ガリバー通信

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モンゴル草原に核廃棄物!

2011年09月01日 | 世界の問題
福島原発のメルトダウン事故による未曾有の被害の広がりと将来にわたっての避難地域への帰還が困難との報道もあわせて、福島県の該当地域の避難民だけでなく、全国、いや全世界的に「やはり原発はやめるべきだ」という機運と、それに替わる代替エネルギーとしての自然力を使用した、太陽熱、地熱、風力、バイオ、波力などを含むあらゆる廃棄物を出さない電力生産の道が本格的に模索されている。

 そんな世界中の人々の思いと願いの中、日本では野田新政権が発足したが、党内融和やマニフェストの見直し三党合意も大切だろうが、今後の日本経済の舵取りと共に、将来のエネルギー施策への舵取りが明確には見えてこないばかりか、やはり大きな利権である「原子力」に纏わる施策の行く末については、はっきりとして言動が語られることはなく、原発被害と共に風評被害が収まるのを期待してか、徐々に再び原発の稼動をはじめとする原子力推進策が隆起し始めているのではないだろうか。

 日本国内にある原子力発電所54基のうち、既に2/3以上が停止している現状の中で、菅首相の「脱原発あるいは原発に頼らないエネルギー施策」という画期的な方向すらぼやけつつあって、敦賀のもんじゅの再稼動をはじめ、青森県の六ヶ所村の核廃棄物処理場の本格稼動なども原子力推進派によると着々と計画されている様である。

 そんな状況下で、前々から噂はされていたことだが、国内での核廃棄物処理が困難であれば、国外に核廃棄物処理を輸出しようとする動きが加速しそうな気配が益々進んでいるのだが、ウラン燃料の原発使用後の二次使用、つまり原発廃棄物からプルトニュウムを抽出する技術的業務をフランスに依存しているために、現在一部輸出されていた核廃棄物だけでなく、半永久的に日本、アメリカを中心に、アラブ首長国連邦とモンゴルの四カ国でモンゴルに核廃棄物処分場を作る計画で包括的燃料供給(CFS)が締結されたそうである。

 とんでもないことである。

 世界的には、アメリカのスリーマイル島原発事故、ロシアのチェルノブイリ原発事故に次ぐ、大事故となった日本の福島原子力発電所の三基のメルトダウン事故による放射能汚染の危機的状況が、まだまだ覚めやらない現状の中、着々と原子力発電を中心としたエネルギー産業と政府が国際的には問題になってはいるが、日本国内ではあまり問題視されない内にと思っているのか、とんでもない計画の推進を推し進めているのである。

 モンゴル国といえば、ソビエト連邦の崩壊、東西冷戦構造の終焉から、自主的な独立国家への道を歩み出したロシアと中国に国境をはさまれた草原の国なのだが、大相撲の横綱白鵬や元朝青龍の出身地としても有名だが、ウランバートルという中央の首都に国民の大半が住む他は、大草原に遊牧民が散らばって、今直素朴な大陸的ら生活をしているというお国柄だが、経済的には貧富の差が著しく、まだまだ経済的には困難な状況を脱しきれない国である。

 そのお国事情から、国内総生産GDP約66億ドルのうち、鉱業の割合が22.7%、輸出総額の81%を鉱物資源が占めると言う現状で、金、モリブテン、鉄、石炭、ウランなどが主要な輸出品であり、ウランの埋蔵量は世界で有数な国だとされている。

 しかし、経済的にはまだまだ厳しいお国事情と共に、共産圏の大国であるロシアと中国に国境を隔てているという状況は変わらないので、アメリカが共産圏の国々の脅威からモンゴルを守るとという表面的には「世界のポリス」を自認する米国が、ここでもしゃしゃり出て日本と共に、自然の楽園的モンゴル草原に、核廃棄物処理場を持っていくという蛮行に出たといっても過言ではない。

 つまり日本のODA、政府開発援助という形で、日本の技術力を生かして、発展途上国や未開発な国々のインフラ整備などに日本の企業が乗り込んで、大きな投資と共に多くの自然環境破壊をしているという現実と同様に、日本国内ではなかなか受け入れを了解してもらえない核廃棄物処理場の建設や稼動に対して、結局は経済的援助という名の下で、一般の国民、庶民が理解しないうちに、政府レベルでの助け合い的侵略がなされてしまうという構図になりかねないのである。

 モンゴル、ウランバートルの国立図書館前では、アメリカのバイデン副大統領が来訪するというので、一部の国民が立ち上がって、核ゴミ捨て場計画反対の抗議デモが行われていたそうだが、モンゴル緑の党という政党の呼びかけによるものだが、いかにも小規模な抗議デモに過ぎなかったらしく、国民の多くはその重大事を自覚してはいないという現状ではなかったかと思うのである。

 
つまり、日本における54基もの原発の立地や稼動についても、いくつかの地域的反対で原発建設が中止された場所もあるが、多くは地域振興と雇用拡大、経済的メリットのためと、多額の原発立地による奨励金や支援金が地域自治体にばら撒かれて、危険性の危惧があったとしても、「お金に目がくらんで」、立地を容認したために原発立地の地方市町村のインフラ整備と町並み、公共的建物だけは、とてもれ立派なものが建っているが、果たして住民にとってはどうであったのだろうか。

 今回の福島原発事故による周辺自治体の多くの原発避難民は、特別な許可を貰っての一時帰郷を除いては、これから数年から十数年は故郷には帰れない、すなわち自分の生まれ育った町では暮らせないという悲劇に陥ってしまっているのである。

 全世界中の住民が、過疎地に迷惑施設をという経済論理や大手企業や政府の「ゴミ処理」の発想の被害から、少しでも回避できるようにするためには、やはり全ての原因であるゴミを生産する元から絶たなければいけないのである。

 すなわち、半減期が永遠に近く続く様な核廃棄物やわ放射能を撒き散らす危惧のある廃棄物を生み出す、原子力発電そのものを徐々に減らして、近い将来においてはドイツ、イタリア、スイスだけでなく、全世界の国々から危険な核廃棄物のリスクがあるゴミを出さない自然に近いエネルギー生産に切り替えて行く英知を、地球上の人類が確認する時代にならねばならないと思う。
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