ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

秋の向日葵の花

2011年09月30日 | ファミリーイベント
 九月三十日になり明日は10月になる。暦の上では九月は間違いなく秋なのだが、やはり秋分の日頃までは残暑も厳しく、なかなか秋を感じるまではいかなかったが、さすが彼岸を過ぎれば台風一過もあって秋の気配が色濃くなってきている。

 そこで、夏の間、狭い庭ながら私の住まいの居間の窓際を覆っていた「グリーンカーテン」なるプランター6個を並列に並べて、ゴーヤ、朝顔、琉球朝顔を計20株ほど植えて、夏の間の日々を少なからず涼しげに楽しませてくれた緑の植物を取り払うことにして、昼からはさみを手にグリーンカーテンのネットを切らぬよう取っ払う作業をした。

 ちょうど六月の下旬に東日本大震災の被災地にボランティアに行って帰って来てからの作業で真夏に向かっての節電や涼感を少しでも高めようとの願いで、小さなグリーンカーテンではあったが、ゴーヤは十本以上収穫し、白く大きな琉球朝顔は夏の終わりに私たちの目を楽しましてくれたが、何故か普通の朝顔は、小さな花をつけたものはあったが、ほとんど咲かずじまいであった。

 ゴーヤつまり苦瓜に関しては、そんなに大きなものは出来なかったが、やはり自分の庭で育ったという付加価値があるためもあって、何度も口にすることとなって、意外にもあまり苦さを感じることもなく食したと言ってよく、食卓を彩ってくれた。

 そもそものグリーンカーテンとしての効果の方はどうだったは、今年の夏の暑さは例年と比べて気温の上昇した日が多く、真夏日と言われる30度以上の日だけでなく35度を超す気温を記録した日も数日あったせいもあってか、あまりグリーンカーテンによる直接的な効果を感じるまでには至らなかったと思うが、やはり小さな苗から二階のベランダ付近まで伸びた十数本の弦が見事にネットと絡まって成長した風情を喜んだものである。

 毎日午前中に水やりをして日々の成長を見守りつつ、ゴーヤの実がなったのにはとても感激し、その緑の深さと共に味わった苦味をともなった味は忘れることはないと思うもので、ちょっとした狭い庭での人間の手を加えた植物の世話としても楽しめた思い出となった。

 実は私の小さな庭には、もうひとつ楽しみにしていたものがあり、東日本大震災の被災地支援先のひとつであった宮城県亘理町から持ち帰った「向日葵の種」を遅まきながら7月の中旬に、それまで弦桔梗が群生していた隅をきれいにして、小さな畝を二つ作って、その種を縦列で二十粒ほど植えていたのであった。

 「向日葵」といえば夏を象徴する花の代名詞でもなっている花だが、日々の水遣りは欠かさなく見守っていたが、やっと九月中旬になって花をつけるようになって、実は秋分の日が過ぎて黄色い大きな花をいくつも咲かせるという状態で、私たちの目を楽しましてくれているのである。

 食卓に切花として飾ってある「向日葵の花」が、東日本大震災の被災地からのボランティアへの返礼という贈り物だと思うと、その黄色い向日葵の元気な花に、被災された多くの東北各地の方々の復興の願いと共に、多くの犠牲になられた命への鎮魂の気持ちが合わさって、私たちも元気に過ごしたいと思うのである。

 「ひまわり」は、夏の暑さの中でも本当に太陽の方向をしっかりと見つめ続けている様な姿で咲き誇っている花なのだが、秋の気配を日夜感じるこの頃に、肉眼では太陽が見えなくても、きっちりと太陽の出る方向に首を振って並んで健気に咲いている向日葵の列を見ると、なんだか不思議な素直さを感じてしまうのである。

 自然界の生物のひとつとして、向日葵だけではないが、太陽の光、温かな熱を体いっぱいに受けて生物は成長したり、健康を維持しているのだが、人間はややもすれば、その自然界の普通の常識である「太陽光」の有難さや恩恵に浴しているにも関わらず、そのおかげを忘れがちではないだろうか。

 小さな秋の庭に咲いた可愛くて力強い「向日葵」たちの黄色い元気な花を通じて、日々の健康で幸せな生活を大きく支えてくれている太陽の恩恵に感謝したい気持ちを改めて教えていただいたと言っても過言ではない。

 「向日葵」の花に感謝し、約二ヶ月以上楽しませてくれたグリーンカーテンを通じての、ゴーヤや朝顔たちの苗にも、ありがとう、お疲れ様、ご苦労様と感謝したい気持ちである。

 明日から十月、本格的な秋の到来を迎える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする