5月31日午後5時(日本時間6月1日午前6時過ぎ)に、アメリカ合衆国フロリダ州のケネディ宇宙センターから、国際宇宙ステーション(ISS)に設置する、日本初の有人宇宙施設「きぼう」の宇宙実験室を搭載した米国のスペースシャトル「ディスカバリー」の打ち上げが成功した。
この宇宙プロジェクトの一員として、日本の宇宙飛行士の「星出彰彦さん」が初飛行に飛び立ったのである。
まるで「地球」という銀河系宇宙の我々の星「地星」を飛び立つのが運命のごとき名前の飛行士が、実際に「宇宙空間」に飛び出して宇宙旅行をされているのである。
何とロマン溢れる現実なのだろうか。
星出宇宙飛行士は、1968年、東京都世田谷区で生まれた39歳の「青年」なのだが、小さいころはテレビっ子で、「銀河鉄道999」、「宇宙戦艦ヤマト」「スタートレック」などを観て、宇宙にあこがれていた少年だったようです。
高校のころ、日本人宇宙飛行士の募集があることを知って以来、将来は「宇宙飛行士」になると心に決めて人生を歩んで来られたようです。
その後、大学4年生の時に、宇宙飛行士の募集があり応募したかったのですが、募集資格には3年以上の社会で働いた経験が必要だったため、この時は応募を断念し、大学卒業後、宇宙開発事業団(現在の宇宙航空研究開発機構)に就職し、仕事をしながら、宇宙飛行士の試験に挑戦していたそうです。
そして二回目の挑戦で、1999年2月に宇宙飛行士候補者に選ばれて、いろいろな訓練を受けて、2001年1月に正式に、宇宙飛行士になられました。
日本の宇宙飛行士としては毛利衛、向井千秋、若田光一、野口聡一、土井隆雄さんに次いで、実際に宇宙に飛び出した宇宙飛行士となられたわけです。
ほかにTBSの秋山さんも宇宙旅行を体験された後、地球に戻られてからは、田舎で百姓をされているとのことですが、いろいろな経験の中でも、「地星」から飛び出した経験のある日本人は、まだ十人に満たない少数なわけです。
ほんとうに「宇宙を旅する」ために生まれて来られたような「星出彰彦さん」の笑顔はすばらしく、宇宙で人間が生活する宇宙基地の一部にニッポンの「きぼう」が設置されて、前任者である土井隆雄さんについで、日本人による建設が進むわけです。
国際宇宙ステーションの建設計画は、1984年、当時のアメリカ大統領、レーガンが発表し、ヨーロッパの国々やカナダ、日本、ロシアなど、世界の15ヶ国が参加する大プロジェクトとなっています。
星出さんは、4歳の幼稚園児の時に、既にロケットの絵を描いていて、頭の中は大きな宇宙に羽ばたく「きぼう」でいっぱいの人だったと想像できるが、今回のディスカバリーの打ち上げを見守った先輩宇宙飛行士である、若田光一さんや野口聡一さんも、星出さんに宇宙開発事業団の職員だった星出さんに世話になったというから、根っからの「宇宙青年」だと思う。
「きぼう」に託された「大きな夢」の実現のために、安全第一の成功を祈る。
この宇宙プロジェクトの一員として、日本の宇宙飛行士の「星出彰彦さん」が初飛行に飛び立ったのである。
まるで「地球」という銀河系宇宙の我々の星「地星」を飛び立つのが運命のごとき名前の飛行士が、実際に「宇宙空間」に飛び出して宇宙旅行をされているのである。
何とロマン溢れる現実なのだろうか。
星出宇宙飛行士は、1968年、東京都世田谷区で生まれた39歳の「青年」なのだが、小さいころはテレビっ子で、「銀河鉄道999」、「宇宙戦艦ヤマト」「スタートレック」などを観て、宇宙にあこがれていた少年だったようです。
高校のころ、日本人宇宙飛行士の募集があることを知って以来、将来は「宇宙飛行士」になると心に決めて人生を歩んで来られたようです。
その後、大学4年生の時に、宇宙飛行士の募集があり応募したかったのですが、募集資格には3年以上の社会で働いた経験が必要だったため、この時は応募を断念し、大学卒業後、宇宙開発事業団(現在の宇宙航空研究開発機構)に就職し、仕事をしながら、宇宙飛行士の試験に挑戦していたそうです。
そして二回目の挑戦で、1999年2月に宇宙飛行士候補者に選ばれて、いろいろな訓練を受けて、2001年1月に正式に、宇宙飛行士になられました。
日本の宇宙飛行士としては毛利衛、向井千秋、若田光一、野口聡一、土井隆雄さんに次いで、実際に宇宙に飛び出した宇宙飛行士となられたわけです。
ほかにTBSの秋山さんも宇宙旅行を体験された後、地球に戻られてからは、田舎で百姓をされているとのことですが、いろいろな経験の中でも、「地星」から飛び出した経験のある日本人は、まだ十人に満たない少数なわけです。
ほんとうに「宇宙を旅する」ために生まれて来られたような「星出彰彦さん」の笑顔はすばらしく、宇宙で人間が生活する宇宙基地の一部にニッポンの「きぼう」が設置されて、前任者である土井隆雄さんについで、日本人による建設が進むわけです。
国際宇宙ステーションの建設計画は、1984年、当時のアメリカ大統領、レーガンが発表し、ヨーロッパの国々やカナダ、日本、ロシアなど、世界の15ヶ国が参加する大プロジェクトとなっています。
星出さんは、4歳の幼稚園児の時に、既にロケットの絵を描いていて、頭の中は大きな宇宙に羽ばたく「きぼう」でいっぱいの人だったと想像できるが、今回のディスカバリーの打ち上げを見守った先輩宇宙飛行士である、若田光一さんや野口聡一さんも、星出さんに宇宙開発事業団の職員だった星出さんに世話になったというから、根っからの「宇宙青年」だと思う。
「きぼう」に託された「大きな夢」の実現のために、安全第一の成功を祈る。