや個人的な中傷誹謗、何処で知られたかは不明な差出人からの突然の嫌なメールや批判、言論の自由とかいう範疇ではない、一方的なヘイトスピーチと呼ばれる「嫌がらせ」など、とても不快かつ人権無視の横暴がまかり通る世の中は決して「便利になった」とは言えない「困まった世の中」なのです。
そこには、「世の中が便利になって一番困っているのは、実は人間なんです」と書かれてあるのです。
いつもは全ては仏の御心があなたを導いてくれるとか仏の光があなたの人生を照らしていますとか書かれていることが多かったのだが、この文章は誰の言葉かは定かではないが、とてもシンプルなのだが、とても現代人としての生活者である我々には「ぐさり」と来る真意を秘めていると感じたのである。
一番最初に浮かんだのは、やはり「原発と核」である。

原子力と言う科学的メカニズムでのエネルギーを人間があたかも手に入れたが如く、核開発や平和利用と称した「原子力発電所」を建設して日本ではなんと一時期は、全国で54基もの原発が稼動していたのだが、アメリカのスリーマイル島原発事故、ウクライナのチェルノブイリ原発事故に続いて、福島原発の事故が起きてしまって、全世界がその後の日本政府と東京電力の放射能汚染に対する対応や汚染水漏れ事件の防護策について注目しているだけでなく、もはや制御しきれなくなっていると言う感じの対応の遅れや絶対的な拡散防止策の無さなどが露呈していて、世界の知識人だけでなく多くの庶民、国民も「もういい加減にしてくれ!」とでも言いたげな心境に陥ち入っていると言っても過言ではあるまい。
そんな状況下の日本の原発政策に対して、なんと政界を引退したはずの小泉純一郎元総理が「原発廃止」を直訴する講演やコメントを発信しだしているのは、とてもいいタイミングだと思うのだが、彼の頭の中には息子で衆議院議員の次男坊の将来を期待して、父として出来るメッセージとして、ややパフォーマンス気味ではあるが発言したとも言えよう。
しかし、「世の中が便利になった」と感じているかどうかは別にしても、この巨大な利害がともなっている「原子力発電所」を稼動し、増設し輸出しようとする勢力にとっては、少なからず「いい加減なことを言うなよ」といった心境かもしれないが、確かに原子力発電所から出るウランをはじめとする放射性物質を大量に含んだ汚染物及び廃棄物の処理は極めて困難で、現在も日本国内にはまともな処理場や廃棄物の埋め立て施設は無いに等しく、永遠に核廃棄物の捨て場に困窮し、多くの地方や過疎地がその捨て場として利用されるしかないとの観測である。
すなわち、人間の活動をより豊かに?するためのエネルギーとして、とても低コストで発電でき安全だといい続けてきた「原子力発電」が、汚染物の処理や捨て場の無い「巨大なトイレ」の如き邪魔者であることが明白になっているわけで、確かに「一番困っているのは実は人間なんです」そのものなのです。
また、便利だととても急速に普及したパソコン、そしてスマートフォンなどの端末IT機器だが、先日の女子高校生ストーカー殺人事件だけではないが、多くの犯罪や詐欺、危ない交信などに使われている現状を思うとき、必ずしも世の中が便利になったと言う側面だけでは語り得ない「闇」か「悪」の世界との繋がり、つまり「匿名の見えない罠」とでも言うべき、とても恐ろしい手立てに利用されている部分が間違いなくあり、やはり「一番困っいるのは、実は人間なんです」という言葉の、もう一つの現実だと思うのです。

いじめや個人的な中傷誹謗、何処で知られたかは不明な差出人からの突然の嫌なメールや批判、言論の自由とかいう範疇ではない、一方的なヘイトスピーチと呼ばれる「嫌がらせ」など、とても不快かつ人権無視の横暴がまかり通る世の中は決して「便利になった」とは言えない「困まった世の中」なのです。

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