ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

日本・ユダヤ封印の古代史

2011年09月04日 | 感じたこと
 皆さんもご存知の方が多いと思うのだが、日本人のルーツについて多種多様な説や著書が一般的に出回っている。

 私は何故か二十数年前から縁あって、中国内モンゴルへと旅する機会が多く出来て、自分の先祖はたぶんモンゴル人だろうという確信に近い感覚を持っていて、赤ちゃんとして誕生した時のお尻の「蒙古斑」と呼ばれる青いあざのような痕跡は、間違いなく大陸の蒙古族の末裔と感じているのである。

 しかし、1971年、昭和46年に出版され何と300万部も売れたという、日本人とユダヤ人に遡ることなく、多くの著書を通じて、日本人のルーツに大きくユダヤ人が関与していて、日本文化の中にユダヤ的文化や思想が根強く残っているとの説がたくさん出版されているのである。

 つい先日も友人の女性からお借りした興味深い著書が表題の「日本・ユダヤ封印の古代史」という本であって、日本に十数年住んだことのあるユダヤ教の宣教師である著者が日本に来て驚いたこと、気づいたことを通じて、古代史の謎のひつとされているユダヤ10部族のうちの一つの行方不明先が、東洋のはずれの日本ではなかったかという、あくまで推論なのだが多様な日本文化の中に、ユダヤ人の古代文化が色濃く残っているというのである。

 だからと言って、すぐさま「日本人のルーツはおユダヤ人」だとか、「古代ユダヤは日本で復活する」とか「ユダヤ製国家、日本」などという著書のタイトルの如く、日本人はユダヤ人の末裔だとは私は決して思わないのである。

 表題の「日本・ユダヤ封印の古代史」などによれば、ユダヤ人の宗教的行事と日本の神道のあらゆる祭礼や形が非常に似ているというのであり、ユダヤ教での新年の祭りである「過越祭(ペサハ)」は、ユダヤの祭日のうち最も最古で最大のものだが、日本の新年の迎え方とよく似ているというのである。

 その日は家族で寝ないで夜を明かし、過ぎ越しの日は普段と食べるものが違っていて、いつもはふっくらとしたパンを食べるのだが、この日に限って「種無しのパン(マッツオ)」というパンを食べるのだが、これは日本の餅にあたり、ユダヤ人は丸く平べったいマッツオを祭壇の両脇に重ねて供え、日本の鏡餅そのものだといい、過越祭は全部で一週間と規定されていて、日本のお正月の松の内の七日間と同じだという。

 また、神社にある赤い鳥居については、ユダヤ教ではかの有名な「エジプト脱出」にルーツがあり、モーセはヘブライ人、つまりユダヤ人たちが殺戮の天使たちの害に会わないようにと、玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗って、殺戮の天使たちが静かに通り過ぎるのを待つように指示したそうで、これが鳥居のルーツだというのである。

 そして、古代のヘブライ神殿と日本の神社の構造が酷似していて、幕屋と呼ばれた移動式のヘブライ神殿は、周囲を幕や板で囲って中で神に捧げる祭祀を行っていたとされ、囲むという概念は日本の神社でも見られ、神社の祭祀は極秘にされているというのである。

 また、日本の神社の前に置いてある「狛犬(こまいぬ)」は、犬というよりもライオンに近い風貌だが、これも古代ソロモン神殿の前にあるライオン像と似ていて、ライオンはダビデ王統を担うユダヤ族のシンボルであり、幕屋の構造でも聖所、至聖所、拝殿に分かれていて、祭壇には常夜灯があり、脇には手を洗う水盤、拝礼する拝殿の前にはお賽銭を入れる賽銭箱が置かれていたという。

 現在でもユダヤ人は祈りのときに「旧約聖書」の言葉を収めた「ヒラクティリー」と呼ばれる小さな小箱を額部分に付けるのだが、これは山伏たちが頭につけている「兜巾(ときん)」とそっくりで使用方法も酷似しているし、山伏が吹く「ほら貝」の音もユダヤ人の祭りで使われる「ショーファー」という羊の角で作った吹奏器とそっくりで、古代ヘブライの祭祀のレビ族は、みんな白い服装をしていて、これは非常にゆったりとした和服の様な服で、その袖口には「リンネ」と呼ばれる房がついていて、神道の神官や修験道の山伏もそのような房がついた姿であるのだ。

 そして、映画「レイダース、失われたアーク」と題するインディ・ジョーンズシリーズの第一作にも登場したヘブライの秘宝、「契約のアーク」とは、モーセが神から授かった十戒石板を保管するための箱で、旧約聖書にもその作り方が克明に記されているのだが、その記載では日本の「神輿(みこし)」にそっくりで、神輿の上にいる鳳凰だと思われる鳥の羽ばたきの姿も、アークの上部の二つの天使(ケルビム)の像が羽を広げて向かい合っていて、いずれも黄金色であり、この類似性は偶然ではあるまいという。

 こうした考察や事実関係は非常に面白し、日本のカタカナの文字が古代ヘブライ語の文字と似ていたり、日本人の何でも困ったことがあったら、しばらくしてお互い「水に流す」という精神的な葛藤すら責め合うのではなく、お互いが喧嘩両成敗なのだろうか、お互い様として忘れるという精神性、哲学もよく似ているというのである。

 最後にさらに、古代ユダヤ人は現在の西欧人の典型的な顔立ちや体格ではなく、金髪や黒人でもなく、黒髪・黒目の浅黒い肌(褐色)をした人種で、背が低く体格は日本人そっくりだったといい、日本人とオリジナルユダヤ人の男性Y染色体の大きさが同じであることなどもあり、大和民族はユダヤ人だったとする著書も発表されていて、中にはキリストは日本人の先祖だとする推論さえあるのだという。

 非常に興味深い推論も多いのだが、「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史」だけでなく、日本書紀と日本語のユダヤ起源、日本の中のユダヤ文化など多種多様な著書が出版されているので、一読をお薦めするが、私は面白いなぁとは感じてはいるが、人間のルーツは、いずれにせよ何処かで一緒であり、一元的に「日本人のルーツは○○」という断定的論議には馴染まないと感じたのである。


 

 

コメント (1)
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